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平等・不平等・公平について学んでみよう。


はじめに

2月から読み始めている大著『万物の黎明』の中で「不平等の起源」や「平等主義的社会」といったキーワードが出てきます。

今度、書籍におけるそれらをテーマに友人たちと対話するのですが、まだまだインプットが足りず、本を読み込んでいってるところです。

公平と平等について過去に読んだ本を思い出した

その中で以前読んだ本のことを、ふと思い出しました。

それは落合陽一さんが書いた『日本最再興戦略』にある一節でした。引用します。

公平にこだわり、平等にこだわらない日本人

日本の歴史と伝統を冷静に見つめていくと、欧州式の概念の中には、日本には合わないものも多いことが分かります。

その典型例が、平等と公平という概念です。平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということです。何かの権利を一カ所に集めて、それを再分配することによって、全員に同じ権利がある状態を指します。それに対して、公平はフェアだということです。システムの中にエラーがないことや、ズルや不正を優遇しないということです。

p33より引用

平等と公平は全然意味が違いますし、本来関係がありません。たとえば、日本人は、センター試験でカンニングなどの不正が起きると怒るくせに、公教育に地域格差があったり、教育機会の差がある人が同じセンター試験を受けることに対しては無頓着です。センター試験さえ公平に設置され、公正に行われれば、文句を言いません。すなわち、日本人はゲームがフェアであることは意識するけれども、権利が平等であることはあまり意識しないのです。

p33より引用

落合さんの書かれているそれらが『万物の黎明』の中で語られているそれらと同じかどうかは照らし合わせていきたいところですが、例で紹介されているセンター試験の話は、確かに!と思いました。

そして、同時にこの教育格差に無頓着というのは、誰もがそうというわけでは当然なく、前提として一定以上恵まれた環境に育っている人にとってだとも思いました。

友人に在日韓国人の人がいますが、その人には選挙権がありません。また、以前、女性の友人と話している時に子育て後の復帰には大きなハンデがあるといった話や、子育てしながら時短で働くことが許される会社がまだまだ少ないこと(2014年当時)について話をしていました。

こういった状況でない限り、権利について考えさせられる機会がなく、権利の平等や公平性というテーマ自体が意識に上がる機会が少ないのでしょう。

独身者で健常者という私にとっては、そういった格差に直面する機会は多くなく、それゆえにまだまだこのあたりの情報が足りていない・意識が及んでいない、感度がまだまだ鈍いように思います。

公平についての感度が高くなってくると、例えば、学校では同じ学年だとしても4月生まれと3月生まれでは1年近く差があり、特に成長期ではあらゆる面で大きな差が出てしまう一方で、受ける試験や評価軸も得られるサポートも同一であることに違和感を持つようになる、ということでしょうか。うーん、まだまだ勉強中・・・

ちなみに、私は子どもの頃にいじめが原因で転校に至ったり、学校が変わっても登校拒否をしてしまった時期があるという経験はしてきたので、違った質の格差を実感する機会はあったし、そのことに大きく影響を受けたとは言えそうですが、ここでいう平等・公平と照らし合わせて捉えたことがありません。

また、受け入れる、適応するというのが1つの生存戦略だったとも言えそうなので、何かしらの権利を主張するどころか、そもどもどんな権利を持っているのか?ということに意識が及ばなかったようにも思いますね。

さいごに

そういったこともあり、せっかくの機会ですので、平等・不平等・公平などについての理解を深めたり、自身の経験と照らし合わせることで、手触り感を持てるようになりたいなと思っています。

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