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もうすぐ2ヶ月【抑うつ闘病記#4】

2020/11/29 日曜日 くもり 寒いので暖房をつけている

もうすぐ、抑うつと診断され、カウンセリング・投薬治療を開始してから2ヶ月が経過する。
薬は前と変わらず、レクサプロ10mgx1とリフレックス15mgx1。
今の状況としては、「死」について考えることは殆どなくなってきた。無力感を感じることも無いし、以前のように、生きる意味について深く考えすぎて闇から抜け出せなくなる、負の思考ループに陥るということも無くなった。
これは、カウンセリングや薬のおかげなのかという、正直分からない。なぜなら、ポジティブな思考ややる気は、今現在もほとんど無いからである。

「思考停止状態」というのが、今の状態を形容するに易い言葉だ。
とにかく将来の事などを一切考えないようにしている。ある種、現実逃避に近いのかもしれないが、今の自分にとって「何かを考えること」を止めない限り、ストレスから開放されないため、現実逃避でもなんでもいいから、とにかく「考えない」ということに徹している。そして、毎日「やりたいこと」をできるだけやるようにしている。
幸い、仕事はリモートワークでサボっていても何していても誰にも分からない。ただ、自分は部長であり、ある事業において責任を負っている立場でああるので、「それなりに」仕事をしているが、以前のように昼夜を問わず、休みも取らずにゴリゴリに働くということは一切せず、定時に終了、休みは連絡が来ても無視を決め込んでいる。
まあ、今のところ適当に働いても成果が出ているし誰にも文句は言われない状態なので、とりあえずは、今のまま仕事を続けて、最悪クビになってもいいや。くらいの精神でいようと思っている。
精神科の先生からは、
「仕事があまりにも大きなストレスになっているなら、今すぐ辞めることを考えてもいいが、適当に手を抜いてストレスがあまりない状態で続けられるなら、続けてもよい。仕事を辞めるというのは、人生において大きな決断になるかと思うので、そういう決断は、ちゃんと元気になってから行ったほうが自分にとって良い。元気がないときは、何をやってもうまくいかないから、とにかく今は、ゆっくり休んで、現状維持(=手を抜いて仕事をする)で問題ないなら、その生活を続けて、元気になってから後のことは考えましょう」
と言われていて、自分もこの考え方には賛同できるので、今はとにかく余計なことを考えないで心を休ませてあげて、「自然に元気が出てくる」「自然にやる気が出てくる」状態を目指そうと思う。

今の自分にとって一番考えたくないことは
・家族のこと
・彼女のこと
この2つで、家族のことについては、親が死んだ後の世界を想像したくない。
姉がニートで、親のスネをかじっている。もう10年以上ニートなので、恐らく社会復帰は厳しい。うちは裕福ではないので、親の貯金は少ない。俺の貯金のほうが遥かに多い。親が死んだあと、姉はどうするのか?俺が面倒見なくてはいけないのか?俺は絶対に面倒を見たくない。なぜ、俺が一生懸命働いて稼いだお金で姉を養わなくてはならないのか。そもそも親の葬式代とか、その他諸々も俺が全部ださなきゃいけないのか?ふざけるな。俺は一生懸命働いて、お金を稼いで、貯金して、その結果働きすぎて抑うつになって、生きている意味なんて無い。もう死んでも良いなんてことを毎日考え続けて、今は闘病しているというのに、お前は家でのうのうと過ごして、挙句の果てには、親亡き後は、俺が面倒見る?絶対にありえない。さっさと死んでもらいたい。本気でそう思っている・・・・。
という具合に、家族の事(メインは姉のことですね)を考えると、怒りが出てくるし、ストレスをものすごく感じるので、一切考えないようにしている。
でも、結局元気になっても、この問題にはいつか直面するわけで、、、、
なんかお先真っ暗と言うか、なんとかならないかなーと思うわけです。
かといって、姉にこのことを話すことは憚られる。なぜなら両親も同様にそのことは考えないようにしていて、姉に今それを話して、姉が変な気を起こして家族関係が更に拗れるというのを恐れているのを感じるからである。姉が自殺するかもしれないし、逆に殺されるなんてこともあるかもしれない。
10年選手のプロニートが、何を考え生きているのか。彼女は我々の理解が及ばない世界で生きている。まあ当の本人は、恐らく何も考えていないんだろうけど。
両親としては、頼みの綱である俺がいるので、ある意味楽観視している部分もあるんじゃないかと思う。定職を持ち収入も安定している俺がいるので、「姉がダメでも弟がなんとかするだろう」という、俺からしたらなんとも無責任で迷惑極まりない事だと思うが、そもそも子孫繁栄の目的は、「血を絶やさない事」と「老後の生活をサポートする存在を作る事」なので、人間という生物である限りは、仕方の無いことだと思うわけです。
こちらから「生んでください」とお願いした事は一度もなく、どのような経緯があったとしても結局は両親の判断によって自分は生まれてきているわけで、彼らの目的のために自分は存在し、そしていつの日か、自分も自分のために子を持つ親になるのでしょう。愛情を込めて子育てするのは、将来自分の面倒を見てもらうため。母性本能、親が子を守る。親が子を思う。それはすべて、親の目的を果たすために備わっている機能なのです。なぜなら、ちゃんと面倒をみて、自分の事を「大切な存在だ」と子に思ってもらえなければ、老後の面倒を見てもらえないからです。自分が困った時に助けてくれる人を作るために、子孫を残す。どんな人間よりも血の繋がった家族であり、ましてや親子関係であれば、親が子を育てるという構造上、子は親に対して特別な感情を抱く。育てられた恩を感じる。それによって、親は子から助けてもらえる。
人間の設計図を書いた存在があるとしたら、非常に良く出来た設計図を作ったものだなと思うわけです。
まあ、異論反論は認めますよ。人それぞれ考え方がありますからね。
と、まあ、話が若干脱線してきたので、もとに戻すと、上記のような考えをしてしまうので、きっと僕はストレスを感じてしまうのでしょうね。
そういう性格だから仕方ないんですけどね。

2つ目の彼女の事は簡単で、結婚についてですね。
彼女は外国人で海外にいるので、今はコロナのため会うことができません。
毎日連絡をとっていますけど、半年以上会ってないので、自分も相手も、少しずつ気持ちが離れていっているのを感じますね。
ただ、自分の今の状況を理解してくれているし、そもそも精神科に行くことを勧めたのは彼女なので、それが良かったのか悪かったのかはわからないけど、自分にとって大切な存在ではあります。
しかし、結婚を考えると、これもまた迷宮入りしてしまう難題で、どこで生活する?どこで子を生む?子供の国籍は?お互いの両親の面倒は誰が見る?そもそも、次に会えるのはいつなの?・・・とまあ、いろいろなことを考えなくてはならず、しかも考えても答えが出せるような状況でもないので、一旦は何も考えず、関係だけは継続しているという感じですね。

これが今、というか、この瞬間に思っていることです。
人間のみならず万物は日々変化しています。細胞レベルでは新陳代謝が起こり、ある皮膚の一部分について言えば、昨日と同じそれは今はもう存在しないかもしれません。これは、「社会」という形の見えないものにも言えます。「常に変化し続ける」というのは、宇宙の法則なんでしょうね。
そんな世界で、自分はなぜ生きて、死んでいくのか。寿命を考えると、後60年生きられるかわかりません。残された時間はたったの60年。
どう生きても最後には何も残らない。すべてが無になる。それが人生。いや、偉業を成し遂げれば、後世に語り継がれる存在となり、「無」ではないかもしれない。でも、それが生きる目的?そんなわけがない。卑弥呼や徳川の将軍様達になんの価値がある?彼らが国を作り、人々を支配した。その彼らのおかげで今の自分がいるということか?
いや違う、今の自分がいるのは、はるか昔から脈々とこの血を引き継いできた存在があるからだ。歴史の陰で、数々の苦難を乗り越え、この時代まで遺伝子を引き継いできた、その存在失くして今の自分は存在し得ないことを考えたら、歴史に名を残すことには何の価値もなく、やはり帰結するのは、「血を絶やさない」ために人は生きている。ということだ。

しかし、どうして血を絶やしてはいけないのか。
なぜ宇宙の設計者は、万物が変化し常に新しくなり続けるように設計をしたのか。
この宇宙で何の実験をしているのか。何のためにビッグバンを起こしたのか。
その意味こそが我々が生きる意味とリンクするわけで、それを知ることができない限りは、生きる意味など分かるわけが無いのかもしれませんね。
所詮僕らは”井の中の蛙”ということです。中にいる僕らには、存在意義など分かりません。それは、宇宙の設計者しか知らないのです。
「生きる意味はある。でもわからない。」これが、結論です。

・・・と、少なくともこの瞬間は思っています。
しかし、考え方も常に変化し続けるので、明日も同じことを思っているかな?何を考えているかな?と
「変化を受け入れ楽しむ」ことができたら、人生はより豊かになるのかもいしれません。