春のような温かさがいつもある学校に… ゆったりした表情や振る舞いの内にある強さ 〜心の宝物245
🌷登校中のアクシデント(218・219に追加掲載)
先の二人に「心の宝物で賞」をお伝えした日の昼休み、そのとき転んでけがをした1年生の児童が「1年生の○○君も一緒に助けてくれたんだよ」と教えてくれました。慌てて事情を聞き直し、翌日お伝えしました。
コロナ機の学校
秋が深まり、ずいぶん過ごしやすくなってきました。コロナ1年目のこの頃は、食事中以外はマスク必着。そのことによる熱中症の心配は、やや遠くなりましたが、それでも集団での登下校は、様々なことが心配される場面でした。
1年生の彼は、4年生のお兄さんと共に、結構な距離を歩く通学班でした。途中には、幅の狭い歩道が長く続きます。
「マスクを着けて、密集を避けて、おしゃべりしないで」
団子のように密集したり、ときにはちぎれたり。お互いや、自動車等も含めた他者の交通安全を損なわない範囲で、にぎやかに歩くことが、長い通学距離を歩きとおすときの、息抜きにも、エネルギーにもなっていたことでしょう。
それを想うなら、180度、真逆ともいえるような意識の転換を強いられたのが、コロナ機の登下校です。
そんな中で、子供達が自分自身や他者と折り合いをつけるのはなかなか難しいことだったと思います。事実、この頃は、結構な頻度で、登下校中のけがやトラブルの報告がありました。
この日の登校中、彼らの通学班でもやはり、アクシデントがありました。
🌷ゆったりした表情の内にある強さ
幅の狭い歩道でバランスを崩したのでしょう。1年生の児童が、ちょうど学校までの距離の中間あたりで転倒してしまいました。膝に結構な擦り傷を負って泣いています。
自宅へ帰るには、ずいぶん遠くきてしまった。第一、ご両親は、もう出勤された後でお家は無人。かといって、学校まではまだ結構な距離がある。
泣きじゃくる1年生を前に、通学班の子たちはどうしていいかわからず、上級生も困り果ててしまいます。
4年生の二人と、その一人の弟の彼は、顔を見合わせて話し合います。そうして、少し離れたところに「こども110番の家」があることを思い出します。
「こども110番の家の方にお願いして助けてもらおう」
3人はそのことを上級生に告げ、当該のお宅までお願いに走ります。
平成の大合併までは、一郡一町で行政が運営されていた地区でした。小学校、中学校もそれぞれ一つ。幼保小中一貫教育の機運と伝統が誇りとなっており、「校区の子は校区で育てる」という言葉が何十年も脈々と生きていました。地域活動も盛んで、「こども110番の家」制度にも、数十件のお宅が登録してくださっていました。それも名目だけではなく、子供達の登下校に声をかけてくださったり、気分が悪くなった子を待機させてくださったりと、名実ともに、子供を守る存在として実働してくださっていました。
事情を聞いたそのお家の方は、救急箱をもって駆けつけ、応急の手当てをしてくださいました。
けがをしたその子も安心したのか、学校まで送ろうとご提案くださったのに「自分で歩く」と答え、登校班は無事再出発。いつもよりは少し遅れたものの、全員が朝の会に間に合うよう校門をくぐりました。そこで出迎えた私に、その班の6年生が、このエピソードを「あの子たちのおかげです」と、目をキラキラさせて、語り聞かせてくれました。
4年生の彼は心優しき人でした。授業のときも、グラウンドで遊ぶときも、穏やかでゆったりとした空気をまとっていました。バレーボールを習っていて、仲間と円陣パスを楽しみます。習っていない子が、なかなかうまくパスをつなげず、照れ隠しにふざけてしまうような場面でも、いらだつようなことは決してありません。
もう一人の彼も、普段は実に物静かな人でした。運動能力が高く、敏捷な人ですが、思慮深く、言動の選択はよく考えて、慎重に断をくだす人でした。その代わり判断したら迷わない。周囲に左右されず、行動できる人です。言葉少なですが、誰にも区別なく、さりげなく、思いやりを伝えられる人柄は、周囲から信頼されていました。
1年生の彼は、最初の彼の弟でした。3つ違いでしたが体格に恵まれて背は兄と同じほど高く、顔だちも、優しい空気感もよく似ていて、毎朝出会う私ですら、しばしば、名を呼び間違えてたしなめられたものでした。泣きじゃくる同級生に寄り添い、励ましつつ、こども110番のお宅にも兄たちと共に走った姿の頼もしさは、ひときわ上級生の胸を打ちました。
穏やかに、ゆったりと。
いつもそんな空気をまとっている君が、同級生のピンチに際して決然と行動した姿が、その子はもちろん、上級生の胸をも打ちました。
難しい状況の中で、きっといくつもの選択肢を思い浮かべたことでしょう。その中から、最善と思われる解決法を選びとり、迷わず行動した君を本当に素敵に思う。
けが、と言ってしまえばそれまでだし、幸い重傷ではなかったことも事実だ。しかし、けがをしたその子は、どれほど痛く、恥ずかしく、心細かったことだろう。それを自分の痛みとして、心深くとらえた君たちの思いと、言葉と行動は、その子の悲しみをどれほどいやしたことだろう。
それはとりもなおさず、その子の心を、命を救ったということに他ならないと私は断言する。
あの朝、君はヒーローだった。
そんな君にあこがれ、誇りに思う。
そんな思いでお伝えしました。
かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで