あるお正月の記憶。
閲覧ありがとうございます(^-^)
今日は、幼いとき(小学生低学年)、体験したあるお正月の話しを書いておこうと思います。
むかし、むかし、じゃない、ちょこっとむかしの話しです。私のいつものお正月は、母方の実家と父方の実家で過ごすのを一年交代でやってました。
母方の実家で過ごすのは、楽しみでした。いとこも来ていて、遊べるし、ゲームをうんざりするくらいコンティニューしても叱られません。
しかし、父方の実家で過ごすお正月は、はっきりいいまして、気が進みませんでした。最初は雪がたくさんあって、牛もいて、素敵な場所だよと聞いて、喜んで出かけたら、着いた場所はオランダ村じゃなくて八ツ墓村だったみたいな感じだと書いたらおわかりいただけると思います。(わかりません)
お父さんのおじいさんのお父さんのお父さんが建てたみたいな、昭和初期の映画に出てくるような、古い大きな家。玄関は、広い土間があり、十人くらいが座って靴を脱げるみたいになってました。
しんと冷えていて、空気はキリキリとしていて、笑顔にはなれませんでした。違う環境に慣れないので、緊張しているばかりです。
しかし、出迎えてくれた、ひいおじいさんや親戚の方々は、優しく、
「餅を食べなさい」とか、「みかんを食べなさい」とか、もてなしてくれました。
昭和の古き良き習わしと、言ったら良いのかはわかりませんが、その家では、正月のお祝いの膳は、時代劇の結婚式などで見る形式でした。
わらわらと集まった、笠地蔵じゃなかった、ご近所の皆さんも一斉に席につき、凄いにぎやかな盛大な食事風景でした。
しかし、ですね、、
昭和式って、それは、それで、いいのだろうけど、女性陣(母親も含め)が、膳に付くことがなく、バタバタと忙しくお給仕にたち働くんですよね。
全然、座らないの。
いとこのお姉さんも、座る間もなく、お酒を燗にしたり、空いたお皿を下げたり、料理を運んだり、
大変そうでした。
膳を囲む笠地蔵たちじゃなかった、男性陣(ご年配、中年が多い)たちは、温泉に浸かったお猿みたいなまっカッカな顔をして、箸が転んでも、大爆笑していました。
特に本家のお嫁さんは、いつ座るんだろうと思うくらい、1日中、立ち働き、わたしたち子供にも優しくお菓子をくれたりして、子供ながらに「凄い人だな」と思いました。
「食事を取ったら?」と、周りのご婦人から進められても、一切食べません。食べてるとこを見たことありませんでした。
わたしは、段々、子供らしいアホな想像力で、
「この人は、『めし食わぬ女房』かもしれない!」
と、思いました。
日本妖怪絵本に出ていた、夜中になったら、うしろの大口でおおめしを食らう妖怪です!
そうと決まったら(決まってない)恐ろしいばかりです。冷えるから、夜中にトイレを行きたくなります。恐ろしいから、ぜったい、一人では行けません。
母親もお手洗いを使っているとき、わたしは、ひっそりと、台所をのぞきました。。
そしたら!
あの本家のお嫁さんが!おにぎりを大量に作っているではありませんか!((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
うしろの釜戸には、味噌汁が大鍋で、煮られていました。
もう、決まりです。恐ろしい。
わたしは、無口になり、どうやって、この家から逃げ出すか、必死に考えました。
夜が明け、わかったことは、朝に10人くらいの若い衆が来て、儀式ぽいことをやるので、あのおにぎりは、その人たちの朝ごはんでした。。
わたしの勘違いで良かったけど、あの人は、いつ休むのか、ますます心配になりました。
心配になりましたが、子供なんで、すぐに楽しいことはないかと考えることになりました。
本家には、高校生のお兄さんがいて、遊んでもらうのを楽しみにしていたのですが、その年のお正月は、見当たりませんでした。
ご飯を食べて、ゴロゴロしながら、お兄さんはどこにいるのか、聞くと、
母親から食べてすぐ寝ると牛になるよ!と叱られました。
そうしたら、本家のお嫁さんが「うちの◯◯(お兄さんのこと)も、よく、食べたらゴロゴロしてるよ(笑)」
と、わたしをかばって、言ってくれました。
まさか!お兄さんがいるのは!
あそこか!
牛になったのか!
だから、いないのか?などと、アホな想像が浮かびました。それくらい、その家の状況が、奇異に感じたのです。
しかし、お兄さんは、部活合宿に行っていただけでした。
小学生、高学年になってからは、もう、父方の実家には冠婚葬祭以外は行ってませんが、
今でも、時々、あの雪深い山の大きな家を思い出します。
コロナで、もう、人は集まったりはしないから、あのお嫁さんは、少しは、自分の休みがとれていたら、いいなと思います。
長文になりましたが、私の思い出に、お付き合いいただき、
ありがとうございました_(._.)_
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?