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掌編小説 『未来のカレー』

 社員食堂の端の端の席に座り、買ってきたコンビニのカレーライスの蓋を開ける。店員に温めてもらったばかりなのに、すでに冷めてしまっていた。蓋に貼られたシールには、「代用肉と代用野菜のカレー」と商品名が書かれている。原材料の表示部分を確かめると、米も代用米とれた。

 つまりこのカレーライスは、ほぼほぼ代用品で作られている。イチ押しだの大ヒット商品だのと陳列棚のPOPでしきりに謳われていたので、つい選んでしまった。他に食べたいものが、思いつかなかったのだ。

 十年以上前に、「未来のカレー」として代用肉を使用したレトルトカレーが出た時は、さして美味しくないのだろうと思ったものだ。大豆なんかじゃ肉の代わりは務まるまいと莫迦ばかにしていたが、食べてみれば食感も味わいも本物の肉に似ていて、なかなか美味うまいじゃないかと驚いた。それから健康志向の妻に合わせて代用肉を食べているうちに、すっかり舌が慣れてしまった。

 味も良く、保存も利き、しかも地球環境の為にもなるからと、代用肉を使った料理はスーパーでも飲食店でも増えていった。日に日に品質も技術も向上していき、人気が高まるにつれ値段が下がり、そうなるとさらに歓迎されて、瞬く間に食卓の定番となった。

 すると次は代用野菜が登場した。天候に左右されずに工場で作れる代用野菜は価格も安定していて、栄養も本物の野菜と変わらない。どころか、強化されているものも多い。さまざまな種類の代用野菜が開発され、生産が拡大するとともに、これも口にするのが当たり前になった。

 そして代用米、代用牛乳、代用小麦……と、新しい代用食品が続々と登場し、今ではほとんどの食べものが代用品から作られている。その分だけ本物の食品の価格が高騰して、ここ最近は全く本物の肉も魚も野菜も食べていない。俺のような貧乏人には、本物の肉を使ったカレーなど、もはや贅沢なのだ。

 俺は肩をすぼめながら、満席に近い食堂で、黙々と代用肉のカレーを口に運ぶ。なんだか味気ないのは、冷めたカレーの所為なのか、混んでいるわりには静かすぎるこの食堂の所為せいなのか、判らない。

美味うまいと云えば美味いけど、久しぶりに本物のカレーが食いたいものだな」

 そうぼやくと、隣りに座っていたT岡がこっちを向いた。

「本物のカレーって何です」

 若い男の顔はいやに清潔で、生活の匂いと云うものが微塵もまとわりついてはいなかった。

「君たちはらないか。本物の肉と野菜と米を使ったカレーライスだよ。昔は俺たち庶民の味だったが、今じゃ高級品だ。めったに食べられない」

 T岡はくびを傾げる。

「本物の野菜も米も作るには大変な労力と時間がかかります。肉牛を育てるのも同じです。代用食品は人類の進歩の証でしょう。素晴らしい技術じゃないですか」

「まあそうだが」

「しかも地球環境にもやさしい。利点ばかりじゃないですか。どうして文句をつけるんです。それに何より安い。安いことは、一番嬉しいことなんじゃないんですか」

 はっきりと物を云う新世代に、俺は苦笑する。

「そうだな。代用品でも、美味いし、安いし、食べられるだけ有難いことだ」

「そうですよ。食べられるだけ、幸せなことです」

 T岡は頷く。俺はカレーを食べ終えて、一緒に買った缶コーヒーを開ける。静粛とした食堂を見回した。無駄な雑音の無い空間。

「君たちが本物より高いのは、どうしてなんだろうな」

 発するつもりもなく口からまろび出た問いかけに、俺たち本物の労働者よりも遥かに高給取りのヒューマノイドは目を瞬かせる。

「さあ、どうしてでしょう。本物よりも格段に性能が高いからじゃないですか。私たちは心身ともに病むことはなく、間違いも犯しませんから」

 大真面目に答えられ、俺はまたもや苦笑する。「コーヒーの味わいもらないくせに」

 彼は昼食を取らない。だが充電の為にこの食堂にやって来る。俺と同じ数少ない人間の労働者は、こそこそと肩身を狭くして、ここでものを食べるのだ。

 T岡は俺の手にある缶コーヒーに視線を落とす。目の動きも、皮膚の質感も、つくづく本物の人間と変わらない。

「そのコーヒーも代用豆ですよ」

 温度を全然感じない口ぶり。こいつは一体、誰の代用品だっただろう。思い出せない。この数年の間に次々と取って代わられていった。俺の代用品も、じきに現れるかもしれない。

 食べた直後なのに胃が冷たい。代用肉と、代用野菜と、代用米と、代用小麦と代用スパイスのルーで作られたカレーは、冷めるのが早いな、と、思った。コンビニからここまでの距離は、せいぜい五分くらいしかないのに。

 今度の休みは息子を誘って、ホテルで高級なカレーを食べよう。それから彼の行きたがっていたテーマパークへ連れていこう。風味の飛んだコーヒーを飲みながら、俺は考える。

 代用父を求められないうちに、本物をたっぷりと味わわせてやろう、と。


【 終 わ り 】

*ギャラリーより素敵な作品をお借りしました。どうもありがとうございます*

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