![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/48775233/rectangle_large_type_2_2f00b098101cf96946c75129c7a67f3a.png?width=1200)
学生時代に本当にやってよかったこと、やっておけばよかったこと
皆さんご無沙汰しています。
タカヒコです!
先日大学を卒業したこともあり、インスタでこの題材について書いてほしいという投票結果を受けて、今回この記事を書くに至りました。
私が4年間の大学生活をかけて感じた「本当にやっておいてよかったこと」そして、「やっておけばよかった」ことについてまとめていきます。
文章ばかりになりますが内容としてはかなり本質的なことを書いているので”読み切る体力を備えている”方はぜひ最後まで読んでください。
この経験がこれからの大学生にとって少しでも役立ってくれることを願って、まえがきとさせていただきます。
・大学時代に本当にやっておいてよかったこと
まず、このテーマについて話す前に前提としての私の認識を話しておきます。
「学生生活において一見無駄に思えた時間も今の自分を形成するうえでは必要な時間であったと思っている。」ということです。
そのうえで、”本当に”しておいてよかったことをここに記していきたいと思います。
本当にやっておいてよかったことは大きく分けて3分野に分かれます。
①大学生活内でよかったこと
②学外の活動での良かったこと
③全てにおいて共通した1番良かったこと
この記事では①②だけを書いていきます。
①大学生活内でよかったこと
大学生活内で良かったことにも3つの要素があります。
・目標と目的を持って大学に入ったこと
・大学からのイベントや課外活動の広報をしっかりと受け取っていたこと
・授業にしっかりと出席していたこと
意外と普通じゃないか⁉と思うかもしれませんが、一つ一つ本質を説明していきます。
まず、目標と目的を持って大学に入ったことに関しては、すごくよかったと思っています。では、私の大学進学の時の目的と目標を説明しておくと。
・目的:大学在学中に交換留学に行って英語を身に付けること
・目標:フル単を獲得すること
これらが目的と目標でした。まだま普通じゃないか?と思う方もいるかもしれませんが、この目的と目標にこそ本質が隠れていました。
目的として交換留学を持っていたことの本質は、交換留学は基本的には時間をかけなければ到達することのできない目的であり、この達成のためには”持続的な”努力が必要であったということです。
事実、交換留学をするためにはGPA(通知表で言う5段階評価の平均)の基準があり、TOEFLの基準点があり、その達成には短期的ではなく、長期的な努力が必要でした。
人生においてもすべてそうだと思いますが、長期的な目的を持つことはすなわち「継続力」を求める行為です。
この継続力を大学に入るときから目的にしていたということは持続的に努力をし続けられた一番の要素だと確信できています。
そして、目標に関しては簡略的で結果としても分かりやすく、短期的・長期的な要素両方を含んでいたことがよかったと思っています。
長期的な目標を持つことのメリットは前述のとおりですが、それに併せて短期的な目標を持つことのメリットは大いにあります。
短期的な目標の存在は常に”自分の現在地”を測ることのできる分かりやすい指標です。例えば、私の例ですが「フル単」が目標の場合、毎学期自分がその目標を達成できているか?の指標を確認することが出来ます。
短期的な目標はゴールが明確であるからこそ、自分とゴールの距離(いわゆるAs is. To be.)を測ることが出来ます。
ゴールとの距離が測れれば自ずと現状の自分がやるべきこと(いわゆる To do.)が見えてきます。
それさえ見えればあとは、実行あるのみというフェーズに入ることが出来ます。
だからこそ、目標と目的を持つことは本質的に大事だったんだと当時は無意識にやっていたことの意義を今になって大きく感じています。
次に、大学からのイベントや課外活動の広報をしっかりと受け取っていたことに関してです。
多くの学生が見逃しがちな大学からのイベントやセミナーの告知。これに対してアンテナを張って、自分の感性に触れるものがあれば必ず参加していました。
これは本当に多くの学びの機会を私の大学生活にもたらしてくれました。そういう意味では大学にお世話になっていたのかもしれません。
・キャリアデザインの授業中に告知された財団の活動。
・メールで告知された若手起業家の講演会
・メールで届いた投資のセミナー
この他にも多くの情報を受け取っていました。しかし、このメールを見ても参加しない人が多いのはもちろん、気づいてすらいない人がほとんどでした。
この行為から本質を見抜くと”自分から情報を取りに行く姿勢”を養うことが出来ていたのだと思います。
現代は情報にあふれていて、取りにいかなくてもテレビやYouTube、CMなどから勝手に情報が入ってきてしまう”情報過多”の時代です。
それゆえに現代人の情報に対する感性はとても衰えてしまっているのかもしれません。ですが、こういう時代だからこそ自分にとって必要な情報を”取捨選択”する能力(メディアリテラシー)は大いに求められています。
大学生のうちからこの能力を養うことが出来たのは、この「自分から情報に対して取りに行く姿勢」を持ち続けることが出来たからです。
そういう意味では、興味の如何は置いといて、とりあえず大学から流されてくる情報をしっかりと”受け取る”ということはかなりやっておいてよかったと心から感じています。
3つ目は、授業にしっかりと出席していたことでした。。。
こんなもの当たり前やんか!という声が飛んできそうですが、大学生活で「葬式」などのやむを得ない理由以外で授業を休んだことが”一度もない”大学生は正直そんなに多くないと思います。
そして、この学校に行ったことの本質は一つの大きなスキルに集約されます。
それは「タイムマネジメントスキル」です。
これはどういうことかというと”授業”という確実に固定された日程・日時の事象に確実に参加するためにいかにして”時間を創り出すか”という社会に出てからも本質的な要素だと思います。
逆に言うと固定の時間をある種”サボって”でもタスクを処理できていないのであれば、それは「効率不足」もしくは「時間を浪費している」パターンが多いと考えられます。
時間とは与えられるものではなく「創り出す」ものです。日中が忙しければ朝に早起きをすればいいし、寝不足になるなら日中にいかに効率的に業務(学生なら課題など)をおこなうかを工夫するべきでしょう。
時には友達の誘いを断ることがあるかもしれません。
ですが、生きている中で必ず”イレギュラー”は発生しますが、固定の事象(ここでは授業)の時間は必ずやってきます。
その時にその”イレギュラー”を言い訳に固定の事象をないがしろにしていては、機会損失を生むかもしれませんし、信用を失うことになりかねません。
だからこそ、私は授業に毎回出るためにどうするか?はしっかりとマネジメントしました。たとえ前日に朝まで友達と遊んでいたとしても必ず授業には出る。
そして学費を払っている分の対価は必ず得ることを念頭に置いていました。
知っていましたか?国立大学でも1コマの授業に対して1800円くらいかかっているんですよ!
もちろん、お金の基準が全てではないかもしれませんが、そのお金を稼いでくれている親への責任としても飲み会程度で授業はサボるべきではないと信じて学生生活を送ってきました。
結果として、授業に出るための時間に対する価値観はかなり効率化や工夫は磨かれたと思います。
②学外での活動で良かったこと
学外での活動についてもいくつかの要素があります。その中でも、学内活動と重複しないものを3つ厳選してここでは記していきます。
・いろいろなビジネスを見て、経験したこと
・一人で飲み歩いたこと
・SNSで積極的に発信したこと
1つ目に、いろいろなビジネスを見て、経験したことです。
これに関しては、まだまだ世の中のビジネスを全て知ったわけではありませんが、少なくともバイトでは絶対に経験できないものを多く体験してきました。
ブログのコンサルを受けるために30万円を支払ったり、営業のコンサルを受けるために40万円を支払ったり、そのために消費者金融で借金をしたり…
昔の自分では絶対に考えられないことに挑戦してきました。そして、その中で多くの挫折も経験しました。
しかし、こうして多くのビジネスに触れたことによって、世の中のお金の流れや、資本主義の仕組みを少しでも理解できるようになったのはとても大きな収穫でした。
また、新たなことに挑戦するためには、人間にとって最もストレスのかかる「環境を変える」という行為を伴わなければなりません。
これは留学などでも必要なことですが、とにかく「前例のない」ことに臨むときに人は最も成長できると思います。
こういった意味で、自分は大学生活中に学外で語学留学や、ビジネスへの挑戦など、強制的に自分の環境を変え続けてきました。
意図して変えてきたものではありませんが、この変化に対する順応力は今のカフェや生き方にも大きく影響していると感じています。
2つ目に、一人で飲み歩いたことでした。
この点に関しては、まずは基本的には自分から話を始めないと誰も話しかけてはくれないことによる「発言力」を身に付けさせてくれたと感じています。
全く知らない人に話しかけるのはもちろん緊張するでしょうし、一人でお店に入ることすらも緊張するかもしれません。ですが、そこには貴重な出逢いが転がっていたりするのです。
そういった意味で一人で飲み歩くという行為は一見、ただのお酒好きな大学生の趣味にも捉えられますが、目線を変えると幅広い世代との交流であり、新たな価値観の発掘かもしれないということです。
ここには、序盤に書いた「目的志向」は必ず必要になります。目的を持たずに飲みに行けばそれはもはや「明日のトイレに流れるだけの飲み代」になりかねません。
私の一人で飲み歩くということの定義は「新しい出会いや繋がりを求めてお酒のある交流の機会探し」です。
こうやって行動していたため、お酒の力をゆううこうかつようできていたのだと感じています。(もちろん、お酒に飲まれて悪酔いすることもありましたが、それも学びですww)
そして、3つ目がSNSで積極的に発信したことでした。
大学生でニュージーランドに語学留学に行くまではインスタグラムはやったことなかったし、ツイッターも見る専だった私でしたが、徐々にSNSのすごさに気づき始めました。(それもビジネスがきっかけでした)
SNSはただ知らない人とつながるための役割だけでなく、遠く離れた人同士をつなぎとめてくれる役割があるということに気が付きました。
そこで、私は徐々に自分の活動や考え方を発信することにシフトしていきました。
すると、もちろん私の考え方が気に食わない人は距離を置くようになっていってしまいましたが、逆に共感してくれる人たちが集まってくれるようになりました。
更に発信を続けていると、離れていっていた友達たちも一部の人たちが「応援してるよ」とか「最近すごいね」と評価をしてくれるようになりました。
これもひとえに成長段階を恥ずかしがらずに公開し続けてきた成果だと感じています。(今も恥ずかしげもなく「成長段階」は垂れ流し中ですがw)
そして、この発信をすることによる一番の良さは、自分のことを常に覚えていてもらえること。
今の時代多くの人の時間を奪いつつあるSNS。だからこそ、自分の活動や考え方を発信し続けることで、自分の周りに少なからず影響を与えることが出来ます。
これは遠く離れた友人などにも変わらず届くものであり、情報には共感が生まれます。
共感が生まれれば親近感がわき、今までそんなに仲良くしていなかった友達とも仲良くなれるかもしれません。もしかしたら親友になっちゃうかも。
つまり、人は「見えないもの」は買わないし、関わろうとしません。逆に言えば見えているものは、共感できれば応援してくれます。買ってくれます。
SNSはそういった意味で、自分のことを知り続けてもらうためのツールであり、人と人とをつなぎとめておいてくれる素敵なツールだと思います。
このSNSを使って自分を発信し続けたことは、今の活動においても大きく生きるところであり、新たなつながりも与えてくれた学生生活に大いなる豊かさをもたらしてくれたツールと言っても過言ではないかもしれません。
ここまでが前編の学生時代にやっておいてよかったことでした。
後編では、より一般的なことに落とし込んで、より本質的に人生にとって学生時代にしておいてよかったことを深堀したうえで、しておけばよかったこともまとめて書きたいと思います。
私の4年間の経験の集大成なのでもしかしたら、後編は有料にするかもしれませんが、かなりの内容になるともいますのでお楽しみに…
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?