檸檬読者記録 映画『まあだだよ』
黒澤明『まあだだよ』を観る。
先週、本版『まあだだよ』の感想を投稿し、今回は主に映画の方の『まあだだよ』について。
本の方はこちら↓
(とはいえ、読まなくても支障はない)
兎に角、この一言に尽きる。良かった。とても、良かった。
変に飾りはいらない。ただただ、良かった。
内容は、文で食べれることになった内田百閒が、教師という仕事を辞め、文の仕事に専念する。
そんな内田百閒の家には、彼を慕う教え子や弟子たちが集まり、戦前戦後もそれは変わらず、彼の周りには常に人が訪ねてきた。
これは、内田百閒とその門下生たちの心温まる物語。
なんとも素朴で、純粋で、優しさに溢れた作品だった。
人情に満ちていて、今の時代、こんなことあるだろうかと考えると、いいなと思わずにはいられなかった。
自由も物も少なく不便だらけ、監視されたりと息苦しささえある。そんな中でも、当時の良さが全て詰まっている気がした。
特に、猫の話。
内田百閒が飼っていた猫・ノラが突然いなくなり、内田百閒は相当に落ち込んでしまう。泣きくれ、食事も喉を通らなくなる始末。
しかしそんな内田百閒を見て、心配した周りの人達が、猫を必死に探そうとする。どうにか元気になってほしいと、駆け回る。
そして見つかったと思えば内田百閒の元に集まって、自分のことのように喜び合う。
そういうのっていいなあと、見ていて微笑ましくも羨ましくもあった。今、こんなことあるのかなあ。
他にも、内田百閒の家の前に家が建つことになり、地主と買主が挨拶に来る話がある。
けれど買主が傲慢で、建てる家が内田百閒の家を阻害するものなのに、それでも構わないだろうと言う。けれど話しが違うということで地主が怒り、自分もお金がなく困っているのに、断固として受け入れず突っぱねる。
目先の利益や自分のことではなく、他人を大切に想う。
その人情や思いやりの心に、じわじわと心が温まるようだった。こんな人、今いるのだろうか。(まあ昔とて、ここまでの人はなかなかいないと思うけど)
その後の展開も素敵で、もうじわじわされっばなしだった。肉まん並に、自分の心はほかほかになった。
今回初めて、黒澤明監督の作品を観た。これまで1度も観たことはなく、けれど華やかで刺激的なイメージだけはあった。
だが、これはその真逆だった。
別段何か起きる訳でも、事件はあるが、刺激的で過激なことが起きる訳でもない。
だからこそ、これが黒澤明監督の最後の作品であると思うと、とても考え深いなと思う。
ただ素朴だからか、凄く人を選ぶ作品だろうなとも思った。年齢というよりかは、時期を選ぶ作品だろうなと。
自分も、昔だったらここまで面白いと感じてはいなかったんじゃないかと思う。今だからこそ、良いなと思える気がする。
刺激を求める人には、少し物足りなく感じるかもしれない。けれど、古き良き時代を少しでも良いなと思う人や、今のこの殺伐とした忙しない世の中に疲れている人には、刺さるんじゃないだろうか。癒しになるのではないかと。
そしてきっと、内田百閒が好きになる。
自分は最初、内田百閒が気になっていて、内田百閒なら黒澤明の『まあだだよ』をおすすめされ、けれど映画よりも先に本の『まあだだよ』を読んで、監督の黒澤明の方に夢中になった。
けれど映画を観終わった今、内田百閒に落ちている自分がいた。
それくらい映画の中の内田百閒は魅力的で、惹かれる存在だった。
文筆家なだけに、自分の中では最初、内田百閒というのは堅いイメージがあった。けれど映画の中の内田百閒は、純粋で無垢。そんな先生のことを、門下生たちは「金無垢」と表すのだが、本当に「金無垢」に相応しい人物だった。
何の混ざりっけもなく、子どものように純粋で無邪気。
そのためか頭が柔らかく、ユーモアに溢れ、内田百閒の言葉や行動に何度も笑わされた。
けれど良く聞くとどの言葉も深くて、何度もハッとさせられる。
例えば、ケーキを持ってきた子供に向けて
好きな物を手放さなくてはいけなかった時代を生きた内田百閒の言葉だからこそ、考え深く、自分には深く刺さった。
他にも、ただただ面白いエピソードもたくさんあって、自分が特にお気に入りなのは、馬のエピソード。
人を集めて鍋をするのに肉が足りず、馬の肉を肉屋に買いに行く内田百閒。
肉屋が馬の肉を切り、終わるのを待っていた。その時、従来の向こう側に馬が通るのだ。
馬は内田百閒を見、内田百閒も馬を見、目と目が合う。
文だけでは半減してしまうが、その時の馬の眼と、間がなんとも言えず、可笑しかった。
是非とも観て、あの感覚を味わってほしいなあと思わずにはいられない。
所々にこういう愉快なポイントがあって、内田百閒のユーモアとチャーミングさに何度もクスッと笑わされた。
ちなみにチャーミングさで個人的に好きなのは、門下生が雨の中、内田百閒の3畳の小屋を訪れた際、内田百閒が門下生に「傘が欲しいなあ」と言うところ。この「欲しいなあ」が、なんとも愛らしいのだ。(後で知ったが、宮崎駿もこの場面が好きなのだとか)
本当はたくさん、ありすぎるくらいあるから書きたいが、長くなるからこれくらいに。他の部分は是非とも映画で体感してほしい。
その内田百閒を演じる松村達雄さんもまた良く、正に内田百閒という感じだった。黒澤明さんも書いていたが、この役はこの人しかいないのじゃないかと思えるくらい、ピッタリで驚いた。(とはいえ、自分は内田百閒のことを全然知らないのだが…それでもこの人しかいないと感じた)
内田百閒の他にも、門下生たちもまた魅力的で、特に所ジョージさん演じる甘木がいい味を出していた。
こちらもまさにピッタリで、内田百閒の教え子にいそうな、今でも内田百閒の側にいて「先生!」と言って、ニコニコ笑って遊びに行ってそうと思えるくらいだった。
本当にどこもかしこも抜かりなく、魅力的で、悲しい場面でもないのに、何故がじわじわと、何度も泣きそうになる。温かく、そして笑えて、あぁ、この作品に出会えて良かった、観れて良かったと、そう思える作品だった。
そして『まあだだよ』という作品は、是非とも本と合わせて見て欲しい作品である。
本の方も良く、映画が内田百閒に夢中になるなら、本は黒澤明に夢中になる。
前回『まあだだよ』の本の方で書かなかったシナリオだが、映画を見た後に読むと、映画では聞き取れなかった部分まできちんと理解することができるから、特におすすめ。
そしてシナリオと共に、黒澤明監督自身が描いた絵もあって、それを映画の後に見ると、本当に忠実に再現されているのが分かって、それがまた面白い。
片方だけでも充分楽しめるが、片方を見たら是非とももう片方を見てほしい。
そうして『まあだだよ』の魅力に、どっぷりと浸かってくれたらなあと、好きになる人が増えたらなあと望まずにはいられない。
んー、愛がありすぎるからか、また全体的にグダグダで、なんともまとまりのない文章になってしまった…。伝わってくれると良いのだけれど…。
ここで、少し蛇足を。
本の方の『まあだだよ』を読んだ際、興奮がすごすぎて、誰かと分かち合いたくて、でも観てそうな人が母親しか思いつかず、とりあえず聞いてみた、その時の話。
聞いてはみたが、結局母親は観ていなかった。
ただ黒澤明監督の『まあだだよ』という作品があったのは知っていて、当時流れていたプロモーションビデオの映像を覚えているということだった。
少年が「まあだだよ」と言う場面を、映画は観ていないが、鮮明に覚えているという。
その話を聞いて、それって凄いなと思ってしまった。
通常は、映画を観て知っているからこそ、あの場面は印象的だからと覚えたりする。内容が全て頭に入り再生出来るからこそ、残っていたりする。
でも、内容も知らず、観ていないのに、刻まれて今でも記憶に残っているという。
それくらい印象的だということで、だからこそ黒澤明の凄さを実感した。
本当に凄い。もうそれしか言えない。
『まあだだよ』について、母親からもう1つ興味深い話を聞いた。
本にも載ってなく、昔の話だから事実かどうかは分からないが、少年が最後「まあだだよ」というシーンは、何度も撮り直して撮ったシーンなのだとか。それくらい重要視されている箇所であり、だからこそ観ていない人にも印象に残るものになったのではないかと思った。
そして確かに、印象的だ。
今でも、独特な雲と夕日に染まる幻想的な空が目に浮かび、「まあだだよ」という言葉が、耳に残っている。
そういえば、黒澤明監督ではないが、北野武監督の興味深い話も聞いた。
黒澤明は絵コンテはモノクロではなく、しっかりと書く。そうすれば、周りの人にも自分のイメージが伝わりやすく、理解しやすくなるから。そして自分の中でぼんやりとしていたイメージが、明快になるから。
それを真似して、黒澤明を尊敬している北野武もまた映画を作る際、絵を描くようになったのだとか。
北野武監督といえば、血が飛び交う過激な映画を撮るイメージがあって、黒澤明監督とはジャンルが違うような気がしたが、それでも、妙に納得してしまった。
聞いて、改めて考えてみると、似通った部分がある気がした。
黒澤作品は『まあだだよ』の1作きりで、北野作品に至っては観たことがなく、テレビで流れるほんの一部分しか知らない。けれどそれでも、確かになと腑に落ちるものがあった。
とはいえ、何がと言われれば自分でも分からないが、ふわっと言うなら熱量とか姿勢なのかな…。後は着眼点?んー、もっとこれといったものがありそうなのだが…分からぬ。
まあでも、だからなんだ、という話なのだが。
映画に戻すと、今回『まあだだよ』を観て、他の黒澤明監督の作品も少しずつ観ていきたいと思った。
勿論、内田百閒自身も魅力的な存在には違いない。けれど、内田百閒という人物が主人公で、ここまで惹き込まれ、観れる映画を作れるのは、やはり黒澤明監督ならではなのではいかなという気がした。
そして1回きりでなく、また観たい、何度も観たいと思ったのは、自分の中ではジブリ映画以来だった。それくらい、好きになった作品だった。
この作品で内田百閒を好きになったことで、最近内田百閒ばかり追いかけている。
そらくらい、魅力にやられている。黒澤明監督と共に。
映画の方でも本の方でも、両方でもいい。見て、内田百閒に取り憑かれ、黒澤明に熱狂する人が増えるといいなあと願いつつ、今回は閉じようと思います。
グダグダダラダラ、非常に読みづらいものになってしまった…。このような文を、その上蛇足まで読んで頂き、ありがとうございました。
皆様に良きことがありますよう、祈っております。
ではでは。
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