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家族だから「他人」というまなざし
もうすぐお盆。遠くの家族も集まるシーズンです。
あなたにとって、家庭とは?
なんていうありきたりな問いをかけますが、一言でいうと何でしょう?
私にとっては、「牢獄」。。。。
また、ブッソウなって感じですが、それが一番近しい言葉です。
先日、知人に当然のように言ったら、むっちゃ引かれたので軽ショックでした(苦笑)
家庭という名の、ファンタスティックで、ノスタルジックな響き。
しかし、その家庭という名のもとに、どんな犠牲が出ているのか。
躾、夫婦喧嘩という名の「犯罪」の温床になっているのか。
「家庭内暴力」なんていう言葉
そういう言葉が市民権を得て、統計が最近取られて明らかになってきつつありますが、それまでも多々の犠牲があったわけです。
尊属殺人の加重刑罰が、1995年の刑法改正で取られるまではそういう刑があったこと自体が、家長制度のヒエラルキーを物語り、その中での多少の暴力は「然るべき」という考えが一般化していたのではないかと思います。
なんて、かたっ苦しいこと、暑苦しいことを書いていますが、
決して、私は法令に違反するような過激な人種ではありません~~
ただ、その悲劇や苦しさって「家族だから」という名の圧力があるからじゃないかと思うんです。
家族だから、つらさを分かってくれて当然だよね。
家族だから、多少痛めつけても、正しい行動をしてほしいんだよ。
(逆に、家族だから、痛みを伴ってもよい人間に仕立てなくては、という思いもあるでしょう)
何度も書いていますが、いわゆる家庭内暴力のある家でしたので、家って大嫌いだったのです。多分、母も逃げ出したかった。
でも、いつも母が私に語ったのは
「このおうち以外に、良い場所はないのよ。いくら他人が優しくしてくれても、それを信じてはだめ。この家だけが、あなたを守ってくれるの。」
でした。
まあ、「家出するなよ」という威嚇の意味と、母自身が自分を納得させるダブルの意味があったのでしょう。
家族も信頼できない
他人も信用してはいけない、という信念をもってしまった気がします。
でもね、理不尽なようですが、父をやっと認められたのは「他人」だと思ったときからです。
父を父だと思うから、憎いし、つらい。
でも、ただのおじさん。
それも、物心つないときに父親を亡くして、実母からも見捨てられて孤独に育ったおじさん。耳も聞こえづらいおじさん。
と思ったときに、赦せたんです。
「あ~この人も人なんだな。つらいんだろうな」と。
それまでさんざん、悪態ついて、反抗して、家を出て10年以上経ってからのことですのが。
でも、私にとっては天動説が地動説になったくらいの激震でした。
そして、それから、なんていうか、父が穏やかになっていったのです。
母が父の悪口を言っても、私が乗ってこないし、それどころか父の味方をするような視点を提示するので、母も悪口を言わなくなりました。
そんなこんなの、副産物でしょうか。
家族の中で、ひとりでも、そういう視点を持つと、家族システムが変わります。
たったひとりでいいんです。
まずそこから、と実感したのです。
これって、会社とかでも言えるのではないでしょうか。
部下だから、
上司だから、
経営者だから、
と、役割だけで見たり考えたりすると、一番大切なことを見逃しがちです。
「人」だから
という観点です。もちろん役割を果たすことも大切。
しかし、できないときもあるでしょう。
複雑な状況や、体調などなどで、冷静な判断ができなくなる時もある。
そんなときこそ、「人だから」
人だから、優柔不断になるときもあるよね
人だから、まようときもあるよね
そんな思いをちょっと差し込んでみると、世界はもっと優しくなっていくのでは、と思う夏です。
そして、そういうあなたの小さな波状が、大きなうねりを生み出すことが、組織ではままあります。
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