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「母の恋文」 本棚より

長年手元にあり
時折開きたくなる本を紹介します
この本は一冊丸ごと恋文でできています。
大正時代にあるひと組の恋人たちの間で
交わされた書簡集です。

「母の恋文」
谷川徹三・多喜子の手紙
大正10年8月~大正12年7月
谷川俊太郎
新潮文庫

あらすじ

本の背表紙より
高名な哲学者だった父・谷川徹三。
その陰に隠れるように一生を終えた母・多喜子。
両親の遺品のなかに、若き日に二人が交わした537通もの恋文が残されていた。京大生だった徹三が多喜子と出会ったのは、大正10年、恋う思いを朝な夕なに手紙にしたため、二人は結婚した。長い時間が流れた今、父母の愛の往復書簡を、詩人で息子の谷川俊太郎が、愛惜の念をこめて世に送る。

谷川俊太郎さんもあとがきに書いているが
本来なら「父母の恋文」と呼ぶべき
内容だろうと。
大正時代のインテリな若者と
何不自由なく育った少し進歩的なお嬢さん、
そんなふたりの微笑ましくも
大胆な手紙のやりとりは日を置かず
頻繁にかわされていた様子で
そのまっすぐな思慕の行方を
応援せずにはいられなかったし
はらはらしたり、わくわくしたり、
なんだか少しうらやましかったり。

多喜子の友達の兄の紹介で二人は
出会ったという。
その日から一年後、その日を思い出して
多喜子はこう書いています。

あの晩あなたにお目にかゝったと云ふ事実は、
ほんとに偶然なのです。けれど、わたしが生まれてから
探し求めてゐた人は、あなただったのです。
他の誰でもありません。

そして一方、

後年、谷川徹三は息子俊太郎に
「多喜子によって僕は救われた」と
何度か漏らしていたそう。

そんな夫の傍らで、静かに先立っていった
多喜子へ90歳の徹三が当てた詩が巻末に
載っていて、しみじみとうらやましいほどの
2人の歩みがそこに描かれていました。

実は最後には
「30年後の手紙
 (多喜子から徹三へ)」
というページが続いていきます。

その内容に、私はびっくり仰天して
しまったのだけれど、
それ以上に、多喜子の一途な愛と
素直さに、感動しました。

あえて内容は伏せておきますが、
もったいぶらずにまっすぐに素直に
愛を伝えていく多喜子には
女の強さを感じて、
そして、夫を心から信じている姿を
垣間見た気がします。

男と女って難しいような
簡単なようなそんな間柄で
けれど、お互いの手を取り合ったふたりには
その二人だけにしかわからない情交が
年月を重ねて生まれていくものなんですよね。

🌼

今は恋人たちのほとんどは
アプリを使っての連絡のやりとりが
主だとおもいます。

あえて書くけれど、私が若い頃は
まだインターネットの時代ではなくて
恋人たちの連絡方法は電話や手紙でした。
待ち合わせ場所と時間を決めれば
スマホがなくても会えるんだってこと
知らない人も多いかもしれない。

トラオくんとこの間そんな話になり
わたしたち、iPhoneなしでも
多分なんとか生きていけるよね。
ただいろんなことが遅くなるだけ。

けれど、時間がかかった分だけ
愛おしく感じるものもあるなあって
思っています。

今日の一枚♪

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トラオくんにもらった
お花栽培セットの種まきを
1週間ほど前にしました。
ひまわりちゃん🌻
こんな季節だけど
育てちゃう

そしたら今日こんなかわいい姿を
見せてくれました

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元気に育ちますように!

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