シド・ヴィシャスにあこがれて
こんにちは、Tommyです。今日は音楽とファッションの話をします。
どちらも好きなんだけど、以前はあんまりそこに繋がりを感じていなくて、初めて繋がりを感じたときの話をします。
高校生の頃、2つのものにすごく惹かれたときがありました。アーティスト椎名林檎と、漫画『NANA』です。どちらもすごくハマってて、今は亡きMDで椎名林檎を聞いて、『NANA』を読みふけっていました。その当時は、中学までJ-popしか聞いてこなかったので、衝撃的でした。歌詞も何を言っているのか分からないし。(笑)でも新鮮で、刺激的で、周りが知らないことを見つけたような気がして、(すでに有名だったんだろうけど)すごく好きになりました。楽曲を聞く中で、シドという人物がよく出てくるんです。「ここでキスして」や、「シドと白昼夢」など。誰なのかよくわからないけど、彼女が尊敬しているんだろうなと勝手に妄想していました。と同時に、『NANA』の中で、ヴィヴィアン・ウエストウッドのファッションとセックス・ピストルズとかシドという言葉を耳にして、同時にその世界観にハマっていて。この時はパンクというものがどういう見た目なのか理解しました。
その後、高校を卒業して地元を離れ、ヴィヴィアン・ウエストウッドの念願のネックレスを買い浮かれていたころ、どこかの店員さんから、映画『シドアンドナンシー』とか『時計仕掛けのオレンジ』の存在を教えてもらい、観て衝撃。シドアンドナンシーの世界観がそのまま『NANA』の中で表現されていました。私はさらにヴィヴィアン・ウエストウッドとセックス・ピストルズの関係性を知りたくて、調べるようになりました。
そうすると、パンクファッションがどうやって生まれたのかという前提を知らないことに気付きました。パンクの始まりはアメリカで、ラモーンズやパティ・スミスなどのファッションに触発されたマルコム・マクラーレンはヴィヴィアンとロンドンに店を構え、ファッションとしてのパンクを発信したこと、その後、常連客でセックス・ピストルズを結成したこと、それが社会に対するマルコムの反逆精神の表れであったことなどをその時に知りました。当時の若者は、その本質を理解してくれず、見た目ばかりを真似するようになってしまい、このムーブメントは失敗だったと本人は言っているようです。
こんなことから、私の探求は始まりました。こんなに、ファッションと音楽に関係性があるなんて。それがカルチャーとなり、ムーブメントになるなんて。本当に面白いです。正直、以前はマルコムがいう若者のように、本質を理解せずに、ファッションや事実だけを追いかけていたのですが、最近はその本質のほうに目を向けれるようになってきたので、また深堀りしてそのことも書けたらと思います。
こういう記事を書いている時が一番楽しい。
また、書きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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