感情と社会 9

不安、不信、猜疑、そして不満

ぼくたちが暮らしている日常の中にある、他者との関わり合いのいびつさは、いろんなところで見つかります。


岩手県で初のコロナ感染者が出てから、その個人を特定して攻撃しようという人が出ていたそうです。これに類する話は至るところで聞きます。
個人として自分とは関わりがない誰かを、匿名で攻撃するという行為は、<道徳的>に好ましくない、などという「個人」の心情(これは政治が内面化させたルールにすぎませんが)に還元して非難をすればそれですむ、というようなことではありません。ぼくたちの感情は、社会が作り上げる面がとても大きいということを、忘れるわけにはいきません。

誹謗中傷ほどあからさまではない感情は、近頃そこら中で耳にする、「対応いたします」という言葉に表れているものに感じられます。この言葉がすんなりと出てくるには、その裏に、クレームをつけられてはいけない、自分の行いに難癖をつけられる前に釈明をしておかないといけない、相手に敵意を持たれたら面倒なことになる、というような、自己防衛とでも言えそうな、防御の感情があるように思えます。防御という気持ちは、自分が傷つけられないようにする、相手に対する最小限の攻撃的な感情でしょう。このくらいだとまだ、人に責められても「攻撃はしてませんから」と言い逃れることができます。でも既にこの防御したいという気持ちは、屈辱感を濯ぎたい、相手に難癖をつけられてるんだから報復してやりたい、という攻撃的な気持ちと根は同じ。あからさまな攻撃性とは、程度の差しかありません。

程度の差ということなら、<東洋の神秘>だと訝られることが多い日本人特有の愛想笑いもやはり、攻撃性がとても隠蔽された独特の感情表出でしょう。相手から攻撃を受ける前に、こちらから、戦意がないですよという合図をさっさと出してやりすごそうという行動。街頭インタビューなどで、「政府ももう少しちゃんとして欲しいですよねえ。」などと言った直後に声を出して笑う人がとても多いのもこれでしょう。言いすぎた、出すぎた真似をした、とほぼ自動的に感じて、それを帳消しにしよう、無力化しようという身振り。

習慣としてすっかり定着してしまった「だいじょうぶです」という決まり文句。これほど見事に、「私には関わらないでください。」「私はあなたに関わらないですよ。」を具現できることばはそうそう見当たりません。ぼくたちが暮らしている社会での心情を、ほんとにぴったりと言い表しています。

程度の差こそあれ、こうした行動にはすべて、自分が責められたり咎められたりしたら大変だ、そうなる前になんとかしてしまおう、という感情が関わっています。関心の中心は常に自分、自分の体面ですね。体面を重視するとき、もちろんそこに本当の自分はいません。外部から押しつけられて内面化された社会ルールとの照らし合わせで、かろうじて成り立っている自分だけがそこにいます。

自分を守りたい、そのためには言い訳をしたい、ちゃんと「対応」して文句をつけられたくない、できればそんな相手とは(力づくでも)もう関わりたくない。そう、関わりたくない。自分をかろうじて守ることで、なんとか自分を保っている人。
そういう人の心は、人との関わりなんて厄災しか運んでこない、という気持ちで溢れているのでしょう。「だいじょうぶです。ほっておいてください。私は自分を保つのに精一杯です。」

人と関わらないと社会が回らないのに、人との関わりを極度に警戒して、なるべくなら最小限にしようとする。この矛盾だらけの駆け引き、アクセルとブレーキをかけっぱなしのような行為は、どこからやってくるのか。
少しずつ、時間を遡ってみます。日本では、それはたくさん見つかります。

近頃とても話題なのが自粛警察。ルールだけを至上のものと感じる人々の、他者に対する共感をまるで欠いた行動ですね。ルールの内面化が、いかに浸透しているか、そして内面化されたルールの是非を考える姿勢がいかに欠けているかが、とてもよくわかります。
この空っぽな自粛感は、東日本大震災でもとても<賞賛>されました。震災被害で物流が途絶えて、店頭から品物が消えたのに、住民はきちんと列を作って店に並び、先着順に甘んじて争いもせず、順番を守り、物が手に入らなかった人は諦めていたと。現場にいた知人からの話では、報道とは違って、じつはかなりの争奪戦や略奪があったとのことですが、それは「美しき国」の対面に傷をつけますから、もちろん報道されませんでした。
洪水などの災害で家を失った人々は、行政の支援が届かないことに怒りを覚えるよりも、「しかたがない」から<我慢>をする。と、少なくともメディアは人々の<辛抱強さ>をやはり<美徳>として伝えることに専念します。救援が遅れる、あるいはまったくないことへの批判はあまり聞きません。

80年ほど前、戦後生まれのぼくでも知っているあの標語が、銀座の中央通り、浪費と奢侈の中心地にも、掲げられていたそうです。
「欲しがりません、勝つまでは。」
国家、何度でも言いますが、ほんの一握りの、自分を保つための欲望しか持たないだろう人々の集団が、その集団の保身のためだけに要求することを、それはまさに自分のことなんだと勘違いして(お国のためは自分のため?)、激しい抵抗感もなく受け入れる人々。
抵抗感はあったのかもしれません。陰でこそこそと、自分自身のために「身勝手」なことをする人たちはたくさんいたのかもしれません。それを抑え込むために、1940年に至って「隣組」という相互監視組織が制度化されました。これは町内会の下部組織で、顔見知り同士がお互いを牽制し合うという、なんともむごたらしい仕組み。この仕組みがあったために、まったく<国賊的>ではないにも関わらず、単なる私怨から密告されて不幸に陥ったり、命を落としたりした人々は相当数に上ったことでしょう。
この隣組を普及させるために作られ、国営ラジオで繰り返し流された『隣組』という歌は、なぜか戦後も頻繁にメディアから聞こえてきます(なぜか1970年代に集中して、この歌がCMソングやコント番組のテーマソングとしてやたらに流れていました)。そして、あまり法的な根拠もなく、いまや形骸化しているのかもしれませんが、現在でも「町内会(自治会)」という奇妙な組織が残っています。時折、地方自治体がこの活動の活性化をキャンペーンしたりしています。

隣組の前身は、江戸時代の五人組です。(そして五人組はおそらくそれまであった農村の「結」を原型としていたと思われます。相互監視の仕組みは、分業と協働をせざるを得なくなった農業の発生と共に古いのかもしれません。)江戸幕府は、統治を盤石のものとするために、顔が見える最も小さなコミュニティとして、5戸程度の集団を組織として決めて、相互監視を行わせていました。表向きは<助け合い>の<美徳>を謳ったものですが、その実態はもちろん、相互監視、密告、そしてことが起きれば連帯責任という厳しい処罰でした。この仕組みがあるところに、お互いが安心して信頼しあえる環境などなかったことは、察するに余りあります。

少なくとも500年間、地域住民たちを相互に監視させ、猜疑心で満たして共感を妨げ、そうやって人々を分断することで統治がしやすいようにするという仕組みは続いています。この統治の戦略が、住民に染み込ませた感情はとても根深いものでしょう。それは、「対応します」「だいじょうぶです」に見事に表現されています。また、日頃は親しげなご近所さんであっても、政治のこと、誰を支持するか、誰に投票するかなどの話は、なんでしょう、なんとなく<はしたない>気がして、天気の話のように気楽にすることはありません。政治は天気と同じくらい、ぼくたちの生活を大きく左右するものなのですが。<はしたない>、つまりそんなことを口にしたら相手にどう思われるか知れたものじゃない、という猜疑心。ぼくたちの心を縛っているものは、年季が入った頑丈なものですね。学校で毎日行われる学級会/ホームルームの場も、しばしばクラスメイトの「悪事」の告発の場になっていますし、告発を促す教員も跡を絶ちません。

他人はまずもって監視すべきもので、絶対に信用すべきものではない。このルールが心にあれば、その人が安らいで暮らせるはずはありません。日々の感情は、安らぎや喜びよりも、むしろ不安感、怯え、不信感に満たされているでしょう。そういう心情が優勢なら当然、暮らしている社会には漠然とした不満が生まれてきますが、それを表に出すのは<はしたない>行為ですから<辛抱する>。

先ほど、こうした心情は、統治者が統治しやすいようにするためと書きましたが、そこだけを切り取ると、あたかも統治者が賢く、知恵を絞って策略として考案した、という印象が生まれてしまいそうです。
でも、残念なことに、きっと統治者にそんな知恵は必要ないのです。

統治者、他者の支配に執着する人々は、自己が疎外されている可能性が高いと先に述べました。猜疑心が強く、自己を保てるのは他者との比較での自分の高さの確認をすることによってだけ。他者は利用するか排除するかの対象でしかない。残虐であることが他者をどんな思いにさせるかを、永遠に感じ取ることができない。
この心情をそのまま、人とはそういうものなんだ、という人間観として感じ取っている支配者であれば、相互監視をさせるという仕組みが<非人間的>だと感じることも、そもそもできないのです。そう感じるような心を持っていない、あるいは持つことができないまま成長してしまったのです。

支配者の心情は、ぼくたちの集団のイメージとして、自明のものとして染みついてしまい、そうやってやはり自己を失ったぼくたちは、結果的に、支配者の心情をしっかりと支えることになっています。

補遺 2023.1.20.

元総理が射殺された後の、巷での会話の歯切れの悪さを忘れることができません。かつてアドルノが、弔辞で美辞麗句を並べ立てられる故人は、大変な悪事を繰り返した人だと述べていたことが思い出されます。死んだ人の悪口を言うものではない、死んだ人は皆いい人……。射殺事件など極めて珍しい日本で起きた、白昼堂々の、このスキャンダラスで話題性のあるはずの事件に対して、どんな感情を抱けば「いい」のか、何を言えば「適切」なのか、まるで判断がつかなくなった人たちが、ぼくの周りにたくさんいました。もともと政治ネタを口にすることが「はしたない」ことだという奇妙な道徳感情があるところに加えて、疑惑と問題とに満ち溢れていたとも言える人物の「不幸な」最期を、それが理屈を超えてとりあえず「敬うべき」身分の高い人だっただけになおさら、さまざまな感情の板挟みになって、けっきょくほぼ何も言えなくなった人たち。殺害に及んだ人の来歴と、あの終始虚ろな表情のままの、すでに人間の抜け殻になってしまったような、見ているぼくが辛くなってしまう面持ちの「犯人」を知って、ただの殺人鬼としてワイドショーがいつもなら煽り立てる、「悪人」を責め立てる騒ぎをストレートにはできなくなってしまった人たち。官僚や政治家の占有物だと思われがちな、<忖度>という心のありようは、じつは保身にだけ汲々としているぼくたち市民、被支配民の心のありようだということを、あまりにもあからさまに示すことになった事件でした。


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