見出し画像

檸檬読書記録 『どこからか言葉が』

今日の本は

谷川俊太郎『どこからか言葉が』

詩集。
惹かれたものをいくつか。


『はらっぱ』

「はらっぱでこどもたちがはねまわっている
このくにでもあのくにでもはねまわっている
むかしからこどもらははねまわっていた
これからもはねまわるだろう うんがよければ

おとなはわらいながらそれをみまもる
それがえにかく うたにする おはなしにする
それからそれをおもいでにして
せんそうをしによそのくにへでかけていく

はらっぱでこどもが ねている
どうしたのだろう
こどもはいつまでたってもおきあがらない
おとなはもうはらっぱにもどれない

いつのまにかはらっぱはほりかえされて
おおきなふかいあなぼこになった
そのうえにたかいたてものができた
うんよくおとなになったこどもらがたてたのだ

しんでしまったこどもたちのことを
いきているこどもはがっこうでまなぶ
こうていでこどもたちがはねまわっている
うつむいてひとりでたっているこもいる」


ずっしりと言葉がのしかかるようだ。
いつまでも、こどもがはねまわる場所であればいいのに。
いつまでも、はねまわれる世界であればいいのに。
自由に、のびのびと。
そう願わずにはいられない。


『六月』

「あなたを待っています
木の椅子に座って
あなたが誰かも知らずに
あなたを待っています

(略)
決して来てくれないと知りながら
独りで生きることに耐え
思い出がそのまま希望であるような午後
いないかもしれないと思いながら
でも待たずにいられないあなたを
待っています 明日を夢見ずに

この世の底知れぬ深みに驚き
禁じられることを恐れず
許されることを期待せずに
どんな祈りにも頼らず
待っています
咲き初めた紫陽花とともに
あなたを」


あなたとは、結局何なんだろう。
頭の弱い自分では、待っているあなたの姿も形も曖昧で、はっきりとは分からない。
それでも、一緒に待ち望みたいような気持ちになった。
いつまでも。

谷川さんの作品は、どれも胸を突くものがある気がする。
言葉もいい意味で捻りをあまりきかせず、だからこそ余計にストレートに刺さってくる。


そして最後にもう1つ


『元はと言えば』

「(略)
歳をとると厚着が重い
コトバを脱いで裸になって
宇宙に吹かれたい」


これが『どこからか言葉が』という本の、最後詩になっている。これを最後に持ってくるセンス。なんと抜群で素晴らしいのだろうと、脱帽してしまった。
自分も全部捨てて、宇宙に吹かれたい。そんなことを夢見つつ、今回は閉じようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
ではでは。



こちら↓にも、『どこからか言葉が』の別の箇所を載せています。
よろしければ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?