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AIイノベーション≠プロトピア

ちょっと前に「AIと共生する202X」の時に書いた、人間はAIと常に共生し相互を補い合ってる関係性にあるっていう話なんだけど、僕らってもう人間だろうが何だろうが受け入れてコミュニケーションを取るようになった種族だなって少し感じて.

機械と人間のユーザーインターフェースは徐々に薄れてきている.そして僕らは意外にもあっさりとAIを受け入れて自然な暮らしをAIと共にしている.AIの犬になって今もこうして生きている.

やはりAIの話をすると多くの人が感じるのがテクノロジーに対する嫌悪感なんだけど、古典的な文化を重要視するテクノフォビア陣営が槍を入れてくる.

イギリスの産業革命時も多くの衝撃が起こったと思う.今まで人間が行なってきた作業がキカイによって最大効率化され生産が著しく向上し今の資本主義構造のような一部に利益が全手中するような感じになったからだ.しかし今も同じような状況にあるのではないだろうか.

イギリスの産業革命時も人間が行なっていた作業をキカイが代替して効率化そしてコストカットが行われたはずだ.実際にラッダイト運動と呼ばれる暴動が起こった.人間がキカイに代替された人たちの暴動だが今現在を考えればビジネスをする上でキカイの導入は当たり前になった.第一次産業と呼ばれる農業や水産業もキカイの導入を行なって効率化を図っている.

その中で人間は人工的に魚を増やそうという理想を掲げた成功させた.今では近畿大学がマグロをヨコワ(稚魚)からの養殖に成功させるなど今でも多くの功績を積んでいる.

少し話はそれたが昔にも今と同じようなイノベーション騒動は起こっていたということだ.今はマスの動きが固まり移動しなくなったので激戦場は仮想空間だったりするが代替されることに嫌気の指している労働者の反乱が起こっているだけだったりする.

正直時間との戦いという部分は大きいだろう.しかし、歴史を振り返ってその部分は「たまたまいい方向に繋がった」というプロトピア的な結論にも常げられるかもしれない.

以前noteでプロトピアについて話てみた.要は技術革新によって徐々に社会が良くなっていくのではないか?といった楽観的な思考だ.(もう少し詳しく書いたはずなので参考にしてもらえると嬉しい)

そのプロトピアの世界がイギリスの産業革命だと言える.しかしAIとなるとその規模は産業革命以上かもしれない.結果によっては「幼年期の終わり」のような人間同士で知能や思考の部分で大きく分断を招き結果的に通信が途切れてしまうような世界線は十分にあり得てくる.

今はプロトピアの楽観視的思考よりも「もし分断が起こってしまった時にその間を保つ存在は何なのか?」について議論する必要がある.キカイが保つのか.それとも人間が物理世界での訴えかけを始めるのか.詳細は定かではないがイノベーションの速さは産業革命とは比にならないのは確かだ.インターネットが普及し人々はひとつの世界になった.

アフリカにいても日本にいてもベトナムにいても情報は世界中のものが集まってくる.そんな世界線だとAIのイノベーションが起こると世界中が混乱を起こす.(それが今の社会なのだが)

要は大航海時代で船に乗って情報が来る時代は終わり、朝起きたら世界は自分のみたことない世界に変わっているという状態だ.

僕らはキカイに使われるネコになってキカイにご飯を求めてキカイに運動させられるようになる.
こういうと反発されるけどベーシックインカムが実現すれば少なからずキカイからの恩恵を受けることになりApple Watchにより運動が促され,システム上の中で人間が身体を提供して製造する.既に起こってる事実.

Twitter LeoSUGIMOTO

この際はっきりと認識して欲しいのは人間のキカイの代替はすでに始まり大体の人間はキカイのネコであるということ.ベーシックインカムが導入されれば多くの人の生活はキカイニよって支えられるようになるから、キカイのネコと言っていい.今もキカイに頼って自分の仕事が安定している人はいるし、腕時計型のウェラブルデバイスでキカイに体調管理させている人は多い.

すでに始まっていることに後から「それは良くない」と言い出すのは見当違いだ.常に僕らの体は自分での管理ではなくキカイに委託する形に変わりつつある.その時代の流れを歩めるのはデジタルを受け入れデジタルと人間を融合させた人材に違いない.今後来るべき波に乗れるのは理解して受け入れらる者のみだ.

そんなことを思いながら眠そうにしている深夜の3時机の上から.

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