チェットゥ・ベイカー、アストゥルージ・ジウベルトと日本
『チェットゥ・ベイカーが歌う』
1954年4月~5月ごろ、アメリカ連合国のPacific Jazz Recordsが、24歳のチェットゥ・ベイカー(1929年12月23日~1988年5月13日)のアルバム『チェットゥ・ベイカーが歌う』Chet Baker Singsの8曲入りの10 インチ LP盤(LP11)を発売した。
録音は1954年2月15日だ。
「だけど私とは無関係」But Not For Me(3分00秒)、「何度も何度も」Time After Time(2分44秒)、「いとしいおかしなヴァレンタイン」My Funny Valentine(2分14秒)、「すぐ恋に落ちてしまう」I Fall In Love Too Easily(3分16秒)、「あなたみたいな人はもう現れない」There Will Never Be Another You(2分55秒)、「あなたなしでも十分やっていける」I Get Along Without You Very Well(2分54秒)、 「ときめきがなくなった」The Thrill Is Gone(2分46秒)、「希望の光を見つけ出そう」Look For The Silver Lining(2分36秒)
1954年6月10日発行、「アサヒ相談室」、朝日新聞社出版局編『贈り物』(朝日新聞社出版局、100円)の「バレンタインス・デー」に「日本では聞き慣れない名前だが、欧米では、二月十四日をバレンタインス・デーといって、盛大にお祝いをし、贈り物をやりとりする。日本でも最近、外人商店の店頭に、この日のための特別の飾りつけなどを見受けるし、外人との接触も増えてきていることだから、一応知って置いてよい日だろう」(13頁)とある。
1955年2月14日、東京・銀座で販売促進の新機軸として「バレンタイン・セール」がおこなわれたが、「バレンタイン・デー(St. Valentine's Day)」を知らない人が多かったため、効果は上がらなかった。
1956年10月、Pacific Jazz Recordsが、『チェットゥ・ベイカーが歌う』Chet Baker Singsの 12インチLP盤(World Pacific PJ-1222)を発売した。
1956年7月23日、30日に録音された26歳のチェットゥ・ベイカーの6曲が加えられた。
「昔のあの気持ち」That Old Feeling(2分59秒)、「いつもあなたが」It's Always You(4分17秒)、「まるで恋してる人みたいに」Like Someone In Love(3分26秒)、「私の理想」My Ideal(4分19秒)、「恋したことなんかない」I've Never Been In Love Before(4分25秒)、「私の相棒」My Buddy(3分16秒)
1957年1月、家庭の衛生社発行の経済中流層向け健康冊子『家庭の衛生』2月号に「友愛の祝日 バレンタインデー」が掲載された。
1957年11月、日本ビクターが『チェット・ベーカー・シングス』Chet Baker Singsの13曲入りのLP盤(PFJ-5008、1,900円)を発売した。
「あなたみたいな人はもう現れない」There Will Never Be Another You(2分55秒)が未収録だった。
「ザット・オールド・フィーリング」That Old Feeling、「イッツ・オールウェイズ・ユー」It's Always You、「ライク・サムワン・イン・ラヴ」Like Someone In Love、「マイ・アイデアル」My Ideal、「恋を知らない」I've Never Been In Love Before、「マイ・バディー」My Buddy、「バット・ノット・フォー・ミー」But Not For Me、「タイム・アフター・タイム」Time After Time、「気のあうあなた」I Get Along Without You Very Well、 「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」My Funny Valentine、「ザ・スリル・イズ・ゴーン」The Thrill Is Gone、「すぐ好きになる私」I Fall In Love Too Easily、「ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング」Look For The Silver Lining
ジャケット裏の解説文を引用する。
『ジャズ・サンバ』
1962年4月20日、アメリカ連合国のVerve Records が、35歳のスタン・ゲッツ(Stan Getz、1927年2月2日~1991年6月6日)(ts)と36歳のチャーリー・バード(Charlie Byrd、1925年9月16日~ 1999年12月2日)(g)のアルバム『ジャズ・サンバ』Jazz Samba(33分12秒)の7曲入り12インチLP盤(V-8432)を発売した。
録音は1962年2月13日におこなわれた。
「調子っぱすれ」Desafinado(5分47秒)を収めた。
1962年12月、日本コロムビアが、スタン・ゲッツ(ts)とチャーリー・バード(g)のアルバム『ボサ・ノバ』 Jazz Sambaの7曲入り12インチLP盤(VL-1065、1,500円)を発売した。
解説は26歳の児山紀芳(1936年2月12日~2019年2月3日)だ。
1963年8月、Verve Recordsが、36歳のアントニオ・カルロス・ジョビン(Antônio Carlos Jobim、1927年1月25日~1994年12月8日)のアルバム『デザフィナード(Desafinado)の作曲家が演奏する』The Composer of Desafinado, Plays の12曲入り12インチLP盤のモノラル盤(V-8547)、ステレオ盤(V6-8547)を発売した。
録音は1963年5月9日、10日におこなわれた。
「イパネマ出身の女の子」The Girl from Ipanema(2分42秒)は、1962年にジョビンが作曲、ヴィニシウス・ジ・モライス(Vinicius de Moraes、1913年10月19日~1980年7月9日)がポルトゥゲス語(português)の詞を付けた歌「イパネマの娘」Garota de Ipanemaに、35歳のノーマン・ギンブル(Norman Gimbel、1927年11月16日~2018年12月19日)がイングリッシュ語歌詞を付けたものだ。
1963年12月25日発行、『音楽年鑑(昭和三十九年度版)』(音楽之友社、1,000円)、「大衆音楽」「ボサ・ノバ・ブーム」を引用する(114~115頁)。
『ゲッツ/ジウベルト』
1964年3月、Verve Recordsが、36歳のスタン・ゲッツと32歳の歌手ジュアウン・ジウベルト(João Gilberto 、1931年6月10日~2019年7月6日)のアルバム『ゲッツ/ジウベルト』Getz/Gilbertoの8曲入り12インチLP盤(V-8545)を発売した。
録音は1963年3月18日、19日におこなわれた。
このアルバムに収録された「イパネマの娘」The Girl From Ipanema(5分15秒)は、ジュアウンがポルトゥゲス語で歌い、当時ジュアウンの妻だった、22歳のアストゥルージ・ジウベルト(Astrud Gilberto、1940年3月29日~2023年6月5日)がイングリッシュ語歌詞で歌うものだ。
1964年4月1日、日本国は多民界通貨基金(International Monetary Fund, IMF)協定8条の義務を受諾し、輸出入取引等から生じる対外決済に関する公的制限を原則としておこなわないこととした。これにより、観光目的の海外渡航が自由化された。
1964年4月28日、日本国は、パリに本部を置き、フランセ語(français)とイングリッシュ語を公用語とする経済協力開発機構(Organisation for Economic Co-operation and Development, OECD)に正式加盟した。
1964年5月、Verve Records が、ゲッツ、ジウベルト「イパネマの娘」The Girl from Ipanema(2分44秒)、スタン・ゲッツ「風に吹かれて」Blowin' In The Wind(2分22秒)のシングル盤(VK 10323)を発売した。
「イパネマの娘」は、ジュアウン・ジウベルトのポルトゥゲス語歌唱部分を削除し、残りを切り継ぐ形でシングル・カットされ、大ヒットした。
1964年8月、World Pacific Jazz Recordsが、『チェットゥ・ベイカーが歌う』Chet Baker Singsの12曲入りの12インチLPのステレオ盤(ST-1826)とモノラル盤(WP 1826)を発売した。
1962年にステレオ録音が流行した際に、World Pacific Jazz Recordsは、『チェットゥ・ベイカーが歌う』Chet Baker Singsのステレオ盤を発売するため、新たにジョウ・パス(Joe Pass、1929年1月13日~1994年5月23日)によるギターを録音し、モノラル・テープとミックスした。
「何度も何度も」Time After Time(2分44秒)、「私の理想」My Ideal(4分19秒)、「恋したことなんかない」I've Never Been In Love Before(4分25秒)の3曲を削り、曲順を変更し、「私を見守ってくれる誰か」Someone to Watch Over Me(2分57秒)を追加し、 12 曲を収めた。
1964年10月20日、11月3日に来日するはずだったスタン・ゲッツの来日中止が発表された。
1964年10月25日発行、「現代教養文庫」、伴俊彦(1911年~1965年)著『贈りもの相談』(社会思想社、240円)、「贈りものごよみ」「バレンタイン・デー(St. Valentine's Day)」に「戦後、アメリカから渡来して、今や、若い男女なら大抵知っている二月十四日の楽しい〝愛の日〟である。最初のころは、外人商社の飾窓に、この日の名をつけた飾りつけがされたのを見て珍しがられた程度だったのに、昨今は、新聞広告にも登場するし、デパートを初めあちこちの店頭に飾りつけと共に、この日に相応しい贈りものの品が並べられるほどの普及してきている。」(120~121頁)とある。
1964年11月1日、日本グラモフォンが新契約したアメリカ連合国の原盤販売会社「ヴァーヴ・レコード(Verve Records)」、「MGMレコード(MGM Records)」のうち、スタン・ゲッツのヴァーヴ・レコードのアメリカ直輸入盤の発売を始めた。
1964年11月18日、アメリカ連合国のNBCで、ドロスィ・B・ヒューズ(Dorothy B. Hughes、1904年8月10日~1993年5月6日)のミステリ小説『ピンクの馬を駆れ』Ride the Pink Horse(1946年)原作、51歳のドン・スィーグル(Don Siegel、1912年10月26日~1991年4月20日)監督、33歳のロバートゥ・カルプ(Robert Culp、1930年8月16日~2010年3月24日)、48歳のエドゥメンドゥ・オブライエン(Edmond O'Brien、1915年9月10日~1985年5月9日)、34歳のヴェラ・マイルズ(Vera Miles、1929年8月23日~)主演のカラーのテレビ用映画劇『吊された男』The Hanged Man(87分)が放映された。
マルディ・グラ(Mardi Gras)の最中のヌー・オーリンツ(New Orleans)のナイト・クラブのディナ・ショーの場面に、スタン・ゲッツ四重奏団と23歳のアストゥルージ・ジウベルトが出演し、「イパネマの娘」The Girl From Ipanemaを演奏する。
『ゴウ・ゴウでのゲッツ』
1964年12月、Verve Recordsが、新スタン・ゲッツ四重奏団(The New Stan Getz Quartet)、24歳のアストゥルージ・ジウベルトの実況録音アルバム『ゴウ・ゴウでのゲッツ』Getz Au Go Goの12インチLP盤(V-8600)を発売した。
録音はニュー・ヨークのキャフェイ・オ・ゴウ・ゴウ(Cafe Au Go Go)で1964年5月22日に、ニュー・ヨークのカーネギー会館(Carnegie Hall)で1964年10月9日におこなわれた。
1964年12月18日、アメリカ連合国のシャーロットゥ(Charlotte)で、48歳のスィドニ・ミラー(Sidney Miller、1916年10月22日~2004年1月10日)監督の総天然色の映画劇『女子大生をモノにしよう』Get Yourself a College Girl(87分)が公開された。
劇中、37歳のスタン・ゲッツ、21歳のゲアリ・バートゥン(Gary Burton、1943年1月23日~)(ヴィブラフォン)、29歳のジーン・チュリコウ(Gene Cherico、1935年4月15日~1994年8月12日)(ベース)、26歳のジョウ・ハントゥ(Joe Hunt、1938年7月31日~)(ドラムス)と24歳のアストゥルージ・ジウベルトが「イパネマの娘」The Girl from Ipanemaを演奏する。
1965年1月15日、日本ビクターが、チェット・ベーカー(唄)『マイ・ファニー・バレンタイン』Chet Baker Singsの12曲入りのステレオの12インチLP盤(SMJ-7183、1,800円)を発売した。
「マイ・ファニー・バレンタイン」My Funny Valentine、「ザット・オールド・フィーリング」That Old Feeling、「ライク・サムワン・イン・ラブ」Like Someone In Love、「マイ・バディー」My Buddy、「イッツ・オールウェイズ・ユー」It's Always You、「サムワン・トゥー・ウオッチ・オーバー・ミー」Someone to Watch Over Me、「ルック・フォー・ザ・シルバー・ライニング」Look For The Silver Lining、「バット・ノット・フォー・ミー」But Not For Me、「アイ・ゲット・アロング・ウイズアウト・ユー・ベリー・ウェル」I Get Along Without You Very Well、「アイ・フォール・イン・ラブ・トゥー・イージリー」I Fall In Love Too Easily、「ザ・スリル・イズ・ゴーン」The Thrill Is Gone、「ゼア・ウイル・ネバー・ビ・アナザー・ユー」There Will Never Be Another You
解説は31歳の岩浪洋三(いわなみ・ようぞう、1933年5月30日~2012年10月5日)だ。
『アストゥルージ・ジウベルトのアルバム』
1965年2月、Verve Recordsが、24歳のアストゥルージ・ジウベルトのアルバム『アストゥルージ・ジウベルトのアルバム』The Astrud Gilberto Albumの11曲入りの12インチLP盤(V-8608)を発売した。
録音は1965年1月27日、28日におこなれた。
1965年5月28日、松竹セントラルで、映画劇『クレイジー・ジャンボリー』Get Yourself a College Girlの日本語字幕スーパー版が公開された。
1965年6月、日本グラモフォンが、スタン・ゲッツ・カルテット、アストラッド・ジルベルト(歌)『ゲッツ・オー・ゴー・ゴー』Getz au Go GoのLP盤(SMV-1016、1,800円)を発売した。
ジャケット裏の32歳の岩浪洋三の解説を引用する。
1965年6月、日本グラモフォンが、MGM映画「クレイジー・ジャンボリー」より、スタン・ゲッツ楽団、アストラッド・ジルベルト(歌)「イパネマの娘」The Girl From Ipanema(2分49秒)、スタン・ゲッツ楽団「スイート・レイン」Sweet Rain(3分25秒)のシングル盤(DM-1031、370円)を発売した。
ジャケット裏の解説を引用する。アストゥルージがイパネマ出身というのは間違いで実際にはバイーア(Bahia)出身だ。
1965年6月23日、ロス・アンジェレスで、61歳のヴィンセントゥ・ミネリ(Vincente Minnelli、1903年2月28日~1986年7月25日)監督、32歳のエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor、1932年2月27日~2011年3月23日、39歳のリチャードゥ・バートゥン(Richard Burton、1925年11月10日 ~1984年8月5日)、40歳のイーヴァ・マリー・セイントゥ(Eva Marie Saint、1924年7月4日~)主演の総天然色の映画劇『イソシギ』The Sandpiper(117分)が公開された。
撮影は1964年9月7日~12月7日におこなわれた。
主題曲の「あなたのほほえみの影」The Shadow of Your Smileを39歳のジョニー・マンデル(Johnny Mandel、1925年11月23日~2020年6月29日)が作曲した。
1965年7月7日、東京サンケイホールで、38歳のスタン・ゲッツ、22歳のゲリー・バートン、24歳のスティーブ・スワロー(Steve Swallow、1940年10月4日~)、36歳のラリー・バンカー(Larry Bunker、1928年11月4日~2005年3月8日)(ドラムス)、30歳のカルロス・リラ(Carlos Lyra、1933年5月11日~2023年12月16日)(ギター、ヴォーカル)のスタン・ゲッツ五重奏団(Stan Getz Quintet)が公演をおこなった。
1965年8月、日本グラモフォンが、スタン・ゲッツ来日記念盤、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)他『ジャズ・サンバ』Jazz Sambaの12インチLP盤(SMV-1020、1,800円)を発売した。
1965年8月、日本グラモフォンが、スタン・ゲッツ来日記念盤、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)、ジョアン・ジルベルト(ギター・ヴォカル)他『ゲッツ/ジルベルト』Getz/Gilbertoの8曲入り12インチLP盤(SMV-1023、1,800円)を発売した。
1965年8月21日、日比谷スカラ座で、映画劇『いそしぎ』The Sandpiperの日本語字幕スーパー版が公開された。
1965年9月1日、第26回ヴェネーツィア国際映画芸術祭で、47歳のアラン・サーガル(Alan Surgal、1916年11月12日~2017年1月3日)脚本、41歳のアーサー・ペン(Arthur Penn、 1922年9月27日~2010年9月28日)監督、26歳のウォーレン・ベイティ(Warren Beatty、1937年3月30日~)主演の映画劇『ミッキー・ワン』Mickey One(93分)が公開された。
撮影は1964年3月~5月にシカーゴでおこなわれた。
撮影監督は40歳のジスレイヌ・クロケ(Ghislain Cloquet、1924年4月18日~1981年11月2日)だ。
ディトゥロイトゥの陽気な遊び人の漫談家(ベイティ)は、ルディ・ラップ(Rudy Lapp)(フランショウ・トウン、Franchot Tone、1905年2月27日~1968年9月18日)が経営するナイトクラブ「ラッププランドゥ(Lapland」と契約している人気者だ。
だが、暴力団に違法賭博の負債を作った彼は、ある晩、暴力団の報復を逃れるため、衝動的にディトゥロイトゥを去ることにし、身分証を焼き捨てる。
その後、浮浪者となった彼は列車に無賃乗車し、シカーゴにたどり着く。
彼は表の窓に聖書『イェルミアウ(Jeremiah)』第37章17節「主から言葉があったのか(Is There Any Word From The Lord)」の標語が貼り出された「新生活伝道所(New Life Mission)」という慈善団体の事務所に入り、福音伝道師(ノーマン・ゴットゥシャルク、Norman Gottschalk、1905年10月9日~1979年9月)とその夫人から食事を与えてもらう。伝道師は食事をとる漫談家の前で聖書を読み上げる。
その直後、意識をなくした東欧系移民の男ミクローシュ(Miklos)の身ぐるみをはがした追いはぎ団の黒人が捨てたミクローシュの社会保障カードを譲り受けた漫談家は、人材派遣所で、軽食堂食堂のゴミ処理の仕事を紹介され、食堂の支配人に「ミッキー・ワン(Mickey One)の名で呼ばれる。
その後、ミッキーは芸能代理人のジョージ・バースン(George Berson)(テディ・ハートゥ、Teddy Hart、1897年9月25日~1971年2月17日)の事務所で仕事を貰い、場末のナイトクラブで漫談家の仕事を再開する。
ある日、ジョージは高級クラブ「ザナドゥ(Xanadu)」の支配人ラリー・フライアー(Larry Fryer)(ジェフ・コーリー、Jeff Corey、1914年8月10日~2002年8月16日)と共同支配人のエドゥ・キャスル(Ed Castle)(ハードゥ・ハットゥフィールドゥ、Hurd Hatfield、1917年12月7日~1998年12月26日)にミッキーを売り込む。
ラリーとキャッスルはミッキーをと高給で契約しようとするが、暴力団につけ狙われているという強迫観念にとりつかれたミッキーは断る。
ミッキーが帰宅すると、女家主が新たな下宿人ジェニー・ドゥレイトゥン(Jenny Drayton)(アレクサンドゥラ・スチュワルトゥ、Alexandra Stewart、1939年6月10日~)を彼の部屋に入れていた。
持ち金に余裕のない彼女は、ミッキーと部屋を半分ずつ使うことにする。
ミッキーは彼女に、4年半も逃げ回っていることを打ち明ける。
強迫観念に苦しみ続けたミッキーは、最後に、エドゥから頼りにしていたルディが死んだと聞かされたあと、覚悟を決めて「ザナドゥ」の舞台に立つ。
59歳の藤原釜足(1905年1月15日~1985年12月21日)が、ミッキーが何度も顔を合わせる、一言もせりふのない、廃品で芸術品を作る「芸術家」の役で出ている。
1965年10月、日本グラモフォンが、「ジャズ・ヴォーカル名盤シリーズ」第4集、アストラッド・ジルベルト(歌)『ボサ・ノヴァの女王』The Astrud Gilberto Albumの11曲入りの12インチLP盤(SMV-1027、1,800円)を発売した。
解説は33歳の中村とうよう(1932年7月17日~ 2011年7月21日)だ。
1965年10月、日本グラモフォンが、MGM映画「いそしぎ」主題歌、アストラッド・ジルベルト(歌)、「いそしぎ」The Shadow Of Your Smile(2分52秒)、「オー・ガンソ」O Ganso(2分39秒)のシングル盤(DV-1006、370円)を発売した。
解説は32歳の岩浪洋三だ。
1965年10月23日、浅草東映パレス、新宿東映パレス、渋谷東映パレス、上野東急、池袋文芸坐、吉祥寺ムサシノ、川崎名画座、横浜日活シネマで、映画劇『犯罪組織(シンジケート)』The Hanged Manの日本語字幕スーパー版と、レン・デイトゥン(Len Deighton、 1929年2月18日~)原作、31歳のスィドゥニ・J・フューリー(Sidney J. Furie、1933年2月28日~)監督、31歳のマイクル・ケイン(Michael Caine、1933年3月14日~)主演の映画劇『国際諜報局』The Ipcress File(109分。初公開:1965年3月18日)の日本語字幕スーパー版の2本立てが公開された。
1965年12月、日本グラモフォンが、アストラッド・ジルベルト(歌)、アントニオ・カルロス・ジョビン(ギター)「おいしい水」Agua De Beber(2分16秒)、「瞑想」Meditation(2分39秒)のシングル盤(DV-1008、370円)を発売した。
1966年1月、アメリカ連合国のMGM Recordsが、38歳のスタン・ゲッツのアルバム『ミッキー・ワン』Mickey Oneのモノラル盤(E-4312)とステレオ盤(SE-4312)のLP盤を発売した。
作曲・編曲・指揮は50歳のエディ・ソーター(Eddie Sauter、1914年12月2日~1981年4月21日)だ。
録音は1965年4月~6月におこなわれた。
1966年3月、 日本グラモフォンが、アントニオ・カルロス・ジョビン(ピアノ)『イパネマの娘』The Composer Of Desafinado, Playsの12曲入り12インチLP盤(SMV-1049、1,800円)を発売した。
解説は33歳の中村とうようだ。
1966年7月、日本グラモフォンが、エディー・ソーター作曲・編曲・指揮、スタン・ゲッツ(ts)『ミッキー・ワン』同名映画オリジナル・サウンド・トラック Mickey Oneのステレオ盤のLP盤(SMM-1095、1,800円)を発売した。
1967年7月1日、第1次資本自由化が施行された。
資本自由化の対象となる業種にレコード産業も含まれていた。
1968年1月13日、新宿厚生年金ホールで、27歳のアストラッド・ジルベルトの公演がおこなわれた。
伴奏はボサノバ・ファイブだった。
CBS・ソニーの時代
1968年3月11日、アメリカ連合国の企業の音楽市場の日本国での拡大を推進するため、初のアメリカ連合国と日本国の双方50%出資のレコード製造・販売会社「CBS・ソニーレコード株式会社」が設立された。
1968年8月21日、CBSソニーの第1回新譜として、ハイドン(Franz Joseph Haydn、1732年3月31日~1809年5月31日)、オラトリオ『天地創造』Die Schöpfungの12インチLP盤2枚組(SONC 10003~4、4,000円)が発売された。
ジャケットには、ヴァティカーノのスィスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)の天井に描かれたミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo Buonarroti、1475年3月6日~1564年2月18日)の天井画「アダムの創造(Creazione di Adamo)」の神の右手と生命を与えられるアダムの左手の部分が用いられた。
サイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のアルバム『卒業』The Graduateの12曲入り12インチLP盤(SONX-60001、2,100円)が発売された。解説は柳生すみまろ(1939年~2010年3月11日)だ。
1968年8月、東芝音楽工業が、「ジャズ・ヴォーカル名盤シリーズ」、『チェット・ベイカー・シングス』Chet Baker Singsの12曲入りの12インチLP盤(WP-8386、2,000円)を発売した。
「いとしのバレンタイン」My Funny Valentine、「ザット・オールド・フィーリング」That Old Feeling、「ライク・サムワン・イン・ラヴ」Like Someone In Love、「マイ・バディー」My Buddy、「イッツ・オールウェイズ・ユー」It's Always You、「やさしき伴侶を」Someone to Watch Over Me、「バット・ノット・フォー・ミー」But Not For Me、「ルック・フォー・ザ・シルバー・ライニング」Look For The Silver Lining、「あなたが居なくても」I Get Along Without You Very Well、「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」I Fall In Love Too Easily、「ザ・スリル・イズ・ゴーン」The Thrill Is Gone、「あなたは二人とない」There Will Never Be Another You
解説は35歳の岩浪洋三だ。
1973年2月14日、為替相場(Exchange Rate)が変動相場制(floating exchange rate system)に移行した。
東芝EMIの時代
1973年10月1日、レコード製造・販売会社の「東芝音楽工業」に連合王国のEMIが出資し、「東芝EMI」が設立された。
1979年10月2日、キングレコードが「パシフィック・ジャズ・シリーズ1800シリーズ」第3期のLP盤全10枚を完全限定盤として発売した。
『チェット・ベイカー・シングス』Chet Baker Singsの14曲入りの12インチLP盤(GXF-3131(M)、1,800円)が発売された。
当初はオリジナル・マスターでの発売が企画されたが、マスター・テープの所在が不明で、やむなく1964年盤のマスターを使用した。
「ザット・オールド・フィーリング」That Old Feeling、「イッツ・オールウェイズ・ユー」It's Always You、「ライク・サムワン・イン・ラヴ」Like Someone In Love、「マイ・アイディアル」My Ideal、「アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー」I've Never Been In Love Before、「マイ・バディ」My Buddy、「バット・ノット・フォー・ミー」But Not For Me、「タイム・アフター・タイム」Time After Time、「アイ・ゲット・アロング・ウィズアウト・ユー」I Get Along Without You Very Well、 「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」My Funny Valentine、「貴方無しでは」There Will Never Be Another You「スリル・イズ・ゴーン」The Thrill Is Gone、「アイ・フォール・イン・ラヴ」I Fall In Love Too Easily、「ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング」Look For The Silver Lining
解説は46歳の岩浪洋三だ。
1981年3月5日、キングレコードが、「パシフィック・ジャズ傑作選」、『チェット・ベイカー・シングス』Chet Baker Singsのステレオ盤の12インチLP盤(K23P-6702、2,300円)を発売した。
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