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観光まちづくりの流れに取り残されてる観光行政

今日は、ある大学のゼミ生が、「地域資源」を見つけ活用する題材として、わたしのまちを選び、実際に「まちの魅力アップ」のために考えてくれ、それを発表するという場に参加しました。

もはや世代間ギャップとしか言いようがない、越えられない深い溝、高いカベのようなもどかしさについて話します。


参加者する住民(高齢者)のカベ

まず、住民の意識として、まだまだ「地域資源=歴史・伝統」です。

地域資源になりそうな素材を提供しようとする住民は、ぱっと見てすぐには伝わりにくい、わがまちの貴重な「歴史・伝統」を、若い学生たちにわかって欲しくて仕方なくて、熱意はわかりますが、話が長くなる傾向が。
聞き手の若い学生たちは、Z世代。
お年寄りにとても親切なので、前向きにお話を聞いています。えらいよね~。

私は好き嫌いがある方で、何を言っているのか的を射ず、対話じゃない一方通行なお話は、長く感じ、何回か聞いたことと同じ話みたいにに感じてしまいます。
結果、右から左へ聞き流し、その場から、物理的か心理的か、消えてしまうこともあります。(ごめんなさい)

ご高齢の参加者は、普段聞いてもらえない自分の話を、若い学生たちに対して饒舌に話します。
でもですよ、
言い訳するようですが、目の前に見えない伝統と歴史の昔話は、テレビ番組のように映像と音声で効果的に伝えてもらわないと、聞き手にもともと興味がなければなかなか伝わりにくいのではないでしょうか。
語り部さんから郷土の歴史を聞き出したいと能動的に聞こうとしている人ならありがたく聞くかも(ごめんなさい)

その長~いお話を(我慢して)聞いた若い学生が、
「若い人に伝えようと思うと、そういうステキな物語を住民がSNSで発信することが大切!」と提案するわけです。
すると「高齢者の僕たちはSNSをつかえないから、君たちがやって」と言う、幾度となく見てきたやりとり光景。
もはや吉本新喜劇(ごめんなさい)


高齢者はSNSをつかえないのか?

いえ、つかえます。
あなたがつかわないだけで、SNSに年齢制限はありません。

だから、堂々と「高齢者は~」って代表して断言しないで欲しいと思うわけです。
でも、しょうがないですよね、高齢者は変化できませんから。
…と、私も「高齢者は~」という言い方をしてみます(ごめんなさい)


セッティングをした行政担当者のカベ

学生たちは、「SNSで同世代が同じ感覚で発信していることが大切」だと思い、発言します。なにもこれが初めてではありません。何度も何度も聞いてきました。

だからね、それを高齢者に伝えようとするのを、そろそろあきらめませんか、と思うわけです。

なにが言いたいかというと、行政が主催すると参加するのは、ほぼほぼ高齢者なんです。
新しい広報スタイルに追いついていないうちの場合、行政からのアプローチの受け手は高齢者です。伝え方の仕組みがそもそもそうなのです。

行政に住民参加者の調整を依頼する時点で、参加者は高齢者だと思っておくべきです。

地元の高校生、地元に住んでいる大学生、若い世代を仲間にすべく、場所を設定できるセクション(たとえば高校)と組めばいいんじゃないですか?

もしくは、そこに気がつき、動くことができる行政担当者と組むとか。

・・・ん?


も、もしかして、私にその調整を?

おやおや?
私にその調整をやれと言われたような気がするんですよ。

「これからは○○さん(私)の協力もいただきたい」と堂々と言われてしまった意味は、そこにあるんじゃないかと思います。

なにこれ。

個人として参加したつもりが、仕事させられるのか?
担当者さん、がんばって。


観光行政担当者も「今の感覚」から少しずれている

今日の発表の趣旨「観光まちづくり」の考え方については、今日参加していた、うちの市役所の観光行政担当者も、高齢者の参加者と同じで、まったく理解していない様子でした。

まず、「観光」に対する考え方が、「今の感覚」とは根本的に違うような気がします。

日本総研の「地方創生のための観光まちづくり」というネット上のコラムがありましたのでご紹介します。

 個人旅行が重視される新しい観光の潮流の中で、地域資源を再発掘し観光客のニーズを掴んでいる地域もあれば、その流れに追いついていない地域も多く存在する。

そうなんです、「今の観光」は「個人旅行」です。

若い人はInstagramで行ってみたいところを検索するんです。団体旅行パンフレットでも大河ドラマでも、るるぶでもありません。
ポストコロナでなおさらその動きが加速されています。

うちの地域に試行的にやってくるツアーに、若いモニターはいますか?

うちの地域にやってくる若い人は、個人ではありませんか?
しかも近い距離からの訪問ではありませんか?
マイクロツーリズムではありませんか?

 特に、マス・ツーリズム時代に団体旅行に合わせて発展してきた地域では、廃業した施設やバブル期の匂いを感じさせる閑散とした施設が多く存在する。このような施設は経営者の手腕の問題として片付けられる傾向にあるが、仮に一施設の経営を軌道に乗せられたとしてもその地域全体の魅力を向上できなければ、その地域を訪れる動機を作ることは困難である。

「マス・ツーリズム」という、団体で、ドドドーーーーーっと行動する旅行を受け入れるには、大きな施設、経費が必要。それが365日持続可能なのか?というところが今の考え方です。

いまだに、マス・ツーリズムがいつまでも続くと思っていて、それが観光だろう、それが一番と思っている人たち。テレビを毎日の楽しみにしている生活様式の人たちの価値感が強すぎます。
観光マスツーリズム志向を聞くたびに開いた口が塞がりません。

うちの観光行政担当者も例外ではありません。はっきり言ってがっかりしています(ごめんなさい)

地域を訪れる動機、魅力は、マスツーリズムにもマイクロツーリズムにも必要なことは当然です。

マスとマイクロには「魅力の内容」が違うと思います。

 このような中、近年、全国各地で観光による地域振興を目指す「観光まちづくり」の必要性が盛んに叫ばれている。「観光まちづくり」は「地域が主体となって、自然、文化、歴史、産業、人材など、地域のあらゆる資源を活かすことによって、交流を振興し、活力あふれるまちを実現するための活動 」などと定義されており、「宝の再発掘」の過程においては、まさにこの「観光まちづくり」の視点が重要となってくる。

マスツーリズムには「権威」のような魅力が必要ですが、マイクロツーリズムには、その場所で「できること」の価値が必要です。

「できること」とは、「まちづくり」です。

住む人に「権威」は必要ないですが、住む人に「できること」は必要です。
住む人も幸せになるのが「観光まちづくり」です。

少し話しただけですが、どうやら観光行政担当者と私は溝が埋まりそうもありません。

尾道は観光まちづくりの感覚があるように感じます。


広報に対する考え方にも、埋まらない溝を感じます。


いろいろともどかしいです。

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