“ひとりてらり”へ至る道 06 (Ep.-1)
全6回の連載(転載)記事、第6回。
過去の振り返り編としては、これがオーラス。
第1回/第2回/第3回/第4回/第5回
2019年3月~金型工場入社
金型は、知恵と技術を結集した精密機械――――
そんなこと1ミリも知らずに「広い意味ではガンプラの生産工場と似たような職場だろ?」と期待に胸を膨らませて金型の製造会社に就職したアホの子がいたらしいですよ。あっはっはっはほんとに愚かですねえ。
うるせえほっとけ。
いやまあ、永元の認識は決して間違っていたわけではないのです。蓄積している技術の方向性がちょっと違うだけで、プラスチック射出形成という意味では間違いなく同じ業界なんですから。
喩えていうなら……そうだな、コンシューマ系ゲームメーカーとエロゲメーカーみたいなものか。ディレクションとか人月計算とか進行管理とかそのまま通用するノウハウも多いんだけど、エロゲ屋さんで最優先される「いかに顧客のエロ心をそそって期待させるか」みたいな部分はコンシューマじゃまるっきり不必要っつーかそんな要素ちびっとでも入るとSEROの審査を通過できなくなっちゃうよね。つまりそういう感じ。たぶん。自信ないけど。
なもんで、永元は完全な意味での素人ではありませんでした。
小学生の頃からプラモデルを作ってたおかげで「ゲート」や「ランナー」や「インジェクション」とかいう業界専門用語(そう、本来これらはプラ射出成形業界の専門用語!)にはずっと親しんできましたからね。
それに、モノカキなんてヤクザな仕事を長いことやってたおかげで雑学方面は強かったので。放電加工の機械を前にして「絶縁用に水を入れるんだよ」と説明されたときに「ああ、なるほど、純水なんですね」と返答したらめっちゃびっくりされてむしろこっちが驚いたなんてこともありました。
永元が最初に師事して基礎を教えてくれた先生いわく「新人の割には博識で、なんだか使えそうなヤツ」という感じだったらしいです。フフフ。
調子に乗ってる場合じゃなかった
でも、そんな感じでドヤ顔できるのは、わずかな間だけ。
そりゃそうですよね、実際に手を動かしながらモノを作って有機的に身につけた知識じゃないんだから。頭でっかちでへっぴり腰のド新人には違いなし。小さな鉄片に6mm径の穴を開けることすら満足にできないし、図面を読み解くために最低限必要になるsin、cos、tanの三角関数もまるで理解していない……ってしょうがないじゃん俺っち骨の髄まで文系なんだからさあ! ここまで徹底して理系かつ専門性の高い職場だなんて思ってなかったもん!!
――――そう。
金型工場は、専門性の高い理系の職場だったのです。
先生も国公立大工学科の卒業だそうで、加工する前に鉄の比重がどうの炭素量がこうの55CとNAK80は同じ鉄でも特性が天と地ほども違うだの把握してから作業にかかります。失敗して工具を壊してもアーク放電溶接で修復しちゃうし趣味はアウトドアで使うナイフの自作だそうだし、もう完全に永元とは生きてきた世界が違いますわ。
あ、ただしその昔は金属加工の技術を応用して極小ヒンジを作って完全変形バルキリーを作ったとか好きなMSはメッサーラだとか最近のアニメだと化物語シリーズが好きだとか言ってましたけどね。言っとくけど定年過ぎで嘱託社員になってるおじいちゃんだからね? 感性若いなびっくりしたわ!
話がズレた。
このままだと永元は「今度の新人も使えなかったな」と切られちゃうところだったんですが、金型工場の中でひとつだけ、理系的な領域とは無縁なセクション(厳密には無縁じゃないけど便宜上そういうことにしておく)がありましてね。
ちょこっとやらせてもらったら「手つきが素人じゃない、これは使えるかも」ということになったのです。
それが、仕上げ・磨き工程。
High & Low Mix
仕上げ・磨きとはなんぞや。
まあつまり、ワイヤーカット・マシニング・放電・NCフライスなどなど他の工程をすべて経由して仕上がってきた「入れ子(金型の中核になり射出成形する製品を実際にかたどる部分)」に最後の一手間をかけるセクションです。
金型の最終目的はプラスチックの成形品を作ることなので、ドリルやエンドミルで削りっぱなしの表面じゃ具合が悪い。表面はキレイで平坦なことに越したことはないんです。金型から抜くときも製品面がザラついてると(プラスチックが出来たてほやほや半生状態なので)ひっかかって割れちゃったりするんでね。
それを手作業で研磨して、均す。そういうお仕事。
この行程、機械化できないらしいんですよ。
磨き用の機械そのものは一応あるんですが、永元の職場では「使い物にならん」ということで導入されていませんでした。
なぜかというと、さまざまな手段で加工されまくった金型の内部パーツは一つとして同じものがないんです。つまり作業を単純化できない。単純化できないということは機械化もできない。わかりやすいですね。
パチンコの筐体、車のダッシュボード、オーディオコンポに食器乾燥機。用途も設計思想も違うから形状なんて千差万別なわけで、そのすべてにフィットする磨き機械なんてアンドロイドと同レベルに人間そっくりになりかねませんわな。
「えー? 平面と曲面の組み合わせなんだから何とかなるんちゃう?」
と思った人はきっと、プラ製品の表面しか考慮してないんじゃないかしら。金型は裏側も作るんですよ。補強用の細いリブが格子状に入り組んだところとか、取り付け用のビス穴になるボスとか、異なるパーツ同士を組み合わせるダボ(圧入型の接合ピン)とか。こういうところに放電目だのドリルの痕だのが残っていると、そこに樹脂が流れ込んで金型に食いついちゃうので。こいつらも片っ端から均さなきゃいけないのね。
そのために使う工具は、用途に合わせて専用のものを仕立て上げます。
砥石をグラインダーで削って整えたり、鉄や竹を削ってそれなりの形状にしたものにフリーカットのダイヤモンドやすりをはりつけたり。場合によっては特定の金型のわずか数センチ角を均すためだけに工具を作ってそれっきり二度と使わないなんてことも。
そういう判断を機械で全部自動化できるかってそんなのムリムリムリムリ。ロボットやAIがいくら進歩したって人間の職人ほどにはコスト下がんないもんな。
しかし、ここが「最終工程」にあたるというのが、永元的にはちょっと問題でした。
だって仕上げの担当者がうっかりしくじると、他の工程で数週間かけて作ってきた入れ子がおじゃんになって作り直しになりかねないんですよ。当然ながら納期に響いて売上を直で左右するという極めて重要な……ってそんなのほんとにやるんですかいささか責任が重すぎませんかド素人の永元なんかに務まる仕事なんですか?!!!!
満を持して“親方”登場
結論から言うと、どうにか務まりました。
実は、ド素人のはずの永元が「手つきが素人じゃない」と評されたのは、ガキの頃から趣味でガンプラ作ってたおかげなのです。1/144ガンダムの目が気に入らないから自作したとか、シールドやビームライフルの合わせ目を消すためにパテ盛って削ったりとか、そういう技術がそのまま地上げ工程の作業に転用できたのだ。まさに芸は身を助く。
とはいえ、掌サイズのプラスチックのおもちゃを加工する技術がそのまま金属加工に通用するはずもなし。
いまいちクオリティが足りてない仕事をフォロアーアップしたり、未熟な部分を指摘して改善するよう促したり、そういう腕利きの職人さんの下につくことになります。
それが、御年72歳の“親方”です。
「俺ァよ、他人に技術を教えるってのは、できねェからよ」
総白髪の短髪に人懐こい笑顔を浮かべてそう言う親方は、どこにでもいるような小柄なおじいちゃんに見えました。実は陸自の出身で若いころは超大型トラックを転がすドライバーだったこともあり、一度怒ると手が付けられないくらいコワイ人だと後になって判明するんですが、まァここでは余談です。
他人には教えられない……つまりまさに昭和の職人そのまま、見て盗めということなのかな、と最初は思ってたんですが、まったく違いました。
親方の仕事ぶりを何度見させてもらっても、懇切丁寧に説明してもらっても、親方がどうやって仕事してんのかさっぱりわかんねえのよ。
たとえば。
オフィスデスクか勉強机くらいの大きさの鉄の箱があると思ってください。これの内側が金型の製品面で、後にシボ加工(高級感を出すため細かい凹凸を作ってざらざらにすること)をするから、ある程度平坦な面が必要になる、とします。
工程としては、#200くらいの砥石から始まって#300、#400、#600と番手を上げて放電目なりカッター目なりを消していき、ある程度均したところで耐水ペーパーによる研ぎに移行、#400、#600、#800くらいまでかけていくんですが、永元がこの作業をやると8時間勤務でだいたい2日か3日くらいかかります。磨く対象がでっかいし、箱状ってことは底面と側面4つで計5面ありますからね。夏場なんかもう汗だくになりながらシャコシャコシャコシャコやり続けることになる。
しかも、仕上がった表面はまず、真っ平らになりません。
だって机レベルの広さなんですよ。砥石のサイズは大きくても幅3センチか5センチ程度。具合のいいように取っ手をつけたりはしますけど工夫できるのはその程度。ある場所は磨きすぎて窪んでしまうし、ある場所は磨きが足りなくて盛り上がる。箱のカドとかは砥石もかけにくいしね。
なもんで、充分に注意しても1/20~1/50ミリ単位の凹凸ができてしまうのです。パッと見わかんないんですけど、見る角度によって陰影が見えたり、撫でてみたら指先に凹凸が感じられる。そんな風になっちゃうの。どうしても。
しかし、親方は違います。
真っ平らです。
たとえ加工担当がうっかりミスっていても「こっちで何とかするわ」と手作業だけで完璧に真っ平らに仕上げます。この「完璧」は文字通りの意味であって一切の誇張は入っていません。
いつだったか、完成品が設計通りに作れないんで「仕上げがまずいんじゃないのか」とクライアントがクレームをつけてきたんですが、親方が磨きを手がけた部分を検査したところ1/100ミリ単位で計測できる検査針がぴくりとも動かなかったんです。つまり親方の磨き精度には1/100ミリ以下の誤差しかない。こんなの人間業じゃねえ!
しかも親方、手が早い。クッソ早い。
さっき「永元がやると二、三日かけてそれなりにしかならん」と言いましたが、親方が同じサイズの製品面を真っ平らに磨き上げるのに要する時間はわずか半日。単純計算で4~5倍も手が早いのです。同じ人間なんだからそんなに手の動きとか腕力とかに差があるワケじゃないっていうかむしろ永元の方がガタイはデカいし力もあるんですけど、親方の手にかかるとなんだかよくわかんないうちに気がついたら作業が終わってるのです。ホントもう人間の所業じゃないのよ。この人バケモノかと思ったもんな!
「教えられるモンなら、教えてやりてえんだけどな」
入社して一ヶ月目だったか三ヶ月目くらいだったか、いまいち伸び悩んでいた永元に親方は語ってくれました。
俺とお前の手は別の手だ、生まれつき持ってるクセも力の入れ方も体重も体格も何もかもが違う。だから、こうすりゃいいんだよと口で説明したところで絶対に同じようにはできない。一生懸命手を動かしながら、来る日も来る日も考え続けて工夫して、ちょっとずつ上手くなっていくしかない。自分はもうかれこれ半世紀もこの仕事をやってるんだから、これくらい出来て当然なんだよ、と。
はー、なるほど、そういうもんですか、俺も時間かけて上手くなるしかないんですねと、永元は得心したものでした。一にも二にも努力と練習。いつかは俺も鏡面仕上げができるように――――
「でも俺、金型屋になって最初に磨いたやつ、鏡面だったけどな」
――――親方が何言ってるかわかんないんですけど。
ちょいと補足いたしますと、仕上げ・磨き加工の究極は「鏡面加工」と言いまして、要は鉄を鏡のようにテッカテカのピッカピカに磨き上げるのです。耐水ペーパーの番手を#1000、#1200、#1500と上げていって、さらにダイヤモンドペーストで#3000、#5000、#8000、#10000……それ以上もあるにはあるんですが、プラスチック射出形成では#15000以上はまず求められないらしいです。実際、素人目だと#5000や#8000くらいからもうほとんど鏡と見分けがつきません。
なんでそんなにテッカテカのピッカピカに磨くかといえば、金型表面のキズをプラが写し取っちゃうからなんです。色つきのプラは鏡面仕上げなんて必要ないんですが、世の中には半透明とか透明のプラ製品いっぱいあるでしょ。磨きが下手だと透明なはずの製品にキズが写し取られて曇りガラスみたいになっちゃうのね。だから、鏡と見分けがつかないくらいに磨き上げなきゃいけない。
当然ながらこの鏡面加工、クッソ難しいです。
おまけにめちゃめちゃ神経使います。
砂粒ひとつホコリひとつ手につけたままうっかり磨こうもんなら、表面かじっちゃってキズになるからね。
ごく単純な平面でかつ作業時間に縛られなければ、永元もいちおう鏡面加工を成功させられます。これだけでも実は凄いことで、適性がないとどうやっても無理なんですって。できない人はいつまで経ってもぜったい出来るようにならないの。やったことない人には想像もつかないと思いますが、一回やってみれば誰でもわかる。マジ難しいから。
その鏡面加工を、親方はいきなり成功させたというのです。
しかもその製品は某化粧品メーカーの化粧箱。クオリティにめちゃくちゃうるさい代物です。およそ半世紀前でおおらかな時代だったことを差し引いても、ずぶの素人が納品に漕ぎ着けてクライアントからもクレームなしなんて絶対ありえん話なのだ。
「才能があったかどうかはわからんけど、まあ、向いてたんだろうなァ」
親方は謙遜気味に言いますけど、才能なんてレベルじゃありません。
どう考えたってバケモノです。でなきゃ超能力者。
そりゃ、他人に教えられないわけです。
なんで出来ないのか、こんなにヘタになっちゃうのか、親方にはわかんないんだもん。スタート地点がハイレベルすぎて。鏡面加工できるのが当たり前ってとこからじゃないとアドバイスしようがないのだった。納得。
それでも親方は謙遜する
永元が入社するまで、親方は何年もたったひとりで会社の仕上げを担当していたそうです。
何度も言っている通り、適性がないとそもそも務まらない仕事ですからね。そう簡単に経験者は雇えないから見込みがある者を鍛えるしかないんですけど、構造不況に陥って儲からない業界で定年まで勤め上げようという若者はそういません。おまけに職場環境は3Kだしな。
30人弱の技師や職人がいる工場で、最終工程がたったひとりなんてそんなバカなという話なんですが、親方だけで4~5人ぶん働くんだからまァ計算上は辻褄合ってますね。それで納得していいのかどうかは謎だが。
あーそうそう、実は永元の後にもう一人新人が入ってきましてね。30代半ばの彼もたまたま手先が器用だったので同じ仕上げのセクションで働く同僚になったんですが、二人がかりでもせいぜい親方の半分くらいしか仕事できませんでした。
30代と40代の男が二人がかりで70代のおじいちゃんに手も足も出ないんだぜ。圧倒的すぎてもう笑うしかなかったわ。
当然、関東一円でもそんなに腕の立つ磨き職人はそうそういない。
親方のところには次から次に難しい仕事が舞い込みます。
たとえば、世界的医療メーカーが人工透析に使うカートリッジ。
おそらく異物の混入防止や異状の早期発見のためだと思いますが、鏡面仕上げのクオリティにやたらこだわっていました。金型そのものは試作なもんだから予算ケチって構造的に無理が出て、たびたび異常が発生、親方は何度も同じ型を磨き直すハメに。でも人の命に関わる仕事だから手は抜けませんよね。
これと真逆に、パチンコの筐体なんかもありました。
これは永元の在籍中ではなかったんですが、2000年代に人気アニメの新台がぞくぞく発表されて業界が大もうけしてたでしょ。あの頃はもう死ぬほど忙しかったらしいです。ちょっとでも変化つけて面白そうな台を作ろうってんでムチャな設計が多く、しかもほとんどパーツが電飾仕込んで光る前提だから鏡面仕上げ必須なんですよ。当時まだ親方は50代くらいで無理もできたので、数ヶ月くらいほとんど寝ずに仕事してたとか。
変わったところでは、スーパーコンピューターの筐体なんかも。
最新技術の粋を集めたものが「見た目ただの箱じゃんダサッ」となるわけにはいかんので、それなりに筐体のデザインも凝るわけです。日本製アピールのために和をモチーフにして市松模様を取り入れたとか、なんだかよくわからんけどかっこよさげな幾何学模様を刻んだりとか。そして妥協なき鏡面仕上げで高貴に光り輝く。たぶんそういうイメージなんでしょう。実際はハイテクとは縁遠いおじいちゃん職人が汗水流して磨き上げてんだけどな!
知れば知るほど、親方はすごい人でした。
永元自身も曲がりなりにも自分の手を動かして同じ仕事をしてましたので、親方の技術がとてつもない高みへ達してることは皮膚感覚でわかります。
だから言ったんですよ。いずれ親方のところにNHKが取材に来たりするんじゃないですかね、ていうかもう来ちゃってたりとか? ほら、最後に「プロフェッショナルとは」みたいに訊かれるアレ。もう番組名言っちゃったな。
でも親方は 「TVが来たって断るよ」 とにべもなし。
「俺なんて職人を名乗るにゃおこがましいよ。昔の職人なんかもっと凄かったんだからな。鎌倉とか室町のころの日本刀の磨きなんて信じられないレベルだぞ」
比較してる対象がおかしいですよ親方! つまり大典太とか三日月宗近とかあのへんでしょもう国宝ですよ! 国宝級の仕事しないと職人名乗れないってんならこの日本からいや世界から職人はほとんどいなくなります! いったいどこを目指してるんスか?!!!
「とりあえず今は、仕事終わりのビールかな?」
ユーモアまで完全装備とかズルい!! ズルすぎる!!!!!!!
そして永元は懊悩する
長年おひとりで仕事をしていたところに、磨きの適性がありそうな若いの(といっても永元は40代、同僚も30代)が2人も来て3人体制になったので、たぶん親方は嬉しかったんじゃないでしょうか。飲み物とかしょっちゅうおごってもらって、ずいぶん可愛がっていただきました。
仕事には厳しいし怒ると鬼のように怖いんですけど、永元も同僚も面と向かって怒鳴られた記憶がありません。ヘタなりに一生懸命仕事してたせいかな。多分。
「親方は厳しいから、絶対にキャビ(製品表側)は磨かせてもらえないよ」
と先生にも言われてたんですが、気がついたら永元も同僚もなし崩しにキャビ側の磨きをお手伝いしておりました。手取り足取り教えてもらえるわけじゃないですが、それでも「育てよう」としてくれてることは伝わってきます。
まァ頑張るよね。必然的に。そりゃあもう。
2019年の秋頃からは、どの金型の磨きも親方と永元と同僚の合作のようになってきて、少しずつ裁量も広がっていきます。永元が磨いたものを親方がノーチェックで通しちゃうこともしばしば。
いやあ、仕事が認められるってのは嬉しいもんですよ。永元はもう四十半ばですが、会社の中では若い部類なんですよね。副社長にしろ子供か孫かという接し方になるので、なんだか20代くらいまで若返ったようでした。ちょうどゲーム屋さんに務め始めた頃もこんな感じだったかなー、なんて。
――――そう。
本当に、よく似ていたのです。
かつて永元が経験してきた職場に。
ゲーム屋も金型屋も、究極的には個人の持つ「スキル」に依って立っています。誰にも真似できないエロくて可愛い絵を描く原画と、誰にも真似できない磨きの技術を持つ親方は、会社という組織の中での立ち位置が本当によく似ていました。
単なる従業員じゃないんですよ。その人がいなければ会社が成り立たないんだもん。むしろ組織全体が「その人」を中心に回り始めるし、そうなるべきなのです。
そして「代えのきかない人」は、得てして気分屋でこだわりが強いもの。そういう性格だから高い技術を得たのか、高い技術を得たから性格がそうなるのかはわかりませんが、親方も例外じゃありませんでした。気に入らないことがあると怒ってプイッと帰っちゃってそのまま半月くらい職場に来なかったとかね。 もちろん社長とか副社長が頭下げて戻ってきてもらうことになるわけですよ。普通の感覚だとまァありえねェよな!!
なんつって、他人事のように書いてきましたけど。
かつての永元も、きっと、似たようなもんだったと思います。
親方が若かりし頃にいきなり仕事で鏡面磨きを成功させたのと同様、高校時代に原稿用紙換算350枚クラスの長編を書き上げちゃった自分も、一般常識で言えばスタート地点がだいぶおかしかったはずです。
その後、企画シナリオ担当として商業作品の舵取りを手がけるようになるわけですが、周囲は腕自慢の個性派ばっかですからね。常識的な対応なんてやってられねえ、って局面はどうしても出てきます。
や、自分としては、仕事が円滑に回るようにいつも気を配ってたし、そのためなら損な役回りも引き受けてたつもりですよ。どっちかと言えば話が通じる方だったと思う。けれども、だからこそ「譲れなくなる瞬間」ってどうしても出てくるし……。
ああ、うん、いくつか心当たりに思い至ったから今のうちにこの場を借りて頭を下げておこう。関係各位、当時は本当にすみませんでした。
そんなワケで。
異業種に飛び込んだつもりが、一周回ってめっちゃ馴染む会社だったのです。少なくとも永元にとって、長年呼吸してきたクリエイティブな職場と同じ空気しか感じられなかった。
親方の仕事を見てるだけで 「スゲー! スゲー!」 ってテンション上がってた自分の心境、原画家さんやプログラマさんの仕事っぷりを間近で見てた時と何も変わりなかったですしね。
でも、似ているからこそ。
逆に「違い」も浮き彫りになってくるのだ。
まず第一に、勤務時間に対する考え方。
親方なんてまさに代えのきかないポジションだし、やってる仕事もクリエイティブそのものです。ひとつとして同じものがないのが金型ですから、柔軟な発想がなければ道具も工具も作れないしアイデアも出てこない。しかも常に納期に追われてる。いつも時間との闘いです。何度も地獄を見てきたし過労で倒れたことも一度や二度じゃない。「磨きは中途半端な覚悟じゃできねェよ」が口癖でした。
でも、休み時間と終業のベルは厳守です。
たまに作業に集中してて「あ、やべ」ってなる時を除けば、終業時間ぴったりに作業を止めます。親方のような現場の最古参がこれですから、社員全員がだいたい10分前にはもう後片付けを始めていました。
御年72、心臓やら緑内障やら身体のあちこちにガタが来て「いつ死んでも不思議じゃねェからなァ」と親方は笑ってましたが、その年になっても永元のような若造が足下にも及ばない仕事をし続けている秘密の一端は間違いなくここにある……と思います。多分ね。
そして、自分の仕事が「社会に貢献している」という実感のデカさ。
先の東日本大震災のとき、雑誌の連載やらゲームシナリオの仕事をこなしながら、永元は自分の仕事がいかに世間に必要ない類のものかを痛感して、ひどく落ち込んだものでした。
でも、金型屋は違います。
その仕事が、時には医療機器として実際に人の命を救い、時には自動車の一部になって物流を助け、はたまたスーパーのPOSになる。言葉通りにみんなの暮らしを直接支えているのです。だからといってお堅いばかりかと言えば、時にはパチンコ屋の筐体を作ったり、小さな子供が遊ぶ滑り台やプールのような遊具になったりも。
かく言う永元も、親方と一緒に某大手電機メーカーのATMの金型製造に携わりました。これを自分の「作品」と見ても良いのなら、これまでの人生で最も多くの人の目に触れるものになるんでしょうね。
これまで俺は、何をやってたんだろうな、と。
永元は本気でそう思いました。
金型屋さんになる前、自分がやってきたことは全て間違ってたんじゃないかと仮定して生き方を変えてみたんですが、仮定じゃなくてマジのガチで何もかも間違ってたんじゃないか?
たとえば、Wikipediaには「永元千尋」という項目があって、少なからずファンの方がいてくださって、商業出版した本は国会図書館にも収蔵されているはずで、制作に関わったゲームやそれを原作とするアニメはなんやかんやで自分の死後もこの世に残っているかもしれない。
少なくとも知名度はゼロじゃない。小説書いてました、出版しました、ゲームのシナリオ書いてました、といえば大抵の人が「すごい!」と言ってくれます。
じゃあ、親方はどうでしょう。
世間的な知名度なんてまったくない。お名前をググっても一件だってひっかからないし、金型屋で磨きやってましたと言っても大半の人は「そうなんですか」とか「ふーん」くらいのリアクションしかしないと思います。
でも、その技術はこの社会そのものを支えていて、誰かの快適な暮らしの一部になり多くの人を笑顔にしている。時には命まで救っています。ケタが違うどころの話じゃありません。
作家。ライター。文筆業。才能がなければ、適性がなければ、それを磨く努力を続けなければ務まらない仕事。だから凄いんだと世間の人は思ってます。正直、永元自身もそう思ってました。
でも、製造業だって同じです。先生や親方も間違いなく一種のプロフェッショナルで、才能がなければ、適性がなければ、それを磨く努力を続けなければ務まらないクリエイティブな仕事をしている。そこのところは何も変わらない。なのにその仕事が世間から評価されることなんてまずありません。
――――騙されてたんじゃなかろうか。
やがて永元は、そんなことを考えるようになっていきました。
圧倒的な才能。不世出の天才。マンガやアニメや小説やゲームに関わる中でヒット作に関わった人は、そんな風に呼ばれることがあります。でも本当に凄いのか。持ち上げなきゃいけないほどなのか。世間から羨望の目で見られる価値が本当にあるのか。若者たちが憧れて、我も我もと目指すほどのものなのか。
しょせん水物。いっときの人気商売。ヤクザな仕事。文字通りの虚業。本質的にはそういうものだったはず。価値がないものだからこそ、価値があるように見せかけてきただけなんじゃないのか。
突き詰めると、メディアが持ち上げたかそうでないかの差でしかない。
作家は新聞や出版が伸びていく時代に有り難がれるようになり、漫画家もその延長線上にある。脚本家や役者は映画やテレビが普及してこそのもの。ゲームもコンシューマ機が普及してこそ評価されるようになったわけだし、ネットというメディアが伸びればYouTuberが台頭する――――
だとしたら。
偉そうにふんぞり返ってる自称クリエイターって、いったい何なんですかね。
俺たちは才能がある、選ばれた人間だ。勝ち続けるためには自分の感性を磨いてスキルを向上させ続けていかなければならない。そのためには寝る間も惜しんで打ち込むしかない。そんなの当然だろ。だからこの業界に来る気のあるやつは命がけでやれ。死ぬ気でやれ。そう出来ない者は覚悟が足りない。
掃いて捨てるほどいるでしょそんな手合い。バカじゃねえのか。
こうした連中が跋扈する業界がどれだけ無価値な虚業なのかは、そこで動いているお金の量を見れば一目瞭然です。アニメーターはいつも薄給にあえいでる。作家も漫画家も大ヒットさせなきゃ待ってるのは餓死だけだ。役者や声優も食っていけるのはごく一握り。ゲーム屋の給料にはみなし残業手当が必ず含まれてるから時間給で言えば低賃金もいいところ。
これが才能のある選ばれた人間の仕事か。ちゃんちゃらおかしいわ。
本当に「才能がある、選ばれた者」というのは、本物の技術を持つ人間ってのは、親方みたいな人を言うんだろうなと。
本来、若い人たちが憧れるべきなのは、こういう職人さんであるべきじゃないのか。
永元は、そう思ってしまったのです。
痛感してしまったのです。
なので、真面目に、真剣に、親方のような職人を目指し始めました。
親方は歳も歳ですよ。いつ引退してもおかしくないしご本人も何度か辞めようとしたらしいんです。でも状況がそれを許してくれない。若いのがなかなか育たないからどうしようもない。
だったら俺がやるしかないじゃんね。
幸いにも自分には適性があるらしい。さすがに親方レベルになるのは難しいっていうかスタート地点からして違いすぎるんで逆立ちしたって無理だろうけど、幸いにも気の合う同僚に恵まれたので、二人で親方ひとりぶんの仕事が出来るようになれば。
なんせ男しかいない職場なんでね。日中からエロネタだろうが何だろうが言いまくりですよ。工作機械が四六時中稼働しててクッソうるさいから仕上げセクションでうんこちんこ言ったところで他のとこまで聞こえません。親方も鏡面磨きで気を張ってる時以外は子供みたいにいたずら大好きな優しいおじいちゃんなんでね。楽しい職場でしたよ。ちゃんと定時に終わるし給料もいいしな!
とりあえず三年はやろう。できれば五年。
最終的にモノにならなかったとしても、そこまでやりきれば腕一本で食っていける技術が身につく。今までのような虚業とは違う、本当に人のためになる仕事ができる――――
と、思っていたんですけど。
何故でしょうね。
だんだんと、心の奥が焦れてくるんです。
こんなことやってていいのか……やってていいんだよ? 俺はこんなことしてていいのか……いやむしろやれよ経済的にも立ち直らなきゃいけないんだぞ? こんなことしてたら俺が俺じゃなくなっていく……いやいやお前なんなんだよ意味わからんぞ?!!!
生活は安定してたし、先々の見通しもあるのにね。
心はちっとも平穏じゃなかった。
文章を書いて食っていきたい、物語を紡ぐのが俺の天職だ、と感じてこのかたうン十年。そう簡単に人間の生き方って変えられんのでしょうね。文筆業方面の求人はないかしらと夜な夜な検索してみたり、酒に酔った勢いで履歴書をしたためてみたり、時には求人に応募してみたり。幸いにも落とされましたけど。
今は、夢をおいかけて生きるのは間違いだ、という仮定の実証中。無理して戻っても売れなきゃ食えない世界なんだし、最終的には運否天賦の賭けになる。年齢的にもバクチやってる場合じゃない。今は自宅から通勤時間15分、定時に上がれる仕事で、人並みの生活ができる給料をもらえる。そんな仕事を手放すなんてバカのやることですよ。ひょっとしたらバンダイスピリッツに入社してガンプラの金型作れるようになるかもしれんしな!
そんな風に、自分を言い聞かせながら。
半年、一年と時間が過ぎていき――――
急転直下とはまさにこれ
会社が倒産してしまいました。
正確には倒産する前に解散したんだけど……って、同じ事を二度も三度も言う必要はありますまい。
親方は、これを期に引退するそうです。
もう少し若い頃、といっても定年の頃だけど、磨き専門の小さな工房を持とうとしてた時期もあったらしいんですけどね。親方の腕があったら仕事は絶えないでしょうし。でも、工房になるはずだった予定地も手放しちゃったし、ここが潮時だと見たそうで。
すでに定年を過ぎている先生も、自宅から近かったからこの会社で働いていたわけで。永元を採用してくれた副社長も、残務の整理が終わったらおそらくリタイヤすることになるのでしょう。
ものづくり大国ニッポン。そんなフレーズだけは今も声高に叫ばれてますけど、今後はどうだかわかりませんね。少なくとも永元の目の前で、社会を下支えしていた会社がひとつ消えていったことだけは確かなのです。
ただ、個人的には。
正直、心のどこかでホッとしてました。
会社都合の退職なので失業保険がすぐ出るとはいえ、生活は厳しくなるし、残念ながら手に職がついたというほどでもないから、次の仕事も見つかるかどうか。でもホッとしてました。
今なら、前よりもうまく、文筆業をやれるんじゃないかと。
アホですね。病気ですね。
我ながらそう思いますけど思っちゃったんだからしょうがない。
とりあえず以前の取引先に連絡してコンシューマ方面の仕事はないか打診して、いくつか取引先を新規開拓すべくアポも取ってみて、ついでに企画書なんかも書いて持ち込みもしてみて。
そのうち、どれかひとつでも実を結んでくれれば、戻れるはず。クッソ貧乏でいつもカネのことに頭を悩ませながら、でも「俺はこれをやるために生きてきた!」っていう実感だけは確実にある。そういう仕事へ。
でも、そこに固執はしません。したってしょうがないもの。仕上げ職人としては道半ばだったけど、あの会社にいてあの親方に一年師事してたという事実は軽くないはずなのでね。こりゃダメかなと思ったら製造業なり何なり他に道を探せばいい。その見極めを間違えない自信だけはつきました。
覚悟さえ決めておけば、神様がケツに奇跡を突っ込んでくださる。
そういう気持ちでどーんといこう。行き先は風の吹く方へ!
ざんこくなせかい
――――ここまでは。
時系列的に、2019年から2020年にかけての話なんです。
金型製造会社の解散は、2020年3月。
その時期から、世間的、いや、世界的に、何かが始まってしまうのよ。
そう、みなさんご存じ、新型コロナの大暴れ。
不要不急のエンタメ業界は大激震。仕事のオファーは一つも無いし正直言って取引先もそれどころじゃないと思われます。製造業だってどこもかしこもリーマンショックを超える大不況の到来に戦々恐々大ピンチ!
ま、苦境に立たされてんのは僕だけじゃないし。
むしろ失業手当のおかげで引きこもれるので、ツイてる方かもしれません。前を向いていきましょうや。あっはっはっはっは。
こんちくしょうめ!
2020/04/03
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