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佐藤航陽さんのいう「テクノロジー3つの本質」を数・数字に当てはめて本質に迫ってみた。


はじめに

数・数学のそもそもを辿る学びの旅vol.4です。前回の記事はこちら。

「数学はテクノロジーだとしたら・・・」

私は2ヶ月前くらいから数や数学の成り立ち・歴史について学んでいるのですが、上記は「数学とは何か?」という思考の森に迷い込んで途方にくれていた私がふと閃いた言葉です。

そして、その時に思い出したことがありました。『未来に先回りする思考法』という書籍の中で紹介されているテクノロジー3つの本質という内容です。

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これは2017年に出版され、いまだに売れ続けている『お金2.0』の著者であり、メタップスグループを経営している佐藤航陽さんという方が書かれている本です。2018年にディスカバリー出版から青色の装丁で再販?されていますが、個人的には内容の充実度という点で上記のバージョンをオススメします。

数・数学を「テクノロジー3つの本質」と照らし合わせてみた

この本にはこんな内容が書かれています。特徴の抜粋と簡単な考察を紹介していきます。

『テクノロジーの変化を点ではなく線で捉えるためには、まずはテクノロジーそのものの特徴を理解しておく必要があります。あらゆるテクノロジーをマクロに見れば、その本質的な特徴は、次の3つに絞られます。』

本質その1「人間の拡張」

・石器時代からインターネット時代まで、すべてのテクノロジーは、何らかの形で人間の持つ機能を拡張してきた。
 
・テクノロジーの規模が大きくなり、そのメカニズムが複雑になるにつれ、何を拡張しているのかは実感しにくくなるが、その本質は変わらない。・その結果、一個体だけではできないことを実現可能にしてきた。

<数学に当てはめてみる>
これを書いた当初は、数学は人間の持つ「数える」という機能を拡張してきたのではないかと思っていました。しかし、「数える」ということが人間の機能なのかと言うと疑問が残ります。

なぜかというと、数えること自体がテクノロジーであると思えるからです。

では、数えることの前にあるものは何でしょうか?原始時代に数える必要があったとしたら獲物の群の数、同じ部族の仲間の数だったでしょう。その数える行為を必要としたのはなぜでしょうか?

それは「所有」を認識するためではないか。なぜ獲物の数を数えるのか。それは生きるための食料にするため。
 
つまり、獲物=所有する前のもの。なぜ仲間の数を数えるのか。それは、自分の仲間がちゃんといるのか認識するため。つまり、仲間=所有している人間(ここでの所有は共有な気もするが)と言えるかもしれません。

考えてみれば、現代においても自分のもの(あるいは仕事にまつわるもの)でないものを数えることはほとんどないのではないのでしょうか。

そのように考えると数学は、人間の持つ「所有意識」という機能を拡張したものだ言えるかもしれません。

もし、そうだとしたら以前こちらの記事で書いたように古代の帝国において数学が統治者が統治をしやすくするために活用され、数学そのものだけではなく、派生して様々な技術が加速度的に生まれていったことも何となく合点がいきます。

当時の時代背景を考えれば、数学を活用し(主に幾何学や測量)民の生活を安定させることは、外部の脅威に備えるだけではなく、領地の拡大のためにも必要なことだったからです。ここには多分に統治者による所有を拡張するという意味があるように思います。

本質その2「人間への教育」

・テクノロジーには、時を経ると人間を教育しはじめるという性質がある。

・人間は課題を解決するテクノロジーを発明する。そして、時を経るにつれそのテクノロジーは社会構造に組み込まれていく。そして、いつしかそのテクノロジーの存在自体が人間の精神や行動を縛るようになる。

<数学に当てはめてみる>
数学の進化の過程で、幾何学が生まれ、天文学、物理学など発展し、大航海時代などにも繋がりました。また、簿記が生まれ、株式、債券などが生まれていき、資本主義がグローバルに拡がっていきました。このように考えると、人間は数学に教育されているとしか思えません。
 
また、私たちのほとんどはグローバル資本主義下で数字から生まれた数字だけに囲まれていて、それが当たり前だと思っています。そういう意味で、数字の母は、大自然であり森羅万象であることを忘れているでしょう。

本質その3「掌から宇宙へ」

・テクノロジーは人間の持つ機能の拡張であり、その拡張は常に「身体の近く」から始まった。

・最初は手足から、次に身体を離れて、室内に配置され、室外へ飛び出し、距離を克服し、最後は重力を克服して空へ、地球を飛び出して宇宙へと向かっていく。

<数学に当てはめてみる→うまくできない・・・>
これは、人間の所有を拡張するツールとしての「数学」で考えると、すぐには分からなかったので今回は「数える」という行為で当てはめてみます。
 
数えることは最初は指で行なっていました。(本当の最初は頭の中!?)そういう意味では、まずは手足から始まったことに合います。

次に、棒や貝、紐などを用いて数える方法がありますがが、これらは室内に配置されたと言ってもいいかもしれません。

そして、前に記事にも書きましたが、ある時から数は数える対象となる物体と切り離されて、数字そのものとして扱えるようになりました。これは、重力を克服して空へと言ってもいいかもしれません。

そして、四次方程式以上は、アインシュタインの相対性理論の発見に繋がっているため宇宙へと向かったと言っていいのかもしれません。

さいごに

以上、佐藤さんの語る「テクノロジー3つの本質」のレンズを用いて数学をテクノロジーとして捉え、その本質を掴もうとしてみました。

しかし特に3つ目についてはまだ勉強不足ゆえ、強引な理解だと思いますし、そもそも数えると測るは違うのに混同しているなど考える余地がたくさんあります。

もともとは、ただ数学を学ぶことに意味を見出せなくて、その背景にあるもの、その根源にあるものを理解したいということから始まったのがこの学びです。

(思えば、遠くへきたもんだ)

しかし、数学自体が相互に作用しあって進化しているので、生態進化的に理解しようという試み自体が無謀なのかもしれませんね。

※この探究に関連する記事はこちら


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