1967年の渡辺貞夫と泉田エミイ
1963年1月10日、ブラズィウのPhilipsが、17歳のジョージ・ベン(Jorge Ben、1945年3月22日~)のアルバム『サンバ新機軸』Samba Esquema NovoのLP盤を発売した。
「こりゃすごい」Mas Que Nada(3分02秒)を収めた。
1964年3月、アメリカ連合国のVerve Recordsが、36歳のスタン・ゲッツ(Stan Getz、1927年2月2日~1991年6月6日)(ts)と32歳の歌手ジュアウン・ジウベルト(João Gilberto 、1931年6月10日~2019年7月6日)のアルバム『ゲッツ/ジウベルト』Getz/Gilbertoの8曲入りLP盤(V-8545)を発売した。
録音は1963年3月18日、19日におこなわれた。
このアルバムに収録された「イパネマの娘」The Girl From Ipanema(5分15秒)は、ジュアウンがポルトゥゲス語で歌い、当時ジュアウンの妻だった、22歳のアストゥルージ・ジウベルト(Astrud Gilberto、1940年3月29日~2023年6月5日)がイングリッシュ語歌詞で歌うものだ。
1964年3月31日、ブラズィウ連邦共和国で、カステロ・ブランコ(Castelo Branco、1897年9月20日~1967年7月18日)が軍事政変を実現させた。
1964年5月、Verve Records が、ゲッツ、ジウベルト「イパネマの娘」The Girl from Ipanema(2分44秒)、スタン・ゲッツ「風に吹かれて」Blowin' In The Wind(2分22秒)のシングル盤(VK 10323)を発売した。
「イパネマの娘」は、ジュアウン・ジウベルトのポルトゥゲス語歌唱部分を削除し、残りを切り継ぐ形でシングル・カットされ、大ヒットした。
1964年6月、ブラズィウのElencoが、26歳のバーデン・パウル(Baden Powell、1937年8月6日~2000年9月26日)(ギター)のアルバム『意のままに』À VontadeのLP盤(ME-11)を発売した。
録音は1963年だ。
1964年11月1日、日本グラモフォンが新契約したアメリカ連合国の原盤販売会社「ヴァーヴ・レコード(Verve Records)」、「MGMレコード(MGM Records)」のうち、スタン・ゲッツのヴァーヴ・レコードのアメリカ直輸入盤の発売を始めた。
1965年8月、日本グラモフォンが、スタン・ゲッツ来日記念盤、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)、ジョアン・ジルベルト(ギター・ヴォカル)他『ゲッツ/ジルベルト』Getz/Gilbertoの8曲入り12インチLP盤(SMV-1023、1,800円)を発売した。
1966年8月、アメリカ連合国のA&Mが、31歳のハーブ・アルパートゥ(Herb Alpert、1935年3月31日~)制作、25歳のセルジオ・メインジス(Sérgio Mendes、1941年2月11日~)のセルジオ・メインジスとブラズィウ'66(Sérgio Mendes and Brasil '66)のアルバム『セルジオ・メインジスとブラズィウ'66』Sergio Mendes & Brasil '66のLP盤(SP-4116)を発売した。
ジョージ・ベン作「こりゃすごい」Mas que Nada(2分37秒)を収めた。
1966年10月13日、東京・恵比寿のスヤマビル内に財団法人ヤマハ音楽振興会が設立された。
1966年12月、キングレコードが、セルジォ・メンデスとブラジル'66「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada(2分41秒)、「ザ・ジョーカー」The Joker(2分40秒)のシングル盤(TOP-1095、370円)を発売した。
解説は森勲だ。
1967年1月9日、ヤマハ音楽振興会に、「ヤマハ・インスティテュート・オブ・ポピュラーミュージック」が開設された。
1967年2月9日、日本初の本格的なジャズ演奏高等技術教育機関、「ヤマハ・インスティテュート・オブ・ポピュラーミュージック」の「ヤマハ・ジャズ・アンサンブル・コース」が開講した。
講師は、34歳の渡辺貞夫(1933年2月1日~)(ジャズ理論、編曲、as、fl)、27歳の菊地雅章(きくち・まさぶみ、1939年10月19日~2015年7月6日)(p)、 26歳の富樫雅彦(とがし・まさひこ、1940年3月22日~2007年8月22日)(ds)、33歳の中牟礼貞則(なかむれ・さだのり、1933年3月15日~)(g)、 33歳の原田政長(1933年7月6日~1976年11月20日)(b)、37歳の北村英治(1929年4月8日~)(cl)、37歳の福原彰(1929年10月7日~1991年6月28日)(tp)、39歳の河辺浩市(かわべ・こういち、1927年5月3日~2014年9月3日)(tb)だった。
1967年2月1日、タクト電機が、55歳の大森盛太郎(1911年3月17日~1988年12月25日)監修、渡辺貞夫クヮルテット及び同セクステット『ジャズ&ボッサ』Jazz & BossaのLP盤(JAZZ-1、1,500円)を発売した。
録音は1966年11月25日、25日、30日、12月4日だ。
33歳の渡辺貞夫(as、fl)、27歳の菊地雅章(p)、萩原栄次郎(b)、26歳の富樫雅彦(ds)、33歳の中牟礼貞則(g)、宮田英夫(カバサ)
第1面=ジャズ
「アメリカ」America(3分03秒)
「タブー」Taboo(7分14秒)
「イン・ザ・ウィ・スモール・アワーズ」In The We Small Hours(2分58秒)
「アイ・ミーン・ユー」I Mean You(4分37秒)
第2面=ボサ・ノヴァ
「ヴァン・ミュージック・ブレイクのテーマ」The Theme From "Van Music Break"(1分15秒)
「レザ」Reza(4分15秒)
「ソング・オブ・ザ・ジェット」Song Of The Jet(2分35秒)
「フェリシダード」Felicidade(1分29秒)
「キューピッヅ・ソング」Cupid's Song(3分10秒)
「フォーギヴ・ミー・イフ・アイム・レイト」Forgive Me If I'm Late(3分32秒)
「カーニヴァルの朝」Morning Of Carnival(1分59秒)
1967年3月15日、東京・渋谷公会堂で、37歳のヘレン・メリル(Helen Merrill、1929年7月21日~)歌、 34歳の渡辺貞夫(as、fl)、34歳の中牟礼貞則(g)、39歳の宮沢昭(1927年12月6日~2000年7月6日)(ts)、37歳の福原彰(tp)、32歳の前田憲男(1934年12月6日~2018年11月25日)(p)、24歳の日野皓正(ひの・てるまさ、1942年10月25日~)(tp)、沖浩一(1940年~2022年12月8日)(エレクトーン)演奏の「ヤマハコンサート~ヘレン・メリル」が催された。
1967年3月、キングレコードが、セルジォ・メンデスとブラジル'66(Sérgio Mendes & Brasil '66)のアルバム『セルジォ・メンデスとブラジル'66』Herb Alpert Presents Sérgio Mendes & Brasil '66のLP盤(SLH-84、1.750円)を発売した。
解説は34歳の中村とうよう(1932年7月17日~2011年7月21日)だ。
1967年6月15日、日本ビクターが、渡辺貞夫セクステット『ボサ・ノバ'67』Bossa Nova '67のLP盤(SJV-274、1,500円)を発売した。
録音は1967年3月8日、29日だ。
渡辺貞夫(as、fl)、34歳の中牟礼貞則(g)、27歳の菊地雅章(p)、34歳の鈴木勲(1933年1月2日 ~2022年3月8日)(b)、27歳の富樫雅彦(ds)、宮田英夫(カバサ)
解説は34歳の岩浪洋三(いわなみ ようぞう、1933年5月30日~2012年10月5日)だ。
Side A
「イパネマの娘」Girl From Ipanema(2分34秒)
「メディテーション」Meditation(2分42秒)
「黒いオルフェ」Black Orpheus(3分18秒)
「オー・グランド・アモール」O Grande Amor(2分52秒)
「ボニータ」Bonita(2分10秒)
「ディンディ」Dindi(3分55秒)
Side B
「マシュケナダ」Mas Que Nada(2分20秒)
「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile(3分03秒)
「フライミー・トゥ・ザ・ムーン」Fly Me To The Moon(2分14秒)
「男と女」A Man And A Woman(2分41秒)
「ソー・ダンス・サンバ」So Danco Samba(3分32秒)
「彼女はキャリオカ」She's A Carioca(2分56秒)
1967年7月4日、新宿厚生年金会館小ホールで、渡辺貞夫と彼のグループ・ウィズ・ストリング・オーケストラによる全曲ボサ・ノヴァ・ナンバーで構成されたコンサートが催された。
34歳の渡辺貞夫(as,fl)、27歳の菊地雅章(p,rib)、27歳の富樫雅彦(d)、 33歳の原田政長(b)、34歳の中牟礼貞則(g)、宮田英夫(カバサ)、 高珠恵ストリングス
1967年7月5日、日本グラモフォンが、ユキとヒデ、渡辺貞夫と彼のボサ・メイツ「白い波」White Waves、「長い夜」Long Nightのシングル盤(SDP-2006、370円)を発売した。
両曲共に作詞は24歳の水木英二(ヒデ、1942年12月15日~1990年6月17日)、作曲・編曲は34歳の渡辺貞夫だ。
解説を引用する。
1967年8月、日本ビクターが、「ビクター・ステレオ・コンパクト」、渡辺貞夫セクステット「マシュケナダ」の4曲入りコンパクト盤(SVC-259、450円)を発売した。
録音は1967年3月8日、29日だ。
「マシュケナダ」Mas Que Nada(2分30秒)
「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile(3分03秒)
「男と女」A Man And A Woman(2分41秒)
「ソー・ダンス・サンバ」So Danco Samba(3分32秒)
1967年8月、日本ビクターが、37歳のヘレン・メリル(唄)、渡辺貞夫クィンテットとストリングス(演奏)『ボサ・ノバ・イン東京』Bossa Nova in TokyoのLP盤(SJET-7932、1,750円)を発売した。
録音は1967年3月26日、31日だ。
34歳の渡辺貞夫(as、fl)、27歳の菊地雅章(p)、33歳の原田政長(b)、34歳の中牟礼貞則(g)、27歳の富樫雅彦(ds)
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」Fly Me To The Moon(2分58秒)
「イパネマの娘」The Boy From Ipanema(3分00秒)
「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile(3分00秒)
「ソー・ダンソ・サンバ」So Danco Samba(2分32秒)
「黒いオルフェ」La Chanson D'Orphée(3分02秒)
「夢は夜ひらく」Yume Wa Yoru Hiraku(3分04秒)
「男と女」A Man And A Woman(2分44秒)
「何て冷たい」How Insensitive(3分08秒)
「ジョニー・ギター」Johnny Guitar(2分42秒)
「アグア・デ・ベベル」Agua Di Beber(2分40秒)
「イエスタデイ」Yesterday(2分57秒)
「信じていたい」Sinjite(2分50秒)
1967年10月12日、朝日ソノラマが、渡辺貞夫「渡辺貞夫&ボサノバ」(K-18、700円)を発売した。
17センチ両面ソノシート3枚が収められた。
渡辺貞夫(as、fl)、菊地雅章(p)、富樫雅彦(d)、原田政長(b)、中牟礼貞則(g)、16歳の泉田エミイ(うた)だ。
解説は35歳の中村とうよう「ボサノヴァの歴史」、34歳の渡辺貞夫「ぼくとボサノヴァ」ほかだ。
渡辺貞夫クインテット(演奏)「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada(2分46秒)
渡辺貞夫クインテット(演奏)、泉田エミイ(うた)「アグァ・ジ・ベベール」Agua De Beber(2分42秒)
渡辺貞夫クインテット(演奏)、泉田エミイ(うた)「イパネマの娘」Garota De Ipanema(2分42秒)
渡辺貞夫クインテット(演奏)「ソ・ダンソ・サンバ」So Danço Samba(3分06秒)
渡辺貞夫クインテット(演奏)、泉田エミイ(うた)「キューピッヅ・ソング」Cupid's Song(3分28秒)
渡辺貞夫クインテット(演奏)、泉田エミイ(うた)「レザ」Reza(3分38秒)
1967年10月15日、日本グラモフォンが、ユキとヒデ、渡辺貞夫とボサ・メイツ「スノー・ドルフィン・サンバ」Snow Dolphin Samba、「恋のスノー・ドルフィン」The Cupid Songのシングル盤(SDP-2015、370円)を発売した。
「スノー・ドルフィン・サンバ」の作詞は、30歳の中村小太郎(1937年1月4日~2015年3月31日)、作曲・編曲は35歳の渡辺貞夫だ。
「恋のスノー・ドルフィン」Cupid's Songの作詞は、23歳の小室等(1943年11月23日~)、中村小太郎、作曲・編曲は渡辺貞夫だ。
「スノー・ドルフィン」はスキーヤー三浦雄一郎(1932年10月12日~)の異名だ。
ジャケットの題字は56歳の岡本太郎(1911年2月26日~1996年1月7日)だ。解説を引用する。
1967年10月、タクト電機が、渡辺貞夫と彼のグループ・ウィズ・ストリング・オーケストラ『ボサ・ノバ・コンサート』Bossa Nova Concert: Live at Koseinenkin-KaikanのLP盤(Jazz-9、1,500円)を発売した。
1967年7月4日の新宿厚生年金会館小ホールにおける実況録音だ。
Side 1
「オープニング:フェリシダード」Opening: Felicidade(0分52秒)
「オ・グランジ・アモール」O Grand Amor(2分25秒)
「ユー・アンド・アイ」You And I(3分34秒)
「ヒアーズ・ザット・レイニイ・デイ」Here's That Rainy Day(2分54秒)
「イパネマの娘」The Girl From Ipanema(2分26秒)
「アグァ・ジ・ベベール」Agua De Beber(1分16秒)
「レザ」Reza(4分05秒)
「アラストン」Arrastao(2分37秒)
Side 2
「白い夜」White Wave(3分29秒)
「エミリー」Emily(4分53秒)
「ロシアより愛をこめて」From Russia With Love(6分35秒)
「コルコヴァード~フェリシダード」Corcovado ~ Felicidade(3分09秒)
「ソ・ダンソ・サンバ」So Danco Samba(4分05秒)
1967年10月、テイチクが、渡辺貞夫クインテット『渡辺貞夫・ボサ・ベスト・コレクション』のLP盤(UPS-1001-J、1,800円)を発売した。
録音は1967年6月だ。
34歳の渡辺貞夫(as、fl)、27歳の菊地雅章(p)、34歳の中牟礼貞則(g)、33歳の原田政長(b)、27歳の富樫雅彦(ds)
解説は34歳の岩浪洋三だ。
第1面
「ホワイト・ウェイヴス」White Waves
「ファヴェラ」Favela
「マリア・ニングエム」Maria Ninguem
「月へ飛ぶ思い」Fly Me To The Moon
「ヴォセ・エ・エウ」Voce E Eu
第2面
「ワンス・アイ・ラヴド」Once I Loved
「オー・モロー」O Morro
「ロング・ナイト」Long Night
「イパネマの娘」The Girl From Ipanema
「コイサ・マイス・リンダ」Coisa Mais Linda
1967年10月、日本ビクターが、渡辺貞夫セプテット『ジャズ・サンバ』Jazz SambaのLP盤(SJV-304、1,500円)を発売した。
録音は1967年5月だ。
34歳の渡辺貞夫(as、fl)、27歳の菊地雅章(p)、34歳の中牟礼貞則(g)、33歳の原田政長(b)、27歳の富樫雅彦(ds)、宮田英夫(カバサ)、28歳の今村裕司(1939年3月30日~)(perc)
解説は34歳の岩浪洋三だ。
A面
「サンバ・デ・オルフェ」Samba De Orphee(3分39秒)
「イット・マイト・アズ・ウェル・ビー・スプリング」It Might As Well Be Spring(4分23秒)
「ウォーター・メロン・マン」The Water Melon Man(4分02秒)
「フレボー」Frevo(2分21秒)
「ロボ・ボボ」Lobo Bobo(3分07秒)
「シー・ラブズ・ユー」She Loves You(3分47秒)
B面
「四ツ葉のクローバー」Four-Leaf Clover(2分18秒)
「サーフ・ボード」Surf Board(1分50秒)
「サニー」Sunny(4分04秒)
「スプリング・サンバ」Spring Samba(3分11秒)
「フライド・バナナ」Fried Bananas(2分28秒)
「ビリンボー」Berimbau(2分17秒)
1967年12月6日、31歳の夏木陽介(1936年2月27日~2018年1月14日)、23歳の黒沢年男(1944年2月4日~)、18歳の酒井和歌子(1949年4月15日~)主演、カラーの東宝映画劇『燃えろ!太陽』(90分)が公開された。
同時公開は、39歳の渥美清(1928年3月10日~1996年8月4日)、34歳の淡路恵子(1933年7月17日~2014年1月11日)、25歳の石立鉄男(1942年7月31日~2007年6月1日)、23歳の星由里子(1943年12月6日~2018年5月16日主演の宝塚映画劇『父子草』(85分)だった。
併映は、36歳の竹山恭二(1931年3月~2008年8月6日)脚本、福原健司監督、三浦雄一郎、橘宣安、馬淵雄一主演、38歳の大平透(1929年9月24日~2016年4月12日)解説の東京福原フィルムス制作のカラーのアラスカのマッキンレー及びニュージーランドのタスマン氷河での三浦雄一郎のスキー滑降の記録映画『スキー野郎 氷河大滑降』(35分)だった。
音楽は39歳の佐藤勝(1928年5月29日~1999年12月5日)だ。
主題歌はユキとヒデ「スノー・ドルフィン・サンバ」だ。
1967年12月、テイチクが、渡辺貞夫クインテット「渡辺貞夫ボサ・ベスト・コレクション」の17㎝LP盤(SUW-72-J、500円)を発売した。
第1面
「ロング・ナイト」Long Night
「月へ飛ぶ思い」Fly Me To The Moon
第2面
「ホワイト・ウェイヴス」White Waves
「イパネマの娘」The Girl From Ipanema
解説は34歳の岩浪洋三だ。
1968年1月13日、新宿厚生年金ホールで、27歳のアストラッド・ジルベルトの公演がおこなわれた。
伴奏は、44歳のチャーリー・マリアーノ(Charlie Mariano、1923年11月12日~ 2009年6月16日)(as、fl)を含むボサ・ノバ・ファイブ(Bossa Nova Five)だった。
1月14日、東京・渋谷公会堂、15日、東京・新宿厚生年金ホール、16日、音協例会、17日、大阪、18日、京都・国際会館でも公演がおこなわれた。
1968年初めごろ、タクト電機が、16歳の泉田エミイ(歌)、渡辺貞夫セクステット(伴奏)「ストリート・サンバ」Street Samba(2分12秒)、「キューピッヅ・ソング」Cupid's Song(3分37秒)のシングル盤(TS-301、370円)を発売した。
解説より引用する。
1968年2月ごろ、ニッポン放送サービスが、渡辺貞夫セクステット(演奏)『渡辺貞夫のボサ・ノヴァ』の9.5cm4トラック・ステレオテープ(RF 5001、1,500円)を発売した。
Side 1
「デサフィナード」Desafinado
「メディテーション」Meditation
「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile
「男と女」A Man And A Woman
「オー・モロー」O'Morro
「イパネマの娘」Girl From Ipanema
Side 2
「ワン・ノート・サンバ」One Note Samba
「フォーギブ・ミー・イフ・アイム・レフト」Forgive Me If I'm Late
「カーニバルの朝」Morning Of Carnival
「ソー・ダンソ・サンバ」So Danco Samba
「アンド・アイ・ラブ・ハー」And I Love Her
「クワイエット・ナイト」Quiet Night
1968年3月29日、東京・サンケイ・ホール、3月30日、東京・新宿厚生年金ホール、4月9日、東京・渋谷公会堂、11日、12日、新宿厚生年金ホールで、セルジオ・メンデスとブラジル'66が公演をおこなった。
1968年8月ごろ、日本ビクターが、ジョルジュ・ベンとコバ5『オリジナル・マシュ・ケ・ナダ』Mas Que Nadaの4曲入りコンパクト盤(SFL-3229、600円)を発売した。
A面
「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada
「コンスタント・レイン」Chove Chuva
B面
「ア・タンバ」A Tamba
「チン・ドン・ドン」Tim Dom Dom
解説は36歳の中村とうようだ。
1968年8月25日、日本ビクターが、「ボサノバ・ブラジリア・シリーズ」2、ジョルジュ・ベンとコパ・5『オリジナル・マシュ・ケ・ナダ』Mas Que Nada:Ben É Samba BomのLP盤(SFL-7118、1,950円)を発売した。
原語題名とジャケットは1964年発売の『ベンはいい(ボン)サンバだ』Ben É Samba Bom(P 632.727 L)の転用だが、内容は『サンバ新機軸』Samba Esquema Novoの移植だ。
「マシュ・ケ・ナダ」Mas, Que Nada!
「コンスタント・レイン」Chove Chuva
「チン・ドン・ドン」Tim Dom Dom
「バランサ・ベマ」Balança Pema
「ヴェン・モレーナ」Vem Morena
「サンバを踊ろう」É Só Sambar
「ア・タンバ」A Tamba
「おまえを忘れたい」Quero Esquecer Você
「私のばら」Rosa, Menina Rosa
「ウアラ・ウアララ」Uála Uálalá
「泣かないでおくれ」Menina Bonita Não Chora
「お前のせいさ」Por Causa De Você, Menina
1968年10月ごろ、アポロン音楽工業が、渡辺貞夫セクステット(演奏)、泉田エミイ(うた)『ボサノヴァ』のステレオ・カセットテープ(APY-108、1,500円)を発売した。
J. Ben作曲「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada
Buddy DeSylva(1895年1月27日~1950年7月11日)、Al Jolson(1886年5月26日~1950年10月23日)、Joseph Meyer(1894年3月12日~1987年6月22日)作「カリフォルニアにやってきた」California Here I Come
J. Mandel(1925年11月23日~2020年6月29日)作曲「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile
Jaime Silva、Neuza Teixeira作「オ・パート」O'Pate
Dorival Caymmi(1914年4月30日~2008年8月16日)作曲「ドラリス」Doralice
A. Jobin作曲「オー・モロー」O'Morro
A. Jobin作曲「コルコバード」Corcovado
J. Lennon(1940年10月9日~1980年12月8日)、P. McCartney(1942年6月18日)作「アンド・アイ・ラブ・ハー」And I Love Her
1968年11月1日、大阪の千趣会が「ロマンツアー音楽世界めぐり」(全15巻)第14巻『南米』(350円)を発売した。
ステレオの8インチ・レコードを収めた。
山本直純(やまもと・なおずみ、1932年12月16日~2002年6月18日)(編曲・指揮)、ロマンツアー・ポップスオーケストラ(演奏)、ロマンツアー混声合唱団(合唱)
L.ボンファ(1922年10月17日~ 2001年1月12日)作曲、酒井美津子歌「オルフェの歌」Orfeu Negro(3分41秒)
A.C.ジョビン作曲、泉田恵美歌「イパネマの娘」Garota de Ipanema(2分50秒)
A.バローゾ(1903年11月7日~1964年2月9日)作曲、岡崎広志歌「ブラジル」Aquarela do Brasil(2分23秒)
チリ民謡、栗林義信(1933年8月15日~)歌「流れ」Rio(3分40秒)
J de D・フィリベルト(Juan de Dios Filiberto、1885年3月8日~1964年11月11日)作曲、藤沢嵐子(ふじさわ らんこ、1925年7月21日 - 2013年8月22日)歌「カミニート(小径)」Caminito(2分58秒)
M・ロドリゲス(Gerardo Matos Rodríguez、1897年3月~1948年4月25日)作曲、藤沢嵐子歌「ラ・クンパルシータ」La Cumparsita
1968年11月25日、日本ビクターが、「ボサノバ・ブラジリア・シリーズ」5、バーデン・パウエル(ギター)『バーデン・パウエルの偉大な世界』Baden PowellのLP盤(SFX-7130、1,950円)を発売した。
内容は『意のままに』À Vontadeの移植だ。
解説は36歳の中村とうようだ。
A面
「イパネマの娘」Garôta De Ipanema
「ビリンバウ」Berimbau
「宇宙飛行士」O Astronauta
「コンソレーション(なぐさめ)」
「ソロンガイオ」Consolacão
B面
「ジェットのサンバ」Samba Do Avião
「バイアの思い出」Saudades Da Bahia
「カンドンブレ」Candomblé
「詩人のお話し」Conversa De Poeta
「悲しみのサンバ」Samba Triste
1969年2月、28歳のアストラッド・ジルベルトが2度目の日本公演をおこなった。
伴奏は45歳のチャーリー・マリアーノ(as、fl)、36歳のベン・アラノフ(Ben Aronov、1932年10月16日~2015年5月3日)(p)、41歳のアッティラ・ゾラー(Attila Zoller、1927年6月13日~1998年1月25日)(g)、鈴木淳(b)ほかの「ボサノヴァ5」だった。
2月13日、東京・新宿厚生年金ホール、17日、東京・文京公会堂(民音)、18日、千葉文化会館(音協)、24日、名古屋・中日劇場(音協)25日、大阪・厚生年金ホール、26日、京都会館(音協)、27日、広島公会堂、3月3日、札幌市民会館、4日、岩手公会堂
1970年3月10日、日本グラモフォンが、29歳のアストラッド・ジルベルトが日本語で歌った来日記念盤のアルバム『ジルベルト・ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム』Gilberto Golden Japanese AlbumのLP盤(MV-2004、2,000円)を発売した。
「ストリート・サンバ 」Street Samba(2分20秒)
「愛した愛が好き」I Love Old Love(2分16秒)
「生命のかぎり」You, I And Love(2分58秒)
「白い波」White Waves(3分35秒)
「愛と悲しみ」Love And Grief(2分51秒)
「恋のスノー・ドルフィン」Cupid's Song(3分07秒)
「イパネマの娘」The Girl From Ipanema(3分15秒)
「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada(2分31秒)
「黒いオルフェ」La Chanson D'Orphee(3分34秒)
「男と女」A Man & A Woman(2分50秒)
「パリのめぐり逢い」Live For Life(2分48秒)
「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile(2分27秒)
1970年4月、30歳のアストラッド・ジルベルトが3度目の日本公演をおこなった。
日本語の「ストリート・サンバ」「白い波」、山木幸三郎(やまき・こうざぶろう、1931年4月18日~2018年12月26日)作曲、西川ひとみ作詞「生命のかぎり」「愛とかなしみ」などを演目に入れた。
伴奏は、46歳のチャーリー・マリアーノ(as、fl)、37歳のベン・アラノフ(p)、23歳のポール・メツキ(Paul Metzke、1946年9月11日~)(g)、アートゥ・ケイニグ(Art Koenig)(b)、26歳のデニー・サイウェル(Denny Seiwell、1943年7月10日~)(d)だった。
4月4日、フジテレビ「オールナイト・フジ」に出演、5日、大阪厚生年金ホール、9日、名古屋市公会堂、10日、東京・渋谷公会堂、11日、京都会館、12日、大阪厚生年金ホール、13日、福岡電気ホール、14日、長崎市公会堂、15日、川崎産業文化会館、16日、小樽市民会館、17日、札幌市民会館、30日、東京・サンケイ・ホール
1970年4月、セルジオ・メンデスとブラジル'66、ボサ・リオ(Bossa Rio)が日本公演をおこなった。
4月4日、5日、大阪・万国博ホール、8日、高崎・群馬音楽センター、11日、東京・渋谷公会堂、12日、東京・サンケイ・ホール、新宿厚生年金ホール、13日、名古屋市公会堂、17日、新宿厚生年金ホール、18日、渋谷公会堂。
1970年4月10日、日本グラモフォンが、アストラッド・ジルベルト「ストリート・サンバ」Street Samba(2分20秒)、「生命のかぎり」You, I And Love(2分58秒)のシングル盤(DV-1031、400円)を発売した。
1970年6月10日、日本グラモフォンが、アスララッド・ジルベルト「白い波」White Waves(3分35秒)、「マシュ・ケ・ナダ」Mas Que Nada(2分31秒)のシングル盤(DV-1032、400円)を発売した。
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