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【沖縄戦慰霊の日】世界のみんなにあったかくてしあわせなごはんがありますように
ガザ地区で餓死するこどもたち
私は今回のパレスチナの混沌について、詳細や背景を良く知らないので、あまりコメントしたくないが、これだけはずっと言おうと思ってきた。
理由がどうであれ、作り上げた理由が正当化されるかこてんぱんに叩かれるかは置いておいて、人類がした愚かな事でこどもたち(こどもに限らないが)を餓死させるというのは、あまりにも人類の未来に希望が持てないし、痛ましすぎる。
この世界にはたくさんの食べ物があるのに、必要なひとに行き届かない。
捨てるような部分を誰かにそのまま寄付できたら、救える命もあったはずなのに。
沖縄戦とガザ地区とウクライナが重ね持つもの
この3つの戦場がともに持つのは、食糧難だ。
どこの地域も、食べ物に困っているひとがいる。
それは戦争に関係なく現代の日本にもいるが、戦争の場合は、防ぐことも可能かもしれないということにおいて、余計に悲惨だと思う。貧困は自己責任ではないが、戦争は人間が引き起こしたものだ。名前も知らない誰かを傷つけ、痛めつけ、殺すことができるという、人間の愚かで怖い部分が戦争には凝縮されている。なぜそんなことができるのか。彼らは敵対するひとたちを、圧政の下に置くひとたちを、同じ人間だと思っていないからだ。
戦場に出たら、美味しいものなんて期待できない。いのちをつなぐための最低限の食べ物しかない。それも偏った食事になるし、なにより愛する家族たちと食べられるものではない食卓は、さみしい。そういった家族を引き裂くことを、人間はしている。しかも、生きて帰れればいいが、なんらかの理由で途中で殺されることだってありうる。
私達は誰も、あした生きられるかどうかなんて知らないが、戦場ではそれが顕著だ。運よく1個の砲弾を避けられたとして、それがまた自分に降りかからないとは限らない。一瞬の油断、あるいは運の悪さが命取りになる。
どんなことがあっても餓死させてはいけないという世界になりますように
戦争だろうが虐待だろうが貧困だろうが、どんなことがあったとしても、ひとを餓死させてはいけない。
そういったことが世界のみんなに共有されてほしい。
イスラエルが正しい、パレスチナが正しい、アメリカがただしい…。
そんなことを言っていても、餓死するひとは昔にも今にもいる。
武器を捨て、平和を外交の力で取り戻そう、というのはとても難しいことに思える。
それでも、私は人間がつくった武器と言うものを、いつか捨てられると信じている。
それは、平和、愛、赦しの力で、かなえられることだ。(私はクリスチャンなので、余計にそう思う)
人間が作ったものは、人間が生み出せるものは、きっと捨てられると信じていたい。
平和外交に意味がないと、いまの世界を見ていると言えてしまいそうだが、それでも私は希望を持っていたい。
そして、目の前にいるひとを、国籍や人種など、いろいろな理由で嫌ってしまわないように。
誰かに石を投げたら、それが世界の最も弱いひとたちにもあたることになるのだから。
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