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あの頃の記憶から消えないこと

いじめといじりの定義って何だと思いますか?わざわざ調べたとはないけど、何となく、いじりの方が信頼関係があるからできるイメージがあるんですよね。いじめは、ただの相手を貶す暴言や暴力だと思ってます。

【はじまり】 
 今から8,9年前、私は確かにいじめられてました。中学一年生の頃、同じクラスの、Kと称しましょうか、私はKにいじめられていました。(Kの兄は問題児で、Kも同じ、いわゆるヤンキーでした)。いじめの内容は見た目の侮辱的発言でした。当時の私は身長が158cm、体重が70kgの巨体でした。それに加え思春期ということもあり肌は荒れ、眼鏡をかけ前髪もなかったのでお世辞にも可愛いとは言えず、いじめの標的になるのは自分でも納得してしまいます。悔しいですが。
「デブ」「ブス」発言は当たり前で、持ち物はばい菌扱いをされていました。Kには取り巻きが数人おり、私は他の人からの圧や空気を読み、いつも笑っていました。強く嫌がることができませんでした。しかし、その曖昧な態度のせいで他の女子からは「男にいじられて喜んでいるデブス」というレッテルを貼られ、それは中学二年生まで続きました。

 中学一年生までは耐えられました。担任も男の先生で、Kが暴言を吐くところを見かけると止めてくれていました。中学二年生に上がり、今回の担任も厳しい先生だったので止めてくれるだろうと安心しきっていました。しかし、担任の先生は家庭の事情で一学期を最後に戻ってくることはありませんでした。副担任は元々いましたが、新しく入ってきたばかりの年配女性で、荒れ狂う思春期ヤンキー中学生男子を止めることはできず、教室自体が徐々に荒れていきました。
 
【小説】
 当時、私は小説を読むことも書くことも好きで、よくいらないノートにちょっとした話を書いていました。書くだけなら問題ないと思い、私は学校にノートを持っていき、休憩中に書いていました。いつものように小説を書いていた時、クラスの女子にそれが見つかりました。半ば強制的に奪われ、熟読された後彼女たちは一つお願いをしてきました。「官能小説を書いてほしい」と。当時の私は、女子から毛嫌いされており友達もいなかったため、純粋にお願いされた、頼られたことが嬉しくなり、即座に承諾しました。それからはたくさん書きました。どうすれば彼女たちに満足してもらえるか、面白い話を書けるか、たくさん考えました。書き終わり、学校に持っていき完成した作品を一目散に渡しに行ったことを覚えています。官能小説読んだ彼女たちは、すごく満足してくれました。私はその反応がすごくうれしくて、喜んでもらえるならこれからもたくさん書こうと思っていました。私自身が他人の反応で動く人間だったみたいで、昔から流されやすいのもこのせいなのかと今ではしみじみと感じています。しかし、年頃の男子中学生がこれを見逃すわけがなく、毎度おなじみのKに官能小説を奪われてしまいました。クラスに回され、他クラスにも回され、最終的には私が入れない男子トイレのごみ箱に捨てられました。何事かと騒ぎを聞きつけた学年主任(男性)が男子トイレに入り、官能小説の中身を見られてしまいました。「こんなもの、学校に持ってくるな。皆見るに決まってる。これは没収する」。そんな感じのことを言われていました。この間に、私はずっと笑顔でした。張り付いたような笑顔で、周りの空気を読んで、皆は怒られないようにお願いされたことも言いませんでした。私が言ったら皆が怒られちゃうし、皆に嫌われちゃうから、私だけ怒られていればいいんだ、と思っていました。
 数日後、トイレで用を足していると官能小説を書いてほしいとお願いしてきた女子たちの話す声が聞こえてきました。「(私)のこと好きな人っているの?」「私苦手ー」「え、私も」。覚えているのはここまでです。耳鳴りと自分の涙をすする音で、その後のことは何も聞こえませんでした。一つ分かったのは、女の子は嫌いでもまるでそんなことないかのように隠し、関わりを持ってくるということです。関りを持つというか、私はただ単におもちゃにされただけでした。

【ボイコット】
 一時期、Kからの暴言がぱったりとなくなりました。暴言を吐かれないことが、こんなにも過ごしやすいのか、と心が軽かったことを覚えています。しかし、また始まってしまったのです。
 その日は2限目に数学があり、数学の先生(S)は私がKにとやかく言われているのを中学一年生の頃から見ていました。数学の授業が始まる前、Sは私とKに対してこんなことを言いました。「お前ら最近仲良くしてないけどどうしたんだ。前みたいに色々言い合わんのか?」と。私は一気に顔面蒼白になりました。途端にKは思い出したかのように私に対し暴言を吐きまくるようになりました。まるで溜まっていたダムが決壊したかのような勢いで。Sにとって私たちは仲良くしていることになっているのと、暴言のダムを決壊させたことが許せませんでした。3限の授業は国語でした。その日はたまたま私が教科書を読む担当だったので、席を立ち朗読していました。その間、Kは私にデブコールを始めました。「デーブ!デーブ!」と。飽きもせず。先生も止めない、私の朗読する声と、Kのデブコールしか聞こえない教室は地獄のようでした。私は耐えきれず、読み終わるころには泣いていました。その次の授業は午前中最後の4限、美術でした。しかし、私はさすがに耐えられず授業に行かずトイレにこもってしまいました。当時、私たちの年代では腕にマッキーで落書きするのが流行っていました。私は逃げはしたけど、Kや傍観者に負けたくなく、必死に腕に「負けるな」「がんばれ」「私ならできる」と書きなぐっていました。15分ほどして、美術の先生が私がきてないことを他の先生に伝えたのか、トイレに探しに来ました。しぶしぶ開けると、そこにはSがいました。たまたま授業がなかったのか、最悪のタイミングでした。その後、私は保健室に連れていかれ、Sと話をしました。Sは私が授業をボイコットした理由がKにあることを知っていました。しかし、自分がダムを決壊させたにも関わらず謝罪の一言もありませんでした。それどころか「それよくないから」と腕に書きなぐった文字を半ば強制的に消されました。

 毎日のように暴言を吐かれていました。【小説】【ボイコット】この二つは絶対に忘れることはできません。Kやその取り巻きは罪の意識が無く、周りの生徒、先生は誰も助けてくれず見て見ぬふり。そんな人たちがこの世の中にはびこっています。自分の存在意義、自己肯定感、今でも見失います。どんなにスキルアップして自分を磨いても。
 誰かは言いました、それっていじりじゃない?だって暴力されてないし。デブとかブスとかって日常でもよく聞くし。Kやその周りだけじゃなく、私も思春期だったことを忘れているのかもしれません。見た目を気にし出す年頃に、まだアイデンティティの確立していない女子に対してした行いと考えたらほぼ犯罪だと、私は思います。
結果じゃなくて、気持ちを考えて読んでほしいです。その時々の感情がないとその行動の結果には至りません。

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