「自然の人間化」という視点が興味深い〜今西錦司氏に学ぶ〜
はじめに
たまに、今西錦司氏(故人)にまつわる記事を書いています。
各種メディアでも取り上げられている京大の前総長であり、ゴリラ総長とも言われる山極寿一さんの、師匠である伊谷純一郎氏の、さらに師匠であり、「文明の生態史観」で有名な梅棹忠夫氏、KJ法で有名な川喜田二郎氏の師匠でもあり、他にも様々な人に影響を与えた人物です。
氏の膨大な叡智に触れる上で入門として、JUNKANだいこんという団体の中でオススメしてもらったのが書籍『岐路に立つ自然と人類―「今西自然学」と山あるき』でした。
その団体の仲間達と読書会を行い、昨年読み終えることができました。
今回は、最近、読み直す機会があったので、その中から一部面白かった箇所を紹介したいと思います。
「私の自然観」というパートで面白かったところ
このパートの中で、今西氏が自然と人間の関係の変遷について書かれた箇所がありました。そもそもこの文章は、1966年以前に書かれているため、歴史的に正しいプロセスなのかどうかはリサーチしてみないと分かりません。ただ、今西氏のまなざしに映った、私には大きく3ステップに思えた自然と人間の関係性の変遷の枠組み自体が、面白かったので引用しながら紹介します。
(1)自然という体系からの人間の離反・離脱
まず1つ目。
(2)人間世界に住む人間の利用対象としての自然
続いて2つ目。
(3)人間による自然の人間化
最後に3つ目。
面白かったこと
この3つの中で、特に3つ目の「人間による自然の人間化」です。私は、母方の実家は農家ですが、私自身は都市で生まれました。北海道や長野に住んでいたこともあり、その頃は、人間化されていない自然と触れ合う時間を持てていたように思えますが、それ以降以外のほとんど、ただ自然だと漠然と思っていたそれらは「人間化された自然」だったのだ、と思い、そういう風に考えたことはなかったなぁと思ったのです。
さらに興味深かったのは、上記の3つについて書かれている文章の後、最後に書かれている以下の内容です。
これは人間による自然の人間化に対して肯定的というか、不可逆なこととして諦観のような質感を感じました。
また、今西氏はそう言っていないかもですが、広義では、人間による自然破壊やその後の自然保護(自然の人間化)が、進化のプロセスだと捉えているように思えましたし、徹底して人間と自然を分けたものとして捉えない、含んだものとして受け入れている視座のようにも思えて、新しい視点を得た感覚がしました。
さいごに
以前、2019年12月に発売された雑誌「WIRED」の内容について記事を書いたのですが、その中で合成生物学、ヴィーガンチーズ(牛のゲノムの中の牛乳タンパク質を生成する遺伝子配列を改良・合成して、それを酵母菌に組み込んだ。新たな機能をもった酵母菌は、発酵の過程で牛乳タンパク質を効率よく生成することができる。これを原料に使用したもの)といった話題が出てきました。
これも、自然の人間化と言えそうですし、他にはデザイナーズベイビーという生まれてくる子どもたちを遺伝子編集する未来についても書かれていて、こちらはもはや、人間の人間化と言えそう。
詳しくはこちらの記事を読んでみてください。
そう考えると、今西氏の言う以下の発言
というプロセスが、人間という自然にまで手が及んできているのが21世紀だと言えるでしょう。
これは、1つには「進化」及びそれに伴う必然という立場もありますが、どこかであまりいい気持ちがしない感覚もあります。
あえて、100%人間化された自然や人間で溢れた地球、人間社会をイメージしてみる時間を、友人たちととってみる、そんなことをやってみてもいいかもしれない、と思ったのでした。
今西錦司氏に関連する記事はこちら。
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