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言い訳は聞かない

わたしは、言い訳を聞かない。理由は、どうでもいいからだ。事実がそこにあって、その現象を受け入れるのはわたしの都合でいいと思っている。

何がどうでもいいかというと、わたしに言い訳をしなくていいからだ。わざわざわたしに言い訳をしなくていい。

誤解であってほしい気持ちがあったり、背景や事情を理解したいと思えば質問をするけれど、質問もしていないのに言い訳をされることは、本当にどうでもいいこと。

仕事の場合は、わたしがどうでもいいだけじゃ済まされないから、言い訳も含めてそこに至る感情までも原因追及と対策が必要。とても面倒くさいし、個人的にはもうどうでもいいという感情に理性で対応し、粛々と進める。

しかしプライベートだと、本当に心の底からどうでもいい病が発動する。

例えばわたしにストレスを与えたくない、誤解されたくない、わかってほしい、という言い訳そのものが多大なストレスなのだ。そんなストレスを与えないでほしい。わたし自身がその現象に対して、本当の事を知りたい、あなたの気持ちがわかりたい、何かそうならないようにできたのかもしれない、という気持ちが前提にあればちゃんと行動は起こす。

しかし、別にどうでもいいから言わない。事実がそこにあって、なるほどね、で終わることはもう何も話さなくていい。

こうやって書いていくと、ものすごく大きなことのように聞こえるけど、本当に些細なことでもそうなのだ。そしてその感情は相手を否定することでも、関係性を終わらせるほどの決定打という意味でもない。

うちで飼っている犬が、わたしの髪留めをバキバキに噛んで壊していた。二度と修復は不可能な無惨な状態だった。プラスチックの破片が口の中で刺さっていないか、切れたりしていないかを確認する。飲み込んでないことを祈る。ただそれだけ。気に入っている髪留めだったし、同じものは買えないけれど、その髪留めが修復されることもないから全く同じことが起こることもない。こんなことをしたらダメでしょ!と怒ったりもしない。届くところに置いてしまっていたことを後悔するけれど、別にもうその髪留めが割れた理由なんてどうでもいい。

つながる縁はつながるし、つながらない縁はつながらない。モノも人も同じ。しかも残念ながら手に取るようにやっぱり空気は伝わってしまう。

これは終わるなってタイミングが来たら、いつかは終わるのだ。あの時やっぱりそう思ったんだよね、ということは後から気づくような仕組みだと思っていたけれど、いつかその時が来るなってのが先にわかってくる。これが年の功というものなのだろうか。

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