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テクノフォビアとキカイとイノベーション

最近やたらと思うことがある.2022年の10月を機に幾度となくメディアがAI関連に敏感になり、多くの場所でAIに関する議論であったり情報が共有されていること.

僕の学校でもAIについて少しだけ学校の授業中に触れる機会があってディープラーニングとは?みたいな授業があったんだけど、内容は「AIってすごいよね〜」話で「教育と社会では完全に分離した存在なんだな」と改めて理解することになった.

でも意外と社会と教育の燃え方と理解に関してはほぼ似ている部分があるのかもしれない.多分情報量に関して言えば社会から情報を摂取する人の方が情報としては多いし、学校では情報を多角の方向から摂取するため、一つに特化した情報を持つことは難しい.

しかし論点の面で見れば、皆が同じ方向を見過ぎていると感じる.「AIすごい」「AIってこんなことできるんです」「AIによって作業が効率化できる」なんて聞くが本来の目的のような部分がブラックボックス化してきているのであないかと最近感じることが多い.

AIによって効率化できるから何なのか.地球温暖化が進歩世界をどう見据えて解決の方向を向かせればいいのか?などの議論がなく皆が揃ってAIの話題作りを始めているのにはかなりの問題意識を感じる.

中にはAIを使って今の人口減少に耐えられる社会を構築させる設計図を考えている人もいれば、AIによって今の社会に新しい価値を発生させるツールとして考えたり、スタートアップとして考えている人がいる.

その一方でメディアのAI話題に乗っかることを重視して世界の危機への問題ではなくAIをイノベーションとして考えすぎている人もいるのは確かだ.本来の話ならば、AIはイノベーションの材料として考えられるべきなのだが.

今の日本では人口減少による問題点が発生し始めている.例えば、水道管を挙げてみる年々整備の期間が伸びているのは事実で、今すぐにも破裂しそうな水道管は存在する.

電線工事や道路整備など今の日本には人口の減少によって手の届かない地域が出てきてしまった.このままいけば,我々のインフラ環境はアメリカよりも酷い状況になり地方都市では半弥生生活が行われてしまってもおかしくない.

しかし江戸時代の後期、幕末の頃の日本は約3000万人規模での国運営を行なってバランスの取っていた.今の4分の1の人口で国を運営できていたわけだから、1億2000万人もの人口を抱える日本は足りないという議論はおかしい.逆に議論としては「多すぎるから減らそう」の議論の方が正しかったりする.

今の人口減少程度で人口が少ないという議論は「人間を使いすぎだ」と理解すべきなのだ.「人間を使いすぎているからキカイで運営できる仕組み、システムの構築を考えないといけない」というふうに感じてくれればいいのだが、半数の人間は違うようだ.

その中でキカイに対して「人間中心がいい」と言っているヒマはないのだ.今まず議論すべきなのは人口減少と向き合っていくためにキカイをどう使っていくべきなのか?ということと地球とサスティナブル革命を起こすためにはどうすれば良いか?であり,AIで騒いでいる場合ではないと感じる.

確かにAIは今までにない技術革新ではあるが今の世界においてAIはソリューションのためのツール以上の何者でもない.そこを理解しないで議論をしてしまうとAI信仰的に崇拝文化としか言えない.神でもなければ聖人でもないAIは我々と生活と世界を解決するためのツールとして考えていかなければならない.

だからまず議論の根底から見直して「人口減少は仕方がないから人口が減っても耐えられる国作りを考えよう」という風に思考チェンジしないといけない.まずは日本の国民から発せられる空気を無視してデータドリブンでの議論を構築しなければならないのが21世紀の課題だ.

そんな21世紀に住む風邪をひいている住民より.

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