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春のような温かさがいつもある学校に… 「どうせ」でなく「いや だからこそ」君の選択から学んだこと 〜心の宝物214

🌷寒々とした手洗い場で


コロナ機の学校
いい天気の午後でしたが、この日の掃除の時間にも、全開の窓から、冷たい北風が廊下を吹き渡っていました。
それがどうしたとでもいうように、5年生のフロアでは子供たちの掃除が熱を帯びていました。経験豊かな二人の担任の先生に導かれ、士気の高い集団に成長しつつありました。

お二人とも共通して、毎週金曜日に学級通信を発行していましたが、その末尾には、必ずその週発見した子どもたちのよさが端的につづられていました。無作為に綴られているようですが、ともに、児童名簿に一人一人の掲載回数をチェックし、過度なアンバランスや、何より「一度も掲載されていない」子を出さないよう、細心の注意を払って取り組んでくださっていました。

「単なる回数のチェックではなく、自分の目がどの子に届いていないか、一目瞭然で分かります」
生徒指導主事を兼務する学年主任の見識の高さに、敬意と感謝を伝えつつ、毎週届けられる学級通信を楽しみに拝読しました。

「給食のワゴンにこぼれたシチューをさっと紙ナフキンで拭いてくれたのは○○さん」
端的な箇条書きですが、その瞬間の子供たちのきらめきを見逃すまいと、目を皿のようにして子どもたちを見守ってくださる先生方の思いが伝わり、そのたびに、心が温かくなりました。

一心に手洗い場の床を掃除している彼も、しばしばこの欄に登場していました。

🌷「どうせ」でなく 「いや、だからこそ」君の選択から学んだこと


感染予防のために手洗いを奨励していることもあり、流し台周りの床にはどうしても水滴が飛びます。更に、その上を歩く子供たちの靴底が水滴を広げます。それでも、夏場には、乾いてしまう床も、この時期はいつも冷たく湿っていました。

彼はそこに膝をつき、一心に磨いています。湿り気を拭き取るのでなく、美しく磨きあげようという明確な意志が、リノリウムのタイルを一枚一枚拭いていく姿から伝わりました。

どれだけきれいに磨いても、掃除の終わりには手洗いをする子たちが長い列をつくります。もちろん、その子たちも、飛沫を散らさないよう丁寧に使用してくれるのですが、それでも、人気がなくなった後には、まるで掃除などなかったような状態になることは容易に想像できます。
周りの子たちも、きっと彼自身も、そのことには気づいています。

それでも彼の姿が緩むことはありません。
そんな彼の気迫が伝わったかのように、トイレで、階段で、廊下全体で取り組む子供たちの様子は、一層熱を帯びていきます。

「どれだけ磨いたところで、どうせ…」
どんなに気高く、誇り高い人でも、予想できる未来に、自分の努力が生きないことが明らかになっている状態で、なおその努力を継続することは決して簡単なことではない。いや、途方もなく難しいことだろう。

その岐路に立った君の選択は、「どうせ」ではなく、「いや、だからこそ」だった。
そういう方向に、自分を駆り立てることができる君を本当に素敵に思う。

「コスパ」という言葉が今、世の中にあふれている。そのことにかける労力と、得られる結果のバランスや総量を、言動を選択するときの一つの指標にしようとする考え方だ。

確かに、合理的かもしれない。プラスとマイナス、損と徳。物事の結果は、ある面では、このように利害や得失、数値や事実ではっきりと示される。経済的な合理性を追求する営みの中では、むしろ最優先されなければならない指標かもしれない。

しかし、これが、今後の君たちの成長や幸福を力強く支える指標と言えるかどうかというと、わたしにはどうもそうは思えない。

結果よりも、その過程の営みにこそ、人が生きるということの意味が生まれると思うからだ。
岐路で迷って、選び取って、結果に喜んだり、うろたえたり、迷ったり、途方にくれたり。もう一度分かれ道に戻った挙句に、大いに回り道をして、それでも目的地にたどり着かなかったり。

そういう経験からしか学べないことを学び取ること。それが、私たちが成長するということであり、生きることそのものでもあるのではないかと思う。お互いの姿に刺激を受け、自分の生き方を振り返る。それが学校で学ぶ値打ちではないかと思う。
現に、多くの仲間が、君の姿から思いを汲み取っている。そうして、自分の勇気に換えて挑戦している。

自らの姿で、学校で学ぶ値打ちを、君は示してくれた。ありがとう。
強靭で優しい君を心から尊敬する。

そんな思いでお伝えしました。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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