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ミリオンダラー・ベイビー

こんにちは、Tommyです。
最近は天気がコロコロ変わりますね、自粛で外に出なくなって、その影響は受けてないかと思いきや、意外にも窓から見える景色で、気持ちって違うんだなあとか思っています。

今日は、昨日見て、言葉にしたくないくらい沈んだ映画、クリント・イーストウッド監督・主演『ミリオンダラー・ベイビー』について書こうと思います。こう言うと批判的に聞こえたかもしれませんがむしろ逆で、個人的には、好きな映画として印象に残る一作でした。

ちょっと寄り道をすると、私がイーストウッド監督を知ったのは、『アメリカンスナイパー』(2014)を観た時で、それまであまり海外映画は特に監督を意識して映画を観てこなかったのですが、これを観た後に、2~3日引きずるほどにグサッときて、何なんだこれはと監督を調べたことが始まりです。

戻りますね(笑)
あらすじを簡単に説明すると、女性ボクサーのマギー(ヒラリー・スワンク)と、ジムの経営者であり、後にトレーナーとなるフランキー(イーストウッド)、フランキーと長い付き合いである元ボクサーのエディの人間模様を描いており、貧しい環境で育ち、どうにかするために強くなりたいマギーと、優秀なトレーナーでありながらも不器用で慎重なために結果を残し切れていないフランキーの様々な葛藤を描いています。
絶え間ない努力からマギーは勝ち続け、ついに100万ドルをかけた試合に挑みます。フランキーは慎重なため、この試合を最初は拒んでいましたが、彼女の挑みたいという意志を尊重し、この試合は彼女の選択で決まりました。
この選択が、この映画の始まりとも言えるでしょう。

序盤から、最後まで惹きつけられた映画でした。
ある意味、わたしは期待を裏切られたような結末でしたが、私にはそれがイーストウッド監督に『こういう生き様もある、お前はどう生きる?』と突きつけられたように感じました。この映画は、アカデミー賞4部門獲得という結果がありながらも、賛否両論あるようで、それはこの結末の選択にあるように思います。

この選択に関しては、その問いを視聴者に与えるという意味では、正しかったのではないかと思うわけです。もちろん、正しさは人それぞれであって、人に賛同を求めるものではないし、その人がどうありたいかも自由です。
この映画では、宗教(カトリック教徒)も深く関わっていて、日本ではあまり宗教になじみがないので、人間の在り方といったところにフォーカスして話しましたが、別の視点で見たときの死生観なども勉強してみようと思いました。

生きるということに意味はないかもしれないけど、私は、死ぬときに面白かったと思い返せる人生でありたいなと思います。
二回目観る日が、近いうちにやってきそうです。
それくらい、はまりました。皆様もぜひ。

友人が主催で、映画のオンラインイベントを週一で開催していて、映画を観て感じたことををみんなでシェアしながら学んでいく機会を提供してくれています!人の感想ってすごく面白いので、映画好きって方は是非!

また更新します。

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