【前編】自己分析は「言い訳づくり」のために行うべきではない?:ACTにおける「体験の回避」と「変容のアジェンダ」「創造的絶望」の考え方について
こんにちは、すぱ郎です。
リワーク時代に作っていたスライドを読み直していて、少しドキッとした内容のものを見つけたので、自戒も込めて紹介してみようと思います。書いてみると予想以上に長くなったので、今回を前編にして、2回に分けて投稿したいと思います。
心の病気になって休職したりした経験のある方は、多かれ少なかれ休職を契機に
「どうしてこうなってしまったんだろう」
「何が原因でこうなったんだろう」
といった事を自分なりに掘り下げて考えた経験があるのではないかと思います。
例えば「自分の〇〇な性格のせいだ」とか
「職場で□□が△△であった時に▼▼しなかった事にも原因がありそうだ」
といったようなことです。いわゆる「自己分析」です。
私が以前通っていたリワーク(精神科デイケア)でも、復職を目標にしている利用者は、一部の方を除いて強制ではないものの自分の休職したきっかけや原因、これからの対策などをまとめたレポートを作成・提出・更に(人によっては)発表をしていました。
<少し今から自分語りになりますが、本題と若干ずれるので興味のない方は適当に読み飛ばしてください>
私も多分に漏れず、利用を開始してしばらく自己分析のレポート作りに取り組んでいた時期があります。人によって好き嫌いはあると思いますが、私は心理系の書籍やワークブック等を通じて自己分析を深める作業が割と嫌いでは無かったので、特にリワークのスタッフに指示されなくても一人で勝手に色々と自己分析を進めていた記憶があります。
しかし、結局一人で進めて深堀りしていたつもりになっても、どん詰まりの壁にぶつかってしまった時期があります。色々と自分なりに調べつくした結果
「自分は〇〇で□□で△△なんだ。これはそう簡単に変えられない。だから復職してもすぐに再発するからできない。一体どうしたらいいのか分からない、もう絶望だ!」
みたいな不安や不満をリワークでのグループワークでぶちまけてしまった事もあります。
当時そのグループワークに同席していた心理士の先生にワーク後に色々と助言を頂いて、その際にACT(アクセプタンス&コミットメントセラピー)を紹介してもらって、自分で調べながら色々と取り組んでみて、それでも時間がかかりましたが、メントしてなんとかあの時の自分を少し乗り越えることが出来たかなぁと思っています。
(とはいえ別にACTを何にでも効く特効薬だとは思っていません。たまたま当時の自分に足りないものをそれで補えた、という認識です。)
あのまま誰の助言もなく誰にも相談せずただひたすら一人で考えたままでいたら、きっと自分は今の仕事に復帰していなかったと思うし、別の仕事への転職を実行していた可能性が非常に高かったと思います(実際、直近の休職当初は復帰は相当難しいだろうと自己判断していて、辞めても迷惑がかからないように事前に色々と指示されていない部分の後始末もした上で休職に突入しました。)今復職したことが良かったのか悪かったのかは、これからの自分にしか分かりませんが、少なくとも今自分は元の仕事で働けている事に喜びを感じています。
ACTに関する記事は過去に2つほど投稿していますので、興味のある方は一度ご覧ください。
話を戻しますと、自己分析を進めると「~~だから、今こうなったのは仕方ない」という結論に達する事は、決して珍しい事では無いと思います。
しかし、今の自分だからこそ強く思う事ですが、そのような因果関係を自分の中で結びつけることは、タイトルにある「体験の回避」を自身で強める結果につながりやすいとも考えます。心理療法系のアプローチを一人で進めるある種一番のリスクは、もしかしたらここにあるのかもしれないとさえ思います。
上図はACTの書籍にあるものをレポートにまとめ直したものです。本来ある「もともとの苦痛」から回避すると、結果さらなる苦痛を招く結果となり、更にそこから回避を重ねると、さらに別の苦痛をまねく苦痛になる、という悪循環を示す図になっています。これが「体験の回避」とよばれる現象です。この考え方に基づくと、「もともとの苦痛」と向き合わずに回避的な行動を重ねると、かえってさらなる苦痛を招く要因になってしまうという事になります。
※補足しておくと、この「体験の回避」は全ての苦痛をもたらす要因に当てはまるわけでは無いと思っています。「何が何でも逃げないといけないもの」に対しては、それは当てはまらないと考えます。私の場合は、たまたま立ち止まるきっかけになったというだけですので悪しからずです。
私の場合は、休職前後から仕事の事を考え、仕事と向きあう事がとにかく苦痛でした。なので、
「仕事と向きあい続ける限りこの苦痛は無くならないのだから、仕事からなるべく距離を取らないといけない。だから復職出来ないし、このままの状態が続くなら転職も視野に入れるしかない」
という考えに休職してしばらくの間強くこだわり続けていました。実際に、2度目の休職に至ってしばらくの間は
「よほどのことが無い限り今の仕事に復帰する事は出来ないだろう。だってまたどうせ同じことを繰り返すにきまってるんだから」
という信念というか確信めいた思いが強く自分を支配していました。認知行動療法やスキーマ療法などに取り組んでいた時期も、自分の事が分かってくる一方で、その理由の言語化も進み
「ほら、だから自分は同じことを繰り返してしまうんだ。だからもう今の仕事から離れるしかないんだ」
という思いをかえって強めていた側面もあったように思います。
今となってはそう考えてしまうのは、逆説的に私が今の仕事に対して「とても強い価値観」を抱いていたからに他ならなかったのですが、当時の自分はそれと向き合う苦しさから距離を取る以外の選択肢が思い浮かびませんでした。
しかし、この「体験の回避」の考えを知ってから、少しずつその認識が変わったのを記憶しています。あのタイミングでこの考えに触れなければ、今自分が復職していたかどうかさえ怪しいと、今でも思っています。なんせ一時期は職業能力開発センターに連絡を取るところまでいきましたから。
話を戻すと、この「体験の回避」は「自分の苦痛を伴う価値から遠ざかれば遠ざかるほど、かえって苦痛を強める」という性質を持っています。
対策としては、「自分の価値から生じる苦痛であるならばそれを一旦受け入れたうえで、価値に基づいた別の行動が出来ないかを試す」という事になります。この「価値を受け入れる」が非常に重要になると思っています。
そもそも「自分の価値とは」といったものを掘り下げる作業が進まないとこの辺りを進める事は難しいのですが、その方法については成書を参考にしていただくか専門職の支援を受ける事が良いと思っています。
まず「自分の中の価値」をきちんと見定めたうえで、そこから目を逸らさず、かといってとらわれすぎず受け入れる事が「体験の回避」を軽減する最初のステップかもしれません。マインドフルネスも一つの有効な手段になりえると思います。
思った以上に記事が長くなってきたので、「変容のアジェンダ」「創造的
絶望」についてはpart2としてまた再度投稿したいと思います。
この記事を通して伝えたい事としては
①「体験の回避」という概念を知った上で、それでも自分にとってそれは回
避すべきものなのか、それとも向き合うべきものなのか を考える事は重
要な事である。
②しかし向き合うにはそれ相応に心身に負荷もかかる。自分が今それを行
える状態や環境にいるのかを見極めて取り組まないといけない。周りに助
言や支援を受けられる環境であることが望ましい。
③少なくとも仕事に対して一定程度価値を持って取り組んできた人は、それ
故に苦しむこともあると思うけれど、だからこそ、自己分析を言い訳づく
りのためだけに活用しないように気を付けた方が良い。
という3点でした。あくまで自分の体験ベースの話なので偏りはあると思いますが、同じように苦しんでいる人に少しでも参考になればとも思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
追記:後編もUPしました。
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