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ソースプリンシプル提唱者ピーター・カーニックが過去に支援したケースについて少し語っている内容を紹介します


はじめに

2021年冬から探究実践しているソースプリンシプルにまつわる記事です。

ソースプリシンプルとは提唱者のピーターカーニックの発言を借りるならば

「私たちが何かを実現するときに行うことを説明したもの」

「他の人たちとのプロジェクトや事業構想を具体化するときに、何がうまくいくかを説明するもの」

といったものとなります。

今回は、2021年10月に収録された対談動画内でのピーターの発言から引用していきます。(注:以下の動画は日本語字幕はありません)

ピーターと対談しているのがフランチェスカという人物であり、彼女は『すべては1人から始まる』の原著者であるトムニクソンがPartnerをしているGreaterthanという組織の共同設立者だそうです。

Greaterthanとは?

リーダーや実践者、企業やネットワークが、自己管理型組織、分散型ネットワーク、実践に基づくコミュニティといった新しい組織形態を創造し、拡大し、移行していくことを支援

公式HPより引用

今回はこの動画の中からピーターカーニックが支援した組織について語っている内容を紹介します。

ピーターの支援エピソード

物事がうまくいっているときは、ソースプリンシプルが使われていることがわかります。だから、物事がどこかで行き詰っているときは、その理由がすぐにわかります。

次の部分はもっと難しいです。なぜなら、修正するために変化を起こすには何かを変えなければならず、その時に今お話にあったような抵抗が出てくるからです。

私のマネー・ワークは、実はお金との関係ではなく、人々の役割やアイデンティティとの関係なのです。

動画のピーターの発言から引用

ピーターがスイスで一緒に仕事をした障害者学校では、とある正式な役職のない女性セラピストがソースを担っていました。人々はいつも彼女のところにきて、いつも彼女を気にかけていました。彼女は全体の方向性を与えている一方で、問いかけられるまでは指示をしなかったとのこと。そんな彼女ですが、ピーターのワークショップに参加するまでは自身がソースを担っているという役割を認識していなかったそうです。

ソースを担っている自覚がない中で何かしらの弊害が起こったからこそピーターのワークショップに参加されたのでしょうね。どんなことがあったんだろう〜。

その後、自身が(そのイニシアチブでの)ソースであることを自覚しましたが、正式な構造の中に戻ってから「私がソースです」と言って回ることはできません。

すべては1人から始まる――ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』原著者のトム・ニクソンは書籍の中でこのように語っています。

復帰にあたって私が犯した間違いのひとつは、メンバー全員にソースという役割について説明し、その役割を私が担うと伝えたことだった。

私は浅はかにも、みんなが状況を同じような観点から見てくれるものと考えていた。しかしメンバーたちの意見は割れた。

私と同じように、ソースという考え方が腑に落ちたというメンバーもいた。その人たちはソース原理によって会社の現状をもっと建設的かつ明確な形で説明できることや、誰かを責めるような視点がなくなることも理解していた。

けれど、真逆の意見を持った人もいた。「2年も経って戻ってきて、よくも自分は特別な役割を担っているなんてえ言えるな」とぶつけてきた人もいる。これには私もお手上げ状態で困ってしまった。なぜなら、これは客観的な真実なのだと主張することはできなかったからだー誰がソースであるかは、一種の物語にすぎない。

この話の教訓はこうだ。自分がソースであると認めることは、周りに自分がソースだと「伝え」、皆もそれに納得してくれるだろうと想定することとは違う。

ここでの「自覚する」とは内的な行為だ。自分がソースだと認識し、その責任を果たせば、クリエイティブ・フィールドがうまく流れていく可能性が高い。誰かに指示命令したり、まとまらない合意を得るために奔走したりする必要もない。いちいち言葉にしなくても、ソース原理を活かすことはできる。「ソース原理」という言葉すら口にしなくていい。もちろん、ソース原理について説明するのは構わない。

p127から引用

ですので、どうすれば彼女がその全体構造の中で自分の居場所を確保し、認められるようになるか、段階的な組織化を検討していったそうです。

動画ではその具体的な方法について語られていませんでしたが、それは知りたいところ!

その後、2、3年のプロセス(文化的な変化)の中で、そのことを好まない人は去っていったり、ある人はすぐに理解し、協力的に彼女が適切な役割を担うことをサポートしてくれたそうです。

この、「人が去る」という現象はソースプリンシプルに限らず、様々な変革の取り組みの中で起こりうる話ですよね。

さいごに

今回は少しではありますが事例の話でした。私が今約2年半ほど伴走している組織はソースプリンシプルが間違いなく役立つと感じている一方で、外から押し付けるものでは決してないため、自然とソースプリンシプルと言わずにエッセンスを語る機会があれば、それに任せる、という自然農法のようなアプローチを取っています。その結果、ここ半年くらいから経営者の方には直接そのエッセンスを話す流れができてきたり、幹部候補と言える人には書籍や関連動画をスムーズな流れで共有するといった動きが出てきました。

このままいけば、事業の承継といったテーマと合わせてソースプリンシプルも共有していくサブイニシアチブを立ち上げる流れが出てくるかも?そんなことを思ったりしています。

自分が探究して楽しむことと、クライアントの支援は別ものですので、今回のような海外情報からもインプットすることを続けて、「その時に」楽しみながら備えていきます。


ソースプリンシプル提唱者シリーズはこちら。


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