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雨季とそれ以外の季節で「生活の統治の仕方」が平等主義的とトップダウン的に変わる民族が興味深い・・・〜『万物の黎明』を読んで〜


はじめに

2月から仲間たちと読み始めている大著『万物の黎明』

この書籍の意図は著者が以下のように書いています。

本書で、著者たちは、人類のあたらしい歴史を提示するだけでなく、読者をあたらしい歴史学に招待したいと考えている。わたしたちの祖先に 未熟ではなく 完全なる人間性を復権させる、そのような歴史学である。

p48

本書の試みは、端的に、あたらしい世界史の基礎を築くことにある。

p48

ルソーのようなヨーロッパの思想家からは完全に袂を分かち、むしろ、かれらにインスピレーションを与えた先住民の思想家に由来をおくパースペクティブを検討しよう

p49

言い換えれば、これまでの歴史とされている内容においては、先住民は軽んじられてきたとのこと。

そんな先住民たちを正しく理解するために、さまざまな先住民が紹介されています。

いずれも興味深いのですが、今回はその中の1つ、第3章で紹介されている事例について紹介したいと思います。

季節によって生活の統治の形が変わる民族

ナンビクワラ族とは。一般的な評価。

今回紹介するのは、文化人類学者として著名なクロード・レヴィ=ストロースが調査したナンビクワラ族についてです。著者の彼への評価はこちら。

クロード・レヴィ=ストロースは、20世紀半ばの人類学者のなかで、初期人類はわれわれと知的に対等であったという考えをまともに受け止めた数すくない人物のひとり

そんなレヴィ=ストロースは、1944年にナンビクワラ族の政治に関する論文を発表したそうです。

ナンビクワラ族とは

ブラジルのマトグロッソ州北西部の人を寄せつけぬことで有名なサバンナ地帯に住む農耕と狩猟採集を生業とする小集団。

ナンビクワラ族の当時の一般的な評価は、『きわめて初歩的な物質的文化から、ぬきんでて素朴な人間集団であると評価されていた。そのため、旧石器時代への手がかりのごとくかれらを扱う傾向も強かった』だったそうです。

レヴィ=ストロースは彼らに何をみたか?

一方、レヴィ=ストロースの捉え方は違いました。

『農民や都市の人びとと売り買いし、ときに働き手として雇われながら、近代国家の影で暮らしている。なかには都市やプランテーションからの逃亡者の子孫すらもいるかもしれない。』

『とはいえ、かれらが生活を組織しているやりかたは、人間の条件のより一般的な特徴、とりわけ政治に関連した特徴を洞察する材料になる

『とくに示唆的であったのは、かれらが競争を嫌っていたにもかかわらず(争うような富はほとんどなかった)、統率者たる首長を任命していたことだった』

彼がナンビクワラに洞察した「政治生活の基本的諸機能」について以下のような記述がありました。

『首長の役割は、社会的にも心理的にもヨーロッパ社会の政治家の役割とよく似ているだけではなく、似た様な人格類型をも惹きつけている。』

「それ以外のほとんどの人間とは異なり、名声それ自体によろこびを感じ、責任を負うことおに強い魅力を感じ、そうした公務をになうことで相応の見返りをうる」人びとである、と。』

『現代の政治家は、異なる選挙区や利益団体のあいだの連携を仲介したり、妥協点を模索したりする、いわば「策士」のような役割をはたしている。ナンビクワラの社会では、富や地位の差があまりなかったので、このようなことはそうみられなかった。しかし、似たような役割を、首長ははたしていたのである。一年のうちの異なる時期に、まったく異なる形態をとる二つの社会的・倫理的システムのあいだをとりもつという役割である。』

1年のうちの異なる時期に、まったく異なる形態をとる二つの社会的・倫理的システムとは?

大きく雨季と乾季におけるそれらが異なると書かれていました。

雨季

数百人からなる丘の上の村に住み、園耕をおこなう
平等主義的に組織されている
・乾季よりはるかに気楽で物質的に豊かにすごした
・首長は、みずからの評判をたより、みずからの周囲に追随者を集め、村のなかで自らの周囲に住まわせた。穏やかな説得のみを用いつつ、先例でもってみちびきながら、追随者たちに家を建てさせたり庭の手入れをさせたりした。そのさい、かれらは病人や困窮者の世話をしたり争いを仲裁したりはするものの、だれかになにかを押しつけることはなかったのである。

それ以外の季節

狩猟採集の小バンドに分かれて生活していた。(1年のうち7、8ヶ月)
・この形態をとったとき、そこは平等主義的に組織されていない。
・首長は、乾季の遊動民的冒険のあいだ、英雄的リーダーとして行動することで、その評判を高めたり失ったりした。そのかん、かれらは一般的には、命令をくだし、危機を解決したりして、それ以外の季節には許容できないほどの権威主義的態度でふるまった。

レヴィ=ストロースのコメント

『彼らは家長ではないし、小さな専制君主でもない(一定期間、そのようにふるまうことが大目にみられたとしても)、神秘的な力をもっているわけでもない、と。資源をプールし、必要な人間にそれを提供するという点で、萌芽状態のささやかな福祉国家を運営する現代の政治家といったところである。』

※ここでいう「彼ら」とは、首長のこと。

『なによりも感銘を受けたのは、かれらの政治的成熟であった。乾季の狩猟採集を旨とする小バンドを指揮し、危機的状況下(川を渡ったり、狩りを指揮したり)での即断即決に長けていたからこそ、首長は、のちに村の広場で調停者や外交官としての役割をはたすことができたのである。しかし、かれらはそうすることで、(テュルゴーの伝統上にある)進化人類学者ならば社会発展のまったく異なる段階とみなすもののあいだを、毎年、実質的に往復していたのだ。』

『ナンビクワラの首長を、ことさらに[わたしたちに]なじみのある政治的形象にみせているのは、まさにこの特質である。つまり、個人的野心と社会的利益のバランスをとりながら二つの異なる社会システムのあいだを往復する冷静沈着な機転といった特質である。これらの首長は、あらゆる意味で自己意識的な政治的アクターであった。そして、かれらの柔軟性と適応性が、その時々に必要とされるいずれかのシステムについて、かくも開きのある視界をもつことを可能にしていたのである。』

ここでいう自己意識的な政治的アクターというのは、聴き慣れない言葉かと思います。本では、「じぶんの社会のとりうる方向性を意識的に考え、ほかならぬこの道を選ぶべきであるのはなにゆえかを公然と議論する、このような能力」「この能力を有している霊長類は人間だけとのこと。その意味で、人間は政治的な動物である、とのこと」といった話と紐づけて紹介されていました。なんとなく言わんとすることは掴めるのではないでしょうか。

さいごに

3章に書かれている内容だけでは、具体的にどうしていたのか?を理解するには足りないので、引き続き読書を進めたり、場合によっては実際の調査書を読むことで理解を深めたいという意欲が高まってきています。また、現代のナンビクワラ族の方々がどのように過ごされているかも調べていませんので、以下はその上で勝手な私見を書いていると思ってください。

私たちの多くにとって、生活だけではなく組織の統治にしても、1年を通して形態が別ものに変わることは決して身近ではないどころか、少し前であれば想像すること自体が難しいレベルかもしれません

言い換えれば、私たちは生活や働くことにまつわるシステムが極めて静的で変わらないものだと無意識に思うようになっていると言えます。

一方で、そこに対して21世紀になってから、少しずつ「流動性」が「生活」にも「働く」にもどんどん取り戻されてきているように思います。

これだけが要因とは思いませんが、IT社会という前提の上で、今回紹介したような先住民が実践してきた生活の統治・協働の、アップグレード版がどんどん生まれていくような予感がしています。

その1つの参照例が日本でベストセラーになった書籍「ティール組織」で紹介されている組織だと思います。(書籍で紹介されていない実践家の方もまだまだ世界中にいる、増えていると思いますが)

引き続き、学び取り入れられるものは実験していきたいと思います。

おまけ

書籍『万物の黎明』に関連して書いた記事はこちら。

ティール組織について書いた記事はこちら。


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