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無意識民主主義の可能性

去年あたりに成田先生が「22世紀の民主主義」という本を出して少し話題になった.どうも民主主義に関して少しばかり疑問に思う人がいた結果なのかもしれない.(もしかするとファンアピールかもしれないが)

そんなことを言っているが内容はとても興味深いものだった.ようやくするならば,民主主義自体の歴史と目的を振り返り,本当の民主主義とは何かを思考し直す.再デザインの考案と可能性を述べたものだった.

実際,今の民主国家を見ていると怠惰な感情を抱くことが多い.アメリカにしても日本にしても所々崩壊し始めているのが目にわかる.

アメリカなんか崩壊寸前の危機で,治安の面や衛生的な面,医療,教育など多くの項目を見ても一部に欠如が存在し人権とは何か?を考えさせられるような場面に出くわす.

そこで治療薬ではなく,本体を変えようというのが,今回のテーマとなった無意識民主主義であると理解する.


21世紀のデータ社会

21世紀に入ってから何もかもが変わった.生活も何もかもがだ.

私は普段「仕事」という名目上で投資をしているのだが、投資をする上で必要なのは資金とパソコン(スマホでも可)だけだ.言うならば外で歩いている時も、カフェで隣の人の話を盗み聞いている時でも投資はできる.

誰とも会わずにお金を稼げる方法の一つであると重宝している.

そんな投資だが、金融の歴史を振り返ると証券取引所という名前が出てくる.その名の通り証券を取り扱う場所だ.そこでは証券所に上場した企業の証券取引が行われるのだが、今のようにインターネット環境は整っていない.だから皆が揃って証券所に足を運び証券を買っていた.

アメリカで発生した大恐慌の時に、証券所に人が集まって大騒ぎしている絵面がすごい印象的で、常に人の密を感じるような状況だった.

しかし、それは昔の話.今ではインターネット技術とスマホと呼ばれるスパコンがポケットの中に常時携帯してある.

インターネット技術によってSNSと呼ばれる双方向多数コミュニティが開かれ無限大の人配線を張り目ぐらせることに成功した.

インターネット環境が整うにつれて経済や金融も仮想化が進んでいった.莫大な情報を仮想世界で運用し発信させることによって人やモノの分散化が可能になった.

それが加速したのがコロナ禍と言える.東京内でのテレワーク利用率は10%だったのがコロナ禍に本格的に移行するとなった時、38%以上の人がテレワークを利用し始めた.平日に近所のカフェが急に混み始めたり夫婦で平日に外出するなど今までは出来なかったことが出来るようになってきた.

違う意味で考えると人は属している共同体からの分散・解放とも言えるかもしれない.

また人が仮想世界への移行として始まった機会とも言えるだろう.コロナ禍真っ只中の時、人は外に出ることへの不安から家に籠るようになった.

しかし自宅と言ってもやることは限られてくる.家族がいない核家族化が進む日本では自宅にいても一人の時が多い.すると自然に人はスマホを見始める.他の人とコミュニケーションを取りたくなるからだ.

元々人は共同体、コミュニティの中で生活を行ってきた.そして唯一の言語を持ち世界中の人とコミュニケーションをとることを可能にした種族だ.そんな種族がコミュニケーションを取らずに生活することなどできるはずがない.

すると自然とスマホの中に飛び込み始めるのだ.スマホを使えば中にはストレス発散用の炎上系人材と話が合いそうな人が大量に存在する.

中には自己啓発的なレアな人材もいるわけだが.

コロナ禍初期のSNSビューイング数を見てみると急激に伸びているのが分かる.家から出られない人間はコミュニケーションを求めてSNSという仮想世界に飛び込んだわけだ.

砂の数より多いデータ群

先ほどSNSの話を出したが、SNSの中に保存されているのは大量のデータだ.SNS以外でも同じで,ECサイトにも大量のデータが保存されている.

そのデータをアルゴリズム解析し,一人ひとりに違ったサービスを展開する事に成功している.

その成功事例がヤフオク!で商品を見た時に似たような商品がホーム画面に掲載されたりオススメされたりすることだ.

我々の興味関心は人によって大きく異なる.性癖なんかが分かりやすいかもしれない.(今回は止めておこう.)

そういった我々が常にネット社会に接続している事で発生したデータがあるのだ.

このデータ利活用は企業規模の話だけでなく国規模でも行う事ができる.例えば一人一台端末が小中学校に支給されたGIGAスクール構想では端末内での学習データや個人の成績、作文内容だったり一見必要なのか分からないようなデータを蓄積し分析することで一人ひとりに特化した学習モデルの作成も夢ではない.

学習時間や方法から成績を割り出し、将来の夢の作文からその人にあった将来像の予測などが可能になってくる.

国規模の話であれば、マイナンバーカードのデータ活用も考えられる.あの一枚が全ての個人証明として活用されたり、デジタル端末へ常に接続されれば大量のデータが蓄積され、人の行動アルゴリズムや年代別の医療充実度へのさらなる補填が可能になってくる.

そう考えると中国の監視社会は別の意味では国の成長に欠かせない材料なのかもしれない.どこの都市に行っても監視カメラが付いてきて、外国産SNSへの規制を行ったりしている.

SNS内にほとんど外国人が存在しないWeiboなんかは中国人の民意を最大限まで分析し国の政策として大きな材料となる.

今後の社会ではそういったデータの利活用が重視されていくと予想できる.

私生活で発生する無意識的なデータ

我々は生活をする中でコミュニケーションをとると説明した.それは人間の歴史的背景を踏まえると当たり前の話で、コミュニケーションを取らないと生きていけない種族なのである.

そして普段行うコミュニケーションには深い意味はない.何も考えずにコミュニケーションをとっているからだ.あなたもコミュニケーションを取るときに「コミュニケーションをとっている」と考えたことはないだろう.

重要なことでも重要ではないこと.それがコミュニケーションだ.

そんなコミュニケーションの中には民意的な意識が存在しているのではないか?と書かれているのが「22世紀の民主主義」の無意識民主主義の内容であると思われる.

普段無意識的に行われるコミュニケーションの中には政治に関係しなくとも民意的な社会データが存在している.

「最近、卵が高いな」「ガソリン代が高すぎて車に乗れない」なども一例と考えられる.意識的に考えるよりも感覚的に感じることをコミュニケーションで行ったとき、そのコミュニケーションデータが蓄積されていく.SNS内で呟くのも同じ原理だろう.

そういった無意識的な民意から政治的な政策出力としてアルゴリズムが形式的に作成される無意識民主主義の確立である.

21世紀に入ってインターネット技術が整備され、情報が仮想世界に移入し人間の移行作業が開始されている今だからこそ夢ではなく現実としての実現可能な目標となるわけだ.

大量のデータをアルゴリズム的に取り除き民意として政治政策として出力する.今の間接民主主義ではない直接民主主義の可能性を秘める意味でも民主主義思想の大きな進歩とも言える.

我々の無意識的な意見が政治意見として組みこれる世界.我々は何も考えず生活することが民主主義として成り立つ社会となる.そんな世界が待っているかもしれない.

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