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”好き”にお金を使うことは、自分に愛のエネルギーを注ぐこと

今日は少し、心が弾んでいる。
なぜかと言うと、昨日少し遠出をして、紀伊國屋に行ったから。
そして、前から読みたいと思っていた本を文庫で見つけたから。
日本で買ったら660円の文庫だけれど、こちらで買うと11ドル。今日のレートで約1,500円。

少し前の私だったら、「高い!倍以上する!日本に帰国するときまで我慢しよう」と買わなかった。でも昨日は迷わず購入した。
なぜなら最近、「自分の”好き”にお金を使うことは、自分を大切にすること。幸せ、豊かさ、感謝のエネルギーを巡らせること」と学び、今までの思考方法がなんと貧しく、自分を幸せにしないものだったかと気づいたから。

値段だけで判断することは、他人軸で生きること

今までの私は、金額の多い少ないに囚われていた。
「少しでも安い方がいい」「今は自分の収入がないのだから無駄遣いはしてはいけない」と、欠乏意識、貧乏マインドで選択していた。
お金と交換に受け取る、”モノゴト”が与えてくれる豊かさ、喜び、幸せには全く目を向けていなかった。
「本当はこっちが気に入っているけど、いまこっちがセールだから。こっちの方が安いから」と、値段で判断をしていた。
だから、何かを買っても、心から満足することが少なかった。むしろプチ不満。「本当に欲しかったのはこれじゃないのに」という想いが募っていた。
挙げ句、「今の生活は貧しい」「収入がなくて貧乏だ」「私は本当に欲しいものは買えない」と、無意識のうちに呪いのような言葉を自分の中で唱え続けていた。
(さらに付け加えると、「アメリカに来たせいだ。つまりは彼と結婚したせいだ」と、自分の不満をアメリカに来たこと、果ては彼と結婚したせいにしていた。)

よく考えてみると、値段というのは、誰か他人が決めた数字である。
だから、値段だけを見て選択することは、他人軸で生きるということだ。

もちろん、現実にはお財布事情があるから、いま支払える金額と、支払えない金額がある。どんなに本音で欲しいモノでも、いま支払えるお金がなければ、交換することはできない(=買うことはできない)。
だけど、本当に本音で欲しいもので、それが自分に本物の喜びをもたらしてくれる、自分にとって価値があるものなら、いまは難しくても、時間をかけて、それと交換できる分のお金を用意し、その時に交換したら良い。
つまり重要なのは、値段だけを見て判断するのではなく、そのモノゴトがどれほど自分に本物の豊かさや喜び、幸せをもたらしてくれるかどうか。自分にとってそれだけのお金を払う価値があるかどうかだ。

”モノゴト”がもたらしてくれる喜びに目を向けると、自然と感謝が湧き上がってくる

11ドル、日本円にして1,500円を払って購入した定価660円のその文庫本は、昨日からずっと、金額の何倍以上もの喜びをもたらしてくれている。
それだけではく、この本を購入したことで、自然と色んなことへの感謝が湧き上がってきている。
昨日、紀伊國屋へ行けたこと。
行くことを快諾してくれたパートナー。
この本を書いてくれた著者。
この本を出版してくれた編集者、出版社、その他、出版に関わった人たち。
出たての文庫版に出会えた幸運。
紀伊國屋がアメリカにも出店してくれていること。
この本を買うことを快諾どころか、「前から読みたかったなら、ぜひ買うべき」と買うことを私以上に促してくれたパートナー。
そして代金を支払ってくれたパートナー。
パートナーに収入があること。

これらの感謝は、単に欲しかった本を購入できたからではないと感じる。
今までのように金額だけで判断したのではなく、「モノゴトが自分にとって本物の価値があるかどうか?自分に本物の喜びや幸せをもたらしてくれるかどうか?」にフォーカスをして決めたから、自然と湧いてきたものだ。
実際にやってみたおかげで、確かに
「”自分の好き”にお金を使うことは、自分を大切にすること。幸せ、豊かさ、感謝のエネルギーを巡らせること」
だと実感している。

こう感じる機会を持てたこと、体感できたこと、このことを学ぶ機会があったことにも、心から感謝。
大親友のコマキがいなかったら、このことを学ぶ機会はなかったから、彼女にも改めて感謝。

毎日、自分の本音と対話しながら、少しづつでも、愛と感謝と喜びのエネルギーを選択していきたい。

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