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My life story01[パーマカルチャー編]

「自然とともに生きる美しさを、世界に。」をミッションに生きる私のライフストーリー。ここでは、普段語りつくせない私の旅路をプロローグ編、パーマカルチャー編、コーチング編の3章に分けてお届けします。
パーマカルチャー編では私が、
・フィンドホーン・エコビレッジでの衝撃の体験
・パーマカルチャーに出会うまでの旅
・いのちと繋がっていた幼少期の原体験

をお伝えします。


フィンドホーンへといざなう運命の電話

 実は、コーチングとパーマカルチャーという、いまの活動の軸である2つの概念に出会ったのは、2016年に訪れたフィンドホーン・ファウンデーション(以下、フィンドホーン)というコミュニティでのことでした。そこは、60年続くヨーロッパでも最大級のエコビレッジであり、スピリチュアル・コミュニティで、毎年世界中から1000人を超えるゲストが集まる場所でした。

 少し長くなりますが、まずは私がフィンドホーンでの体験について物語をお話させてください。

 プロローグでお話したように、当時大学2年生だった私は、環境問題への関心が高く、フィリピンやインドネシアにインターンという形で訪れ、地球で起きている環境問題の現状やそこに暮らす人々を知りました。そして彼らの暮らしを知れば知るほど、先進国から短期間、滞在するだけの自分が、彼らを変えようとすることは間違っている、と思うようになっていました。

 豊かな環境資源を搾取するように仕入れ、大量生産・大量消費を繰り返すシステムを動かし、利益を享受しているのは私が生まれ育った先進国で、私たちが変わらなければ豊かで美しい自然環境も、そこに住む人たちの暮らしも守れない、ということを痛感し、日本に帰国していたときのことでした。

 先進国に生まれた私だからこそ、何かできることはないのか。その答えを模索していたときに、私をフィンドホーンへといざなう運命の電話が鳴りました。

 そのとき、私は久しぶりに友人と会っていました。その友人のもとに、大学の講師からたまたまかかってきた電話、その内容はこうでした。「ヨーロッパのエコビレッジなどをまわるツアーに参加しようと思う。荷物持ちとして一緒に参加してくれる学生を募集しているのだけど、来ないか?」

 それが、私の運命を変えた「よく生きるツアー」という、榎本英剛さんが主宰するフィンドホーンとトランジションタウン発祥の地トットネスを訪れる2週間のツアーでした。

 その内容をたまたま隣で聞いていた私は当然、興味をそそられました。ヨーロッパでは、環境問題や気候変動をどのように捉え、どんな方法が模索されているのだろう。「もしかしたら、そこに私の答えがあるかもしれない!」居ても立っても居られなくなった私はその友人に、もしあなたが行かないのであれば、その講師の方に繋いで欲しい、とお願いをしました。

 数日後、なんとその友人がバトンを渡してくれ、その講師の方とお話をさせていただき、フィンドホーンへの訪問が決まりました。


次元の違う異文化に迷い込む

 そうして意気揚々と訪れたフィンドホーンでしたが、ほとんど予備知識なしでいった私はその初日、”スピリチュアル”コミュニティでもある彼らの話の内容や、独特の文化に圧倒されてしまいました。

 私が知りたかったのは、どうしたら人と自然が共生できるのか、地球のために私たちに何ができるのか、ということだったのに、始まったのはみんなで円になって座り、真ん中にキャンドルを灯し、「地球のキャンドルに火を灯して、ここから世界に向けて祈りましょう。」といった調子のガイド瞑想……!

 当時は、瞑想もチェックイン(フィンドホーンではチューンインという)も経験したことがなく、スピリチュアルが本質的に示す意味も分からなかった私はとにかく驚きました。何が起きているのか分からず、何のための時間なのかもつかめず、「私はどこに来てしまったんだろう???」と頭に混乱が生まれていました。初日は頭痛もありディナーも食べれず、布団の中でフィンドホーンの空気に呑まれまいと抵抗していました。

 それまでもフィリピンやインドネシアで、衛生概念や宗教の違いなど、たくさんの異文化に触れてきたつもりでいましたが、また次元の違う異文化を体験することになったのです。

 初日はそんな調子の私でしたが、2日目にして、私の緊張は解かれます。60年もの間続くコミュニティというだけあり、プログラムの質がとても高かったのだと思います。2日目に行われたチームビルディングのワークは、言葉を使わずにお互いを感じてみたり、音楽に合わせて踊ったり。エネルギーや瞑想がわからなくても純粋に楽しめて、そして心が開かれる時間でした。

 また、2日目以降、実際にフィンドホーンで行われている、オーガニックファームやコンポスト、バイオ浄水システム、風力発電、エコハウス、地域通貨、自然葬など、”エコ”な取り組みについてもたくさん視察することができ、私の好奇心は満ち満ちていました。


”If it’s not fun, it’s not sustainable!”
(楽しくなきゃ持続可能じゃないよね!)

 エコビレッジに住む方々や、トランジションタウンという市民活動をしている方々の話を聞いていくうち、私は環境問題や地球で起きている複雑に絡み合った問題の本質に気づき始めていました

 それまで私が見ていた環境問題は、解決しなければいけない”問題”であり、そこには「恐れ」や「怒り」「罪悪感」といった感情がありました。ですが、このツアーでかかわった人たちはアートやユーモアを交えながら「楽しさ」や「つながり」を大切にしていました。それは、私がそれまでずっと持っていた、「なんで他の人たちは環境問題にこんなにも無関心なのだろう?」という怒りに近い疑問に答えてくれました。

「楽しそうじゃないから。」

 自分が満たされていないのに、ほかの人や種、星のために時間を使ったり我慢したりしようとは思えない。シンプルなことでした。逆に、私たちが楽しくて参加したくなってしまうものであれば、無理をしなくても持続可能な形で続いていく。そんなことをフィンドホーンではこう伝えていました。

”If it’s not fun, it’s not sustainable.”
「楽しくなくっちゃ、サステナブルじゃない!」

 これこそが私がフィンドホーンで得た最大の気づきであり、私の人生の方向性を定める指針となりました。さらに言えば、現実に起こる変化は外側だけで起こるものではなく、私たちの内面、内側の変化とも連動していることに気づかされました。

 だからこそ、エコビレッジやコミュニティでは、瞑想やコミュニケーションガイドラインなど、内面に変化を促すための工夫が散りばめられているのだと思いました。さらに、そこで暮らしている人たちが楽しそうにしていたら、自然と人が集まり、コミュニティが続いていく。

 「そうか。おもいっきり、楽しんでいいんだ!」この気づきを出発点に、私の旅が新たに始まります。


世界のエコビレッジ巡りとパーマカルチャー

 私のパーマカルチャーの最初の師は、フィンドホーン・ツアーで出会ったクレイグというオーストラリア出身の陽気なパーマカルチャリストでした。彼はとてもエネルギッシュで、陶芸やディジュリドゥなど様々な才能を持つアーティストでもあります。

 当時は彼のパーマカルチャー・ガーデンを見ても何が特別か分からなかったのですが、鶏の走り回るガーデンのガイド中にいたるところで立ち止まり、生き物の生態を応用した工夫と知恵を熱心に、楽しそうに話す様子がとても輝いて見えました。

 フィンドホーンでの体験と気づきに衝撃を受けた私は、その後、フィンドホーンにしばらく滞在することにしました。約半年ほどガーデンチームで、毎日ガーデンのお世話をしながら自然と自分自身との深い関係性を築くことを学びました。

 その後、イングランド、ポルトガル、フランス、オーストラリアにあるいくつかのエコビレッジやコミュニティに滞在する旅に出ました。(10か月にわたるエコビレッジ巡りの旅の話は、またどこかで。)

 その旅の中で、私が訪れたコミュニティにはほぼ例外なくパーマカルチャーが取り入れられていることに気づきました。

 「世界中を豊かな森にする」ことを目指すパーマカルチャーは勉強すればするほど、フィンドホーンで私が学んだことを現実の世界で実践に落とすための知恵の集合体だということに感じるようになりました。何より、パーマカルチャーが、ただのガーデニングや農の技術ではなく、人を含めた地球を豊かに育むための思想であり生き方であると気付いたとき、「これだ!」と思いました。

 こうして私は日本に帰国します。帰国後、数年間はコーチングを生業にするため、コーチングの会社に就職します。
※コーチングについてはこちらの記事をご覧ください。

 その傍ら、地球や自然とのつながりをもっと深めるためにパーマカルチャー・デザインコースなどに参加していました。

 そしてあるとき、ウクライナ戦争や気候変動の影響によっておこる様々な世界のニュース、パーマカルチャーの師匠の呼びかけなどが重なり、「私は私なりの形で行動をしていかないと」という命の衝動のようなものに突き動かされ独立を決意します。

 これが、いまに至る私とパーマカルチャーの出会い編でした。


生き物大好きな幼少期

 私のこうしたライフストーリーについて話すと、「どうしてそこまで、自然のことに夢中になれるの?」と尋ねられることがあります。

 私にとっては”自然に”「こっちだ」と思う選択をしてきたので、そういうものだと思っていた、としか言えない部分もあります。かっこよく言えば、それは私に与えられた使命なのかもしれません。それでも理由を探すとすれば、やはり私の幼少期のころの体験が大きかったのだと思います。

 私は、小さい頃から生き物が大好きでした。犬や猫ももちろん、虫や魚まで、どんな生き物にも興味を惹かれていました。

 幼稚園の頃はおばあちゃんと畑でモンシロチョウの幼虫を捕まえて孵化させ、近くの池の魚やザリガニを眺めては捕まえようとし、コスモス畑でトンボを家族に置いていかれるまで指にとまらせていたり、小学校の頃には学校で生まれたウサギを飼いたくて、ずいぶん泣きわめいて家族に承諾を取り付けたこともありました。


「あ、いま通じてるね。」という体験

 とにかく、生き物に関する思い出は数えきれないほど出てきます。私は彼らを観察しているのが好きでした。ずっと見ていたくて、逃げないようにいろんなものを捕まえていました。(いま考えてみると、かわいそうなことをしてしまっていたと反省しています……)

 当時の私は「いつか生き物たちと話せるようになる」と思っていました。そして、観察とふれあいを通して、言葉は交わせないけど通じている、ということを体験をしては喜んでいました。人のいないところで、よく動物や虫に話しかけ、「あ、いま通じてるね。」とその存在と確認し合う。そういう”繋がる”体験をすることが、宝物のように感じて、とにかく嬉しくて、目をキラキラさせていました。

 大人になるにつれて、その感覚は忘れてしまっていましたが、旅を経て、あのときの感覚が私と自然をつなぐ原体験だったのだと気付きました。小さい自分は最初からそれを知っていたんだろうな、といろんなことが腑に落ち、あたたかい涙がでました。

 それが、全ての命を尊重し、豊かに育むエコビレッジの哲学やパーマカルチャーの思想と無意識に共鳴し、導かれ、いまここに至っているのが、私という存在なのでした。

→次回はコーチング編に続きます。


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