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【社員紹介】介護は人の人生を変える仕事/介護施設「はっぴーらいふ豊中」・吉岡施設長

こんにちは。ライフケアの広報Tです。
ライフケアは大阪を中心に、有料老人ホーム「はっぴーらいふ」シリーズを27施設運営しております。今回はそのなかから3人の施設長にいろんなお話をお聞きしました。

第1弾は「はっぴーらいふ豊中」の吉岡施設長です。

ライフケア設立前から運営されていた「はっぴーらいふ豊中」

実は「はっぴーらいふ豊中」はライフケア・ビジョンが運営した一番最初の施設です。2012年3月に「はーとらいふ豊中」として運営されていたものを事業承継しました。

▲ 住宅型有料老人ホーム はっぴーらいふ豊中(豊中市上津島2-15-14)▲

ライフケアの12年の歩みを知る吉岡施設長&志賀ケアマネ

なので吉岡施設長は「はーとらいふ豊中」のときからお勤めであり、ライフケア・ビジョンの創立時を知る数少ない施設長です。

そんな吉岡施設長をよく知る「ハッピースタッフ豊中」の主任ケアマネジャー、志賀さんにお話しをお聞きしました。

▲ 居宅介護支援事業所 ハッピースタッフ豊中 志賀主任ケアマネジャー ▲

介護は人の人生を変える仕事。それができるのが吉岡施設長


──志賀さんにとって、吉岡施設長はどんな方ですか?

この仕事をしてもう10年以上ですが、つくづく介護は人の人生を変える仕事だと思います。それができるのが吉岡さんです。

──具体的にどういうことがあったのか、教えてもらえますか?

もう10年前のことです。アルコール中毒で重度の脳障害をお持ちの方を受け入れしたことがあります。ご自宅はゴミ屋敷で、借金もおありでした。当時はまだ60歳以下の方でしたが、行くところがなく老人病棟で過ごしておられたところ、ソーシャルワーカーがこのままではいけないと施設への転居を探されました。

吉岡さんは『借金もあるけど年金をちゃんと管理したら返済できるし、お酒さえ飲まなければいいんだから、うちで暮らしてもらおう』と言いました。

それから約10年間、施設で暮らしておられます。入居された当初は座位保持もできなかったし、発語も難しく、表情も険しい方でした。最近は座位もできるようになりましたし、「ごはん」とか片言ですが、ご自身の意思も伝えることができるようにもなりました。お顔もずいぶん穏やかです。その方は郷ひろみがお好きなので、お部屋でDVDをかけてあげたりしています。

自分の職場の話で恐縮ですが、この方がそのまま老人病棟で暮らしていたら、その方の人生はきっといまとは違うものだったと思います。
いわゆる「困難事例」の方の事例があと2、3はあるんですよね。

他にも、10年間施設で暮らされた後に特養に移られ、お亡くなりになった方がいます。3日前に代理人からお電話がありました。「最期は特養で過ごしたけど、10年間、はっぴーらいふ豊中で過ごせてよかった」とおっしゃっていただきました。

「困難事例」の方に限らず、施設が受け入れできるかどうかはいろんな判断基準がありますが、第一は介護スタッフがケアできるかどうかです。
私はいつも吉岡さんに『難しくない?』って聞いたら、『だって、かわいそうじゃない』と。いろんなバックグラウンドをお持ちの方も、関わりを持つことでその人の人生が変わってきたのを、ここで私は見てきました。

──志賀さん、ありがとうございました。自分が勤めている会社が運営している施設でより良い人生を過ごせるようになった方がいるなんて、とても誇りに思います。

次は吉岡施設長ご本人にお話しをお聞きします。

困っている人がいたら手を貸すのは当たり前だと思いたい。

──はっぴーらいふ豊中は途中で運営会社がライフケアに変わったわけですが、当時はどう思われましたか?

▲ はっぴーらいふ豊中 吉岡施設長 ▲


豊中で働く前はデイサービスや訪問介護のサービス提供責任者(サ責)をしていました。当時は家の事情で夜勤専従をせざるを得なくなり、たまたまここの駐車場で求人募集のチラシが貼られていたので応募したら、あれよあれよとサ責になり、会社がライフケアに変わったタイミングで施設長になりました。

会社が変わることに不安はあまりありませんでした。ただ、現場の意見を聞いてくれるかな、とは思いました。

ライフケアになってから、ものすごいスピードでいろんな施設が立ち上がっていきました。
あっちの施設で夜勤が足りなければ応援に行き、こっちの施設でヘルパーさんが足りなければ応援に行き、といった具合です。あのときはしんどかったけど、楽しかったです。

ただ会社が大きくなるにつれ、そういうことはだんだんと少なくなり、いまは少し寂しい気もします。


──実は一回ライフケアを辞めて、それからまた再入社されていますよね?

会社がだんだん大きくなるにつれいろんな施設ができ、いろんな事が変わり、いろんな人がいるなかで、いろいろと行き詰ることもあって辞めてしまいました。

辞めてからは別の介護会社で働いていたのですが、昔、豊中で働いていたヘルパーさんが「はっぴーらいふ箕面」のサ責になり、「新しい施設ができたから見に来てくださいよ」とお誘いを受けました。普通に新しい建物を見るだけのはずが、なぜかあれよあれよという間に気が付いたら復帰してしまいました。

一度退職してからわかったのですが、会社からああしなさい、こうしなさいと言われることや、いろんな制度が出来上がっていくことは、ちゃんと理にかなっていたことだったんだなと思いました。

新しいことを言われれば、だいたいの人は「えっ」てなることが多い。自分もそうでした。特にライフケアはいろんなシステムが入ることが多い。ついていくのは正直大変です。

──システムはどうですか?

採用管理のシステムはちょっと難しいです。いつも部長に「助けてー」と言ってます。テレッサ(訪問介護のサービス実績記録)がスマホでできるのはいいですね。介護スタッフはだいぶ助かっています。ただサ責はいままでのやり方がガラッと変わったので大変ですが、そのうち慣れると思います。

▲ 「いろんなシステムがあるので、操作が大変~」といわれる施設長 ▲

──志賀さんから困難事例の件をお聞きしました。

困っている人がいたらできる限り手を貸すのは当たり前だと思っています。小さい頃いじめに遭ったことがありますが、弱いモノいじめをする人がどうしても嫌でした。そのいじめのグループに入るなら、自分は嫌われて一匹狼になるかもしれないけど、強くなりたいと思いました。

楽しく働いている人たちを見て、自分も楽しくなれる。そのための努力をするのが施設長の仕事。


──これから施設長を目指そうとする人に向けてメッセージをお願いします。

「施設長の仕事は大変でしょう」と言われます。私は大変で当たり前だと思ってます。ヘルパーさんに楽しく仕事してもらいたいなって思ってます。いろんなトラブルはあっても、楽しくしてもらっている人をみると、自分も楽しくなれる。施設長はそのための努力をする仕事だと思っています。

自分の父親が肺がんで、自宅で看取りをしたことがありますし、施設でも何回も看取りをしたことがあります。人の人生で、関わることの大切さというものを身に染みて感じます。いろんなものを抱えている方は、きっとさみしいんだろうなと思うことがあります。食堂にいって声をかけたり、ちょっと肩に触れてあげたりと、そういう「ちょっとしたこと」が一番大事だと思ってます。

──だから冒頭の方のように、ちょっとしたことで人生を変えられることになるんですね。
吉岡施設長、ありがとうございました。

▲ お手製の飾り ▲

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