「どうやって死のうか(死ぬ方法)」は、やっぱり考えておきたいという話

約1年ぶりのNoteですね。

最近では芸能人の方の自死がニュースで報道される機会がありますね。
世の中的には「自殺はダメ絶対!」という風潮がありますが、僕は全く理解ができません。
生きていればなんとかなるとか、残された人達の気持ちを考えたことがあるのかとか、色々なことを言っている人がいますけど、自死を選択する人の気持ちは、その人にしか分からないのであって、他人が、取ってつけたようなおべんちゃらで死を覚悟する人間に対峙しようとする精神性が、全くをもって理解できません。
あなたは、その人と同じレベルで「自死」について考えたことがあるのか?と。
僕にとって、そういう外野の人たちは、まるで、サッカーやプロ野球の試合を観戦しているファンと同様に見えます。プロのプレイに対して好き勝手に意見するんです。「そこはパス回せよ!!!」とか「なんで今の打たなかったんだよ!!!」とか。いや、あなたは、現場で同じレベルでプレイできるんですか?という話です。できないくせに、文句言うなよと。
いやはや、世の中本当に薄っぺらい、表層だけ取り繕ってる人がいかに多いことか。。。呆れて何も言えませんね。。。

さてさて、本題ですが、僕は「自死」を選択すること自体は、その人の人生における選択肢の1つとしてありだと考えています。したがって、自死については肯定の立場です。
かくいう僕自身も、死ぬときは自分で決めたいと考えています。つまり、自分の人生の終わらせ方は自分で決めたいということです。
それを、病気や事故などで勝手に決められたくないのです。勝手に生まれてきてしまったこの命、終わらせ方くらい、自分の責任で決めてもいいじゃないですか。

最も大きな理由としては、「自分が元気なうちに死にたい」というのがあります。例えば、老年に体の自由が効かないような病気を患ってしまったり、「自分が自分でいられない」ような病気になってしまうのが嫌だと個人的に考えています。死ぬまでずっとベッドの上で生活するような、命はあるが何もできない、そういう状態になる前に、自分の意思で死んだほうが良いと思っているのです。(これは、現在そのような状態の方を差別したり攻撃をする意図は全くありません。あくまでも、僕個人の意見を述べているに過ぎません。ご容赦ください。)

今年僕は30歳になりますが、60歳くらいになったら、今よりも当然体が衰えていると思いますし、病気にも罹りやすくなるかもしれません。そう考えると、自分の人生のピークは60歳かな。と思っています。
なので、60歳になったらこの人生を終わらせようかなと今は考えています。

ゴールが明確になりましたし、もう折り返し地点に来たわけですので、あと30年間は自分がやりたいことをやって、あとは「どうやって死のうか」ということを考えて行かなくてはなりませんね。
安楽死を行うことができる国はいくつかありますが、基本的には病気で苦しんでいる方のためのオプションなので、僕のような「元気なうちに」という人にとってはその方法は難しそうですね。
そうなると、まあ、皆さんでも容易に想像できるようないくつかの方法のうちのどれかで自死をするしかなさそうです。

実際に、残された人や後処理をする人に迷惑がかかることは間違いないと思います。したがって、少なくとも親が生きているうちには自死はしないと思います。(自分が60歳の頃には、親はすでに他界していると思いますので、問題ないと思いますが)
ただ、そういう、迷惑が掛かってしまう人達も結局いつかいなくなるわけですので、つまるところ「早いか、遅いか」の違いだけだという話だと思います。
人間いつか死にますから、それが早いのか、遅いのか、ただそれだけです。
早くてもいいかな?という人は早くていいと思うし、遅いほうがいいという人はそうすればいいと思います。ただそれだけのことです。

たぶん多くの人はこの事実に気づいてないんだと思いますが、僕も含めて今この瞬間を生きている人というのは、自分が知らずのうちに「遅く死ぬ」方を選んでるのです。そして、自死される方は「早く死ぬ」方を選んだということです。

で、なぜか知らないけど、「早く死ぬ」方を選んだ場合、今の世の中では大きな問題になるんです。そして、その選択をした理由をみんなで考えようとする。理由なんかどうでもいいんですよ。どうせ人は死ぬし、それが早いか遅いかだけの違いなんですから。どんな時代でも、早く死ぬ人、遅く死ぬ人がいるんですから。でもなぜか知らないけど、自死をしたときだけ、みんなで寄ってたかって原因究明しようとしたり、社会に対して問題提起したりする人が現れますけど、そういう人達に僕は質問をしたいんです。

あなたはなぜ「遅く死ぬ」方を選んだんですか? と。

その答えと同様に、「早く死ぬ」方を選んだ人にも、それ相応の答えがあるのです。
つまり、自死を特別視する必要はない。結局みんな死ぬし、それが早いか遅いかだけの違いなんだ。どちらを選ぶにも相応の理由が存在する。
これが僕の持論であり、だからこそ、僕も自分の死には真剣に向き合い、生きる理由と死ぬ理由の両方を持つようにしているのです。

異論反論は認めます。死生観については、答えがありませんからね。色んな意見があって良いと思います。
ただ、僕の中では、やっと答えが出たような感覚があります。

以上です。ご覧いただきまして有り難うございます。
より良い「生」と「死」を満喫できるといいですね。