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社会人がゼロから考える「数・数学って何だろう?」vol.3〜浮かび上がってきた仮説〜

数・数学のそもそもを辿る学びの旅のvol.3です。前回の記事はこちら。

1冊目として選んだ書籍を読み始めていくと、数学の誕生についての著者の主張が紹介されていました。勝手に要約するとこんな内容です。

古代メソポタミアでは、羊の所有者が、羊飼いに羊を預けて遊牧してもらっていた。

しかし、途中で行方不明になったり、勝手に物々交換されてしまった場合、羊の数を覚えておかなければ気づかずに損をしてしまう。その対策として、自分の保有する羊の数と同じトークン(粘土製のメダルのようなもの)を作り容器の保管する方法が使われていた。

しかし、この方法にも欠点があった。それは誰がこの容器を管理するのか、ということだった。羊の所有者も羊飼いも不正が可能だったからだ。

この対策としては、トークンを入れる容器に双方のサインをして、閉じる方法が使われた。途中で開けたら不正が分かるからだ。

それ以降、粘土版に数を記載するようになっていったが、いずれも羊用の記号を並べる方法だった。(例えば、羊を表す記号が○で8頭を表現したい場合は、○を8つ書くように。)

しかし、ある時から羊の記号と、数字の記号が別になった。(羊8頭を表すには、○8。牛8頭の場合は△8のように。ちなみに上記も含めてこの記号はあくまで例なのであしからず)

著者は、このことを数が数える対象から自由の身になったと書いていた。
そして、この時から数は現実の物体と分離し、抽象化へと向かい、それが数学という学問の成立につながっていく。だから、このときが数学の誕生なのだ。

「うーん、面白い!!」

また、こんなことも書いてありました。

現代でも、先住民のなかには数を表すのに限られた数字しか使わない人々がいる。たとえば、アマゾン川の支流、マイシ川沿岸で狩猟や採集生活を送るピダハン族の人たちにとっては、数は2までしか存在しない。それ以上の数は、「いくつか」または「たくさん」を意味する同じ言葉で表す。

やはりアマゾン川流域で暮らす先住民のムンドゥルク族の人たちは、片手の指の数、つまり5までしか数えない。

私は古代メソポタミアの話と先住民の話を見比べた時にふと思いました。前者はその後、数学が進化していきましたが、後者は、いまだに数学の進化がありません。
 
この違いは何から生まれたかというと一緒に暮らしている集団の大きさです。
 
数学が進化していった民族は、国家を形成しています。
数学が進化していない民族は、少数民族です。
 
古代エジプトや古代メソポタミアでは高度な数学や測量が行われていた記録が残っています。また、天文学、暦もありました。その目的は、民の生活や王家の権威の安定のため。ということは、数学は国家がなければ進化していかなかったと言えるでしょう。
 
では、そもそも数、数えるということはなぜ必要になったのでしょうか?

これについては書籍「ぼくと数学の旅に出ようー真理を追い求めた1万年の物語ー」だけではなく「数学は歴史をどう変えてきたか:ピラミッド建設から無限の探求へ」という本を読んだことで1つの仮説ができました。

書籍によると、数を数えることは定住することで必要になったそうです。

定住することで、牧畜を行うようになる。
そこで家畜の数を数える必要が出たそうです。
 
農耕においては、暦を見て効果的に育てる必要があったり、収穫の際に出た「余剰」を預ける上で数字が必要になっていました。
 
メソポタミアでは粘土板に自分が受け取る予定の作物の量が記入されていました。
 
この粘土板をお金の起源だと言っている説もあります。
 
結論というわけではありませんが、今の時点では
 
数とは、大人数で生活する上で
統治する側にとっては効果的に管理するために必要なもの。

自然のサイクルを読み、自然災害から身を守るために必要なもの。
農業を効果的に行い、食料を安定的に確保するために必要なもの。

つまりは、国家を安定的に運営するために必要なもの。
なのではないかと思えてきました。
 
本を読んで行く中でこの文脈とは違った用途?必要性?があるのは感じていますがその言語化はまたこれからです。
 
また、
・そもそも人はなぜ国家を必要としたのか?
・少数部族の中でも農耕、牧畜を行なった部族では数学は進化したのか?


といった疑問も湧きましたが
それもまたおいおいということで。


※続き的な内容はこちら。




 

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