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角川文庫と1983年の原田知世主演の映画劇『時をかける少女』


1938年の映画劇『手に負えない』

1937年(昭和12年)7月7日、中華民国の北平(ベイピン)(現:北京(ベイジン))西南の盧溝橋(ろこうきょう、ルーコウチアオ)で大日本帝国陸軍支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊中国国民革命軍第二十九軍が衝突し、日中戦争の発端となった。

1938年(昭和13年)9月16日、53歳のジャック・コンウェイ(Jack Conway、1885年7月17日~1952年10月11日)監督、37歳のクラーク・ゲイブル(Clark Gable、1901年2月1日~1960年11月16日)、33歳のマーナ・ロイ(Myrna Loy、1905年8月2日~1993年12月14日)主演の映画劇『手に負えない』Too Hot to Handle(106分)が公開された。
撮影は1938年(昭和13年)5月9日~8月末におこなわれた。

危険地帯を取材する報道映画の撮影技師クリス・ハンター(Chris Hunter)と女性飛行士アルマ・ハーディング(Alma Harding)の冒険を描く。
アルマのモデルは、1937年(昭和12年)7月2日に南太平洋上で消息を絶った女性飛行士アミリア・エアハートゥ(Amelia Earhart、1897年7月24日~1937年7月2日)だ。

1939年(昭和14年)3月30日、帝国劇場、浅草・大勝館、新宿・武蔵野館で、映画劇『地球を駈ける男』Too Hot to Handleの日本語字幕スーパー版が公開された。

1939年(昭和14年)9月3日、連合王国フランセ人民共和国ドイチュ人民帝界に宣戦布告した。

1940年(昭和15年)1月5日、28歳の今村太平(いまむら・たいへい、1911年8月21日~ 1986年2月26日)著『映畫と文化』(第一藝文社、1円50銭、外地定価1円60銭)が刊行された。
同書の1「映畫と言語」より引用する(22~23頁)。

その意味で、私はジアツク・コンウェイの「地球を駈ける男」といふ娯樂映畫を面白く見た。ニユースキヤメラマンが土人部落に入りこみ、土人たちを威嚇するのである。とつぜんニユース映畫を眞暗な森林の中で映寫するのである。警官隊の自動自轉車が猛烈なサイレンの唸りと共に前方へ疾走してくる。土人の最も怖れる火がスクリーンの森林を焼き拂ふ。いまにもまはりのほんものの森林に燃えうつらんばかりである。すると、つぎはナイアガラの瀑布に變る。それからまた巨大な砲身が土人たちを狙ふ。パツト煙が出る。轟音が耳をふるはす。映畫のなかの土人が實際に驚かされたかどうかは問題外である。この荒唐無稽さにもかゝはらず、森林中で寫されるニユースフイルムの千變万化に未開の土人のやうに膽をつぶしてゐたのは、我々自身であつたのだ。そこには抽象でない、映畫の行動言語としての魔力があらはれてゐる。この魔力は今日のあらゆる人々を原始土人の立場におく。

1942年の映画劇『絶望的な旅』

1941年(昭和16年)12月8日、大日本帝国アメリカ連合国連合王国との戦争を始めた。

1942年(昭和17年)9月23日、リバティヴィル(Libertyville)のリバティ劇場(Liberty Theatre)で、36歳のアーサー・T・ホーマン(Arthur T. Horman、1905年9月2日~1964年11月2日)脚本、55歳のラウル・ウォルシュ(Raoul Walsh、1887年3月11日~1980年12月31日)監督、32歳のエロル・フリン(Errol Flynn、1909年6月20日~1959年10月14日)、31歳のロナルドゥ・レイギャン(Ronald Reagan、1911年2月6日~2004年6月5日)主演の映画劇『絶望的な旅』Desperate Journey(107分)が公開された。
撮影は1942年(昭和17年)1月末~4月初めにおこなわれた。

ドイチュ人民帝界の爆撃に向かったブリティッシュ王室空軍の部隊が撃墜され、捕虜になるが、逃亡し、ネイデルランツに入り、ブリティッシュ王室空軍の爆撃機を奪って帰還する。

1945年(昭和20年)9月2日、大日本帝国アメリカ連合国軍占領統治下に置かれた。

1946年(昭和21年)8月27日、東京医科歯科大学設立が公布された。7月に入学試験をおこない、10月4日から医学部医学科20名、歯学部歯学科60名の授業が開始された。

1951年(昭和26年)4月1日、新制国立東京医科歯科大学が設置された。

1951年(昭和26年)4月、日本国で、中学校3年間の各学年で選択教科の週4~5時間の外国語の授業が定められた。
高等学校3年間の各学年で選択教科の週5時間の外国語の授業が定められた。

1952年(昭和27年)3月21日、新宿・武蔵野館、渋谷松竹、松竹座、松阪シネマ、池袋ロサ、丸の内名画座、江東キンゲキ、銀座全線座、神田南明座で、映画劇『戦場を駆ける男』Desperate Journeyの日本語字幕スーパー版が公開された。

1955年(昭和30年)8月7日、映画劇『戦場を駆ける男』Desperate Journey新版の日本語字幕スーパー版が公開された。

田宮虎彦『野を駈ける少女』

1956年(昭和31年)4月、「平凡映画小説シリーズ」、44歳の田宮虎彦(1911年8月5日~1988年4月9日)著『野を駈ける少女』(平凡出版、130円)が刊行された。
野を駈ける少女」、「岬の町の女生徒たち」、「乳母車」、「高原」、「愛の言葉」、「純潔」、「新しい背広」、「湖上の面影」、「初恋の人」を収めた。

1958年(昭和33年)9月19日、田宮虎彦原作、34歳の楠田芳子(くすだ・よしこ、1924年3月12日~2013年12月3日)脚色、33歳の井上和男(1924年12月27日~2011年6月26日)監督、17歳の桑野みゆき(1942年7月17日~)、18歳の山本豊三(1940年2月1日~2022年10月11日)、主演の映画劇『野を駈ける少女』(72分)が公開された。

信州の富士見高原の閉鎖的な花生集落で分家の母と暮らす少女・野枝は、本家へ東京から避暑に来た学生・と出会い、恋をする。

1959年(昭和34年)11月1日、36歳の直居欽哉(なおい・きんや、1922年10月30日~)、横山保朗(よこやま・やすろう)脚本、32歳の舛田利雄(ますだ・としお、1927年10月5日~)監督、24歳の石原裕次郎(1934年12月28日~ 1987年7月17日)主演の総天然色の映画劇『天と地を駈ける男』(94分)が公開された。

日本空輸に入社した稲葉鉄男は、POA航空の講師・ヘンリー立花(二谷英明)と対立する。
ヘンリーと、飛行課長・尾関勇太郎(芦田伸介)の娘・尾関慧子(北原三枝)の結婚式の日、北海道から台風の羽田空港に帰還する途中、勇太郎は失明するが、鉄男に助けられ、羽田に無事帰還する。

同時上映は、33歳の高橋二三(たかはし・にいさん、1926年2月3日~2015年5月5日)脚本、37歳の井田探(いだ・もとむ、1922年9月3日~ 2012年9月14日)監督、18歳の伊藤エミ(1941年4月1日~2012年6月15日)、18歳の伊藤ユミ(1941年4月1日~2016年5月18日)のザ・ピーナッツ主演の映画劇『可愛い花』(49分)だった。

1961年の映画劇『無頓着夫人』

1961年(昭和36年)12月22日、イターリアで、キャトゥリーヌ・ユプシェール(Catherine Hubscher、1753年2月2日~1835年12月29日)を描く、ヴィクトリアン・サルドゥ(Victorien Sardou、1831年9月5日~1908年11月8日)、エミル・モロ(Émile Moreau、1852年12月8日~1922年12月27日)原作、57歳のクリスチャン・ジャック(Christian-Jaque、1904年9月4日~1994年7月8日)監督、26歳のソフィーア・ローレン(Sophia Loren、1934年9月20日~)、33歳のロベールオセン(Robert Hossein、1927年12月30日~ 2020年12月31日)主演の総天然色、70ミリ・フィルムの映画劇『無頓着夫人』Madame Sans-Gêneのイタリアーノ語版(108分)が公開された。
撮影は1961年(昭和36年)6月8日~9月15日におこなわれた。

1962年(昭和37年)8月18日、テアトル東京で、70ミリ・フィルムの映画劇『戦場を駈ける女』Madame Sans-Gêneの日本語字幕スーパー版が公開された。

1964年(昭和39年)9月12日、元持栄美(もとまち・えいび)脚本、39歳の酒井欣也(さかい ・きんや、1925年1月25日~1996年4月25日)監督、20歳の路加奈子(みち ・かなこ、1943年11月8日~)主演の総天然色の映画劇『渚を駆ける女』(77分)が公開された。

高校三年生の立花冴子は母・戸志子(高峰三枝子)と暮らす。戸志子は冴子の結婚相手に船員の坪田弘二(吉田輝雄)を選ぶが、弘二と関係をもってしまう。
その後、冴子の妊娠を知った戸志子は自殺する。
高校卒業後、冴子は亡き父の親友だった佐上要三(佐野周二)の家に身を寄せ、洋三の甥・永谷正人(川津祐介)に誘惑される。

同時上映は、菊村到(1925年5月15日~1999年4月3日)原作、27歳の三村晴彦(1937年4月6日~2008年8月2日)脚色、42歳の番匠義彰(ばんしょう・よしあき、1922年5月13日~1992年4月12日)監督、24歳の勝呂誉(すぐろ・ほまれ、1940年6月1日~)、20歳の北林早苗(1944年1月7日~)主演の総天然色の映画劇『さまざまの夜』(84分)だった。

筒井康隆『時をかける少女』

1965年(昭和40年)10月11日発売の学年誌『中学三年コース』(学習研究社)11月号(180円)から、31歳の筒井康隆(1934年9月24日~)の連載SF小説『時をかける少女』の連載が始まった。
挿画は石井治だ。

中学3年生の芳山和子と西暦2660年の未来から現在に時間遡行でやってきた同級生の深町一夫の出会いを描く。

1966年(昭和41年)4月15日発売の『高1コース』(学習研究社)5月号(180円)で、31歳の筒井康隆の連載SF小説『時をかける少女』全7回が完結した。

1967年(昭和42年)3月20日、「ジュニアSF」(全10巻)5、筒井康隆著『時をかける少女』(盛光社、380円)が刊行された。
装幀は40歳の依光隆(よりみつ・たかし、1926年5月1日~2012年12月18日)、口絵・さし絵は45歳の谷俊彦(1921年11月23日~2011年10月7日)だ。

収録内容は、38歳の福島正実(1929年2月18日~1976年4月9日)「はじめに」、「時間旅行とタイムパトロール」、筒井康隆の『時をかける少女』、『中学二年コース』(学習研究社)1964年(昭和39年)9月号から12月号まで連載された「悪夢の真相」、書き下ろしの「果てしなき多元宇宙」だ。

1968年(昭和43年)4月28日、43歳の齋藤武市(さいとう ・ぶいち、1925年1月27日~ 2011年1月)脚本・監督、29歳の小林旭(1938年11月3日~)主演の映画劇『赤道を駈ける男』(103分)が公開された。

同時上映は、藤田五郎(1931年11月2日~1993年12月11日)原作、池上金男(いけがみ・かねお、1923年5月16日 ~2007年5月6日)脚本、小澤啓一(1933年1月5日~)監督、渡哲也(1941年12月28日~2020年8月10日)主演の『大幹部 無頼』(97分)だった。

1970年(昭和45年)3月8日、NETテレビ、毎週日曜21:00~22:54の『日曜洋画劇場』で『戦場を駈ける男』Desperate Journeyの日本語吹替え版が放映された。

1972年(昭和47年)1月1日~2月5日、NHK総合、 毎週土曜18:05~18:35の「少年ドラマシリーズ」で、筒井康隆時をかける少女』原作、石山透(1927年5月15日~1985年12月3日)脚本、佐藤和哉演出、中学三年生の14歳の島田淳子(1957年1月21日~)、木下清主演の『タイム・トラベラー』各話30分・全6回が放映された。

第1回「ラベンダーの謎」、第2回「ケン・ソゴルの謎」、第3回「テレパシーの謎」、第4回「トカリベツの謎」、第5回「タイム・ルールの謎」、第6回「タイム・エネルギーの謎」だ。
第6回のみ複製ビデオが現存する。

1972年(昭和47年)3月頃、「SFベストセラーズ」、筒井康隆著『時をかける少女』(鶴書房盛光社、350円)が刊行された。
装幀は42歳の長尾みのる(1929年6月4日~2016年10月6日)、挿絵は谷俊彦だ。

1972年(昭和47年)7月23日~28日、毎日放送で、『タイム・トラベラー』各話30分・全6回が再放送された。

1976年(昭和51年)2月18日、「角川文庫」、筒井康隆著『SFジュブナイル時をかける少女』(角川書店、220円)が刊行された。
装幀は28歳の藤本蒼(ふじもと・あおい、1947年4月22日~)、挿絵は谷俊彦だ。

1977年(昭和52年)8月22日、角川書店が情報誌『バラエティ(Variety)』を10月号(創刊号)(190円)で創刊した。

表紙は、映画劇『世界が燃えつきる日』Damnation Alley(撮影:1976年6月21日~8月13日。91分。日本公開:1977年9月10日)の25歳のドミニク・サンダ(Dominique Sanda、1951年3月11日~)を描く、石岡怜子のイラストだ。

巻頭対談、44歳の五木寛之(いつき・ひろゆき、1932年9月30日~)vs35歳の角川春樹(かどかわ・はるき、1942年1月8日~)「独断と偏見に満ちた野性のこころで」が掲載された。

1982年(昭和57年)4月18日、40歳の角川春樹制作、山田風太郎(やまだ・ふうたろう、1922年1月4日~2001年7月28日)原作、小川英(おがわ・えい、1930年3月10日~1994年4月27日)脚本、斎藤光正(さいとう・こうせい、1932年7月15日~2012年11月25日)監督の映画劇『伊賀忍法帖』の主演の21歳の真田広之(さなだ・ひろゆき、1960年10月12日~)の15歳から20歳の女性の共演者を選ぶ「角川・東映映画大型女優一般募集」最終選考で九州地区代表の16歳の渡辺典子(1965年7月22日~)がグランプリを受賞した。

角川春樹の独断でその場で設けられた特別賞を、九州代表の14歳の原田知世(1967年11月28日~)が受賞し、この審査会場で、授賞式後、赤川次郎(1948年2月29日~)原作、今井詔二(いまい・しょうじ、1951年12月27日~)脚本、河毛俊作(かわけ・しゅんさく、1952年9月4日~)演出、フジテレビの連続テレビ劇『セーラー服と機関銃』主演が決まった。

1982年(昭和57年)5月20日、連続テレビ劇『セーラー服と機関銃』(各話30分。全11話)の撮影が始まった。

1982年(昭和57年)7月5日、フジテレビ系ドラマ「セーラー服と機関銃」主題歌、原田知世(歌)「悲しいくらいほんとの話」(3分11秒)、「恋のヒント教えて」(3分32秒)のシングル盤(7A0203、700円)が発売された。
「悲しいくらいほんとの話」の作詞は34歳の来生(きすぎ)えつこ(1948年3月9日~)、作曲は31歳の来生たかお(1950年11月16日~)、編曲は33歳の星勝(ほし・かつ、1948年8月19日~)だった。

1982年(昭和57年)7月5日~9月20日、フジテレビで、毎週月曜19:00~19:30、『セーラー服と機関銃』第1回「女子高校生組長誕生ス!」~最終回(第11回)「そして別れの時が来た」が放映された。

1982年(昭和57年)9月22日、角川書店が、毎週水曜日発売の週刊テレビ情報誌『週刊カドカワ ザテレヴィジョン』を9月25日~10月1日号(創刊号)(180円)で創刊した。
表紙は41歳の篠山紀信(しのやま・きしん、1940年12月3日~2024年1月4日)撮影の18歳の薬師丸ひろ子(1964年6月9日~)だった。

1982年(昭和57年)9月22日、『バラエティ』12月号(390円)が発売された。
表紙は小島由紀夫撮影の原田知世だった。

1982年(昭和57年)12月2日、創刊20周年記念『TVガイド』(東京ニュース通信社)臨時増刊12月2日号、翔ブラザース企画編集「テレビ読本ビデオコレクション1982」(680円)が刊行された。

1982年(昭和57年)12月18日、映画劇『伊賀忍法帖』(100分)が公開された。

同時公開は、大藪春彦(おおやぶ・はるひこ、1935年2月22日~1996年2月26日)原作、34歳の丸山昇一(1948年4月6日~)脚本、40歳の角川春樹監督、30歳の草刈正雄(1952年9月5日~)主演の映画劇『汚れた英雄』(112分)だった。

ポニーが『汚れた英雄』のVHSビデオ(VAF1086、17,800円)、『伊賀忍法帖』のVHSビデオ(VAF1087、17,800円)を発売した。

1983年(昭和58年)2月20日発行、「角川文庫」、筒井康隆著『SFジュブナイル時をかける少女』26刷(角川書店、300円)の表紙カバーは15歳の原田知世主演の角川映画『時をかける少女』台本表紙にも使われた撮影前の最初の宣伝写真だった。3月20日発行(27刷)も同じだ。

1983年(昭和58年)2月21日と22日、15歳の原田知世の歌で、角川映画の映画劇『時をかける少女』主題歌の録音がおこなわれた。
作詞・作曲は29歳の松任谷由実(まつとうや・ゆみ、1954年1月19日~)、編曲は31歳の松任谷正隆(1951年11月19日~)だ。

1983年(昭和58年)3月4日~4月4日、筒井康隆原作、37歳の剣持亘(けんもつ・わたる、1945年8月19日~ 2003年7月15日)脚本、45歳の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ、1938年1月9日~2020年4月10日)監督、15歳の原田知世、19歳の高柳良一(1964年1月31日~)主演の映画劇『時をかける少女』の撮影がおこなわれた。
原田の中学の卒業から高校の入学までの短期間に撮影日程が組まれた。

1983年(昭和58年)3月16日、学習研究社が週刊テレビ情報誌『週刊テレビライフ(TV LIFE)』を3月19~25日号(創刊号)(100円)で創刊した。

1983年(昭和58年)4月10日発行、「角川文庫」、筒井康隆著『SFジュブナイル時をかける少女』28刷(角川書店、300円)の表紙カバーは、15歳の原田知世と桜吹雪をデザインしたものだった。

1983年(昭和58年)4月20日~6月14日、にっかつ撮影所で、赤川次郎原作、45歳の鎌田敏夫(1937年8月1日~)、32歳の根岸吉太郎(ねぎし・きちたろう、1950年8月24日~)監督、19歳の薬師丸ひろ子、33歳の松田優作(1949年9月21日~1989年11月6日)主演の映画劇『探偵物語』の撮影がおこなわれた。

1983年(昭和58年)4月21日、キャニオン・レコードが、角川春樹事務所作品 東映配給「時をかける少女」主題歌原田知世時をかける少女」(3分49秒)、「ずっとそばに」(4分38秒)のシングル盤(7A0275、700円)を発売した。

1983年(昭和58年)5月25日、東芝EMIのEastworldが、角川春樹事務所作品・東映配給カラー作品 映画「探偵物語」オリジナル・サウンドトラック主題歌、18歳の薬師丸ひろ子(歌)「探偵物語」、「すこしだけやさしく」のシングル盤(WTP-17555、700円)を発売した。

作詞は33歳の松本隆(1949年7月16日~)、作曲は34歳の大瀧詠一(1948年7月28日~2013年12月30日)、編曲は29歳の井上鑑(いのうえ・あきら、1953年9月8日~)だ。

1983年(昭和58年)6月22日、『バラエティ』8月号(390円)が発売された。
表紙は小島由紀夫撮影の薬師丸ひろ子だ。

薬師丸ひろ子・「探偵物語」ついにクランク・アップ!&松田優作インタビュー」、「原田知世・青春は時をかける '83文庫フェスティバルCF誌上ロードショー「時をかける少女」完璧追跡レポート大林監督・インタビュー製作メモAll about Stuff & Cast/撮影台本「時をかける少女」一挙掲載!

1983年(昭和58年)6月25日、角川文庫の「筒井康隆フェア いつも青春は時をかける」が開催された。

1983年(昭和58年)6月25日、「角川文庫」、筒井康隆原作、剣持亘脚本『時をかける少女シナリオ』(角川書店、300円)が刊行された。
写真撮影は角川春樹事務所、制作宣伝の滝島留一だ。

1983年(昭和58年)7月16日、新宿東急、新宿東映パラス、東急レックス、池袋東映、上野東急、浅草東映パラス、丸の内東映パラスほかで、映画劇『探偵物語』(111分)、『時をかける少女』(104分)の2本立てが公開された。

映画劇『時をかける少女』では、1983年(昭和58年)4月16日(土)、高校2年A組の最初の授業の日、四限目の「総合国語(古文)」の授業の終わろうとする12時40分ごろ、国語教師・福島利男(岸部一徳)は、200年以上前、安永3年3月23日(1774年5月3日)に与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716年~1784年1月17日)が、10日くらい前に六甲山地の摩耶山(まやさん)を訪れた時を思い出して詠んだの俳句「菜の花や月は東に日は西に」を教える。

その日の放課後、午後1時、2年A組の芳山和子(原田知世)が理科教室の掃除を終える頃、実験室から物音が聞こえ、実験室に入った和子は床に落ちたフラスコから立ち上る白い湯気のラヴェンダーの匂いを嗅いで気を失い倒れてしまう。

その日の夜10時25分過ぎごろ、和子の寝室の窓辺の写真立てに、40年以上前の1939年(昭和14年)3月16日~6月に撮影され、同年8月10日に公開(日本公開は1954年12月22日)された、総天然色の映画劇『オズの魔法使』The Wizard of Oz(101分)の宣伝写真の16歳のジュディ・ガーランドゥ(Judy Garland、1922年6月10日~1969年6月22日)の肖像の彩色された複製画が飾られている。

日本国が再独立した後にの映画劇『オズの魔法使』The Wizard of Ozの日本語字幕スーパ版が封切り館の丸の内ピカデリーでの先行公開に続き、二番館の映画館で初公開された時に、映画館販売用に作られた解説冊子にも、この図案が流用された。

画面が暗く、識別しにくいが、和子の勉強机の向かいの壁には、映画劇『オズの魔法使』The Wizard of Ozのポスターが貼られている。

史実では、家庭用ビデオ録画再生機や映画劇のビデオソフトのレンタルが庶民に普及する前の1970年代~1980年代初めの日本国では、映画劇『オズの魔法使』The Wizard of Ozの高画質のプリントでの上映を実際に視聴できる機会はほぼなかった。

1983年(昭和58年)4月18日(月)の第二限の「総合国語(漢文)」の授業では、福島先生は、「七言絶句」(一句が七言で四句からなる詩。第二・第四句の末字が押韻するほか、通常第一句の末字も押韻する)、朱熹(しゅ・き、1130年10月18日~1200年4月23日)の「少年易老學難成(少年老い易く学成り難し)」で始まる漢詩を教える。

日本国の中等教育の漢文教育では、広島県大崎島中野出身、広島医学校、東大漢文科卒の宮本正貫編、1898年(明治31年)2月刊の『中學漢文讀本』巻二(文学社)の1901年(明治34年)の訂正再版に「七絶 朱熹」と記されて以来、100年以上にわたり、この詩の作者を朱熹とする教育が権威をもっていた。

しかし、朝倉和(あさくら・ひとし、1972年~)「『少年老い易く学成り難し』詩の作者は観中中諦か」(「国文学攷」185、2005年3月。広島大学国語国文学会)などの漢詩の学問的研究が進んだ今では、この詩の作者は朱熹ではないと考えられている。

この日の夜の大きな地震の前後の場面では、『オズの魔法使』The Wizard of Ozのポスターに光が当たり、より識別しやすい。

11年後の1994年4月16日(土)の挿話で映画劇『時をかける少女』は終わる。

1983年(昭和58年)7月25日、『筒井康隆全集』第4巻、『時をかける少女 緑魔の町』(新潮社、1,500円)が刊行された。
解説は51歳の今江祥智(いまえ・よしとも、1932年1月15日~2015年3月20日)だ。

1984年(昭和59年)2月29日、テレビドラマ『タイム・トラベラー』の全6話、『続 タイム・トラベラー』(1972)の全5話のシナリオが完全収録された、「ヤングアダルトブックス」、石山透著『タイム・トラベラー:筒井康隆「時をかける少女」より』(大和書房、990円)が刊行された。
装画は40歳の味戸(あじと)ケイコ(1943年9月27日~)だ。

1984年(昭和59年)11月25日、「角川文庫」、「カドカワフィルムストーリー」、角川春樹製作、筒井康隆原作、大林宣彦監督、原田知世主演『時をかける少女』(角川書店、460円)が刊行された。

1985年(昭和60年)11月4日、フジテレビ、毎週月曜19:30~20:54の『月曜ドラマランド』で、筒井康隆原作、城谷亜代しろや・あよ)脚本、42歳の高橋勝(たかはし・まさる、1943年6月27日~?)演出、18歳の南野陽子(みなみの・ようこ、1967年6月23日~)、23歳の中川勝彦(1962年7月20日~1994年9月17日)主演のテレビ劇『南野陽子の時をかける少女』(75分)が放映された。

1991年1月、パリで、筒井康隆著、41歳のジャン・クリスチャン・ブヴィエ(Jean-Christian Bouvier、1949年4月27日~)訳『時の交差点』La Traversée du temps(L'École des loisirs)が刊行された。
表紙画は初山滋(はつやま・しげる、1897年7月10日~1973年2月12日)だ。

1994年のテレビドラマ『時をかける少女』

1994年(平成6年)2月8日発売の『テレビライフ』2月25日号(220円)の表紙モデルは18歳の内田有紀(1975年11月16日~)だった。

1994年(平成6年)2月19日~3月19日、フジテレビ、毎週土曜 20:00~ 20:54の「ボクたちのドラマシリーズ」で、筒井康隆原作、35歳の君塚良一(1958年4月21日~)脚本、35歳の落合正幸(1958年11月27日~)、31歳の佐藤祐市(さとう・ゆういち、1962年8月18日~)演出、18歳の内田有紀、20歳の袴田吉彦(はかまだ・よしひこ、1973年7月16日~)、18歳の河相我聞(かあい・がもん、1975年5月24日~)主演の連続テレビ劇『時をかける少女』全5回が放映された。

高校2年の和子の同級生で親友の神谷真理子を18歳の鈴木蘭々(1975年8月4日~)が演じた。

和子の中学3年の妹・芳山美代子を16歳の安室奈美恵(あむろ・なみえ、1977年9月20日~)が演じた。

和子のバスケットボール部のチームメイト岡本恵美を16歳の菅野美穂(かんの・みほ、1977年8月22日~)が演じた。

1994年(平成6年)3月9日、Sony Recordsが、フジテレビ系 ボクたちのドラマシリーズ「時をかける少女」主題歌、30歳のNOKKO(のっこ、1963年11月4日~)「人魚」、「CRYING  ON MONDAY」の8センチCD盤(SRDL-3802、税込み1,000円)を発売した。

1997年(平成9年)4月18日、「ハルキ文庫」、筒井康隆著『時をかける少女』(角川春樹事務所、本体280円)が刊行された。
装幀は48歳の門坂流(かどさか・りゅう、1948年5月25日~2014年4月3日)だ。

1997年(平成9年)11月8日、丸の内シャンゼリゼほかで、筒井康隆原作、55歳の角川春樹監督、19歳の中本奈奈(1977年11月7日~)、22歳の中村俊介(1975年2月16日~)主演の映画劇『時をかける少女』(106分)が公開された。

2001年(平成13年)1月10日、江藤茂博(1955年~)著『『時をかける少女』たち小説から映像への変奏』(彩流社、本体1,800円)が刊行された。

2006年のアニメーション映画劇『時をかける少女』

2006年(平成18年)5月25日、「角川文庫」、筒井康隆著『時をかける少女』新装版(本体438円)が刊行された。
悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」を併録した。
挿画は44歳の貞本義行(1962年1月29日~)だ。
解説者は江藤茂博『時をかける少女』の文彩(フィギュール)」だ。

2006年(平成18年)7月15日、テアトル新宿、テアトル梅田で、筒井康隆原作、40歳の奥寺佐渡子(おくでら さとこ、1966年2月16日~)脚本、38歳の細田守(1967年9月19日~)監督のアニメーション映画劇『時をかける少女』(98分)が公開された。
紺野真琴の声を16歳の仲里依紗(なか・りいさ、1989年10月18日~)が演じた。

2006年(平成18年)11月19日、「ウォータールー・アニメーション映画祭(Waterloo Festival for Animated Cinema)」でアニメーション映画劇『時を飛び越えた少女』The Girl Who Leapt Through Timeのイングリッシュ語字幕スーパー版が公開された。

2006年(平成18年)12月23日、恵比寿ガーデンシネマで、アニメーション映画劇『時をかける少女』が4週間限定で凱旋上映された。 

2007年(平成19年)4月19日、筒井康隆原作、「時をかける少女」製作委員会原案『アニメ版 時をかける少女』(金の星社、本体1,200円)が刊行された。

2007年(平成19年)6月7日、プチョンで、筒井康隆著、キム・ヨンジュ(김영주)訳『時を飛び越えた少女』시간을 달리는 소녀(북스토리)が刊行された。

2007年(平成19年)6月28日、 NHK BS2で、00:00〜00:55、『BSアニメ夜話』「『時をかける少女』」が放映された。
出演は、72歳の筒井康隆渡邊隆史(1959年~)、48歳の岡田斗司夫(おかだ・としお 、1958年7月1日~)、46歳の江川達也(1961年3月8日~)、49歳の氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ、1958年2月15日~)、司会は39歳の里匠(さと・たくみ、1968年3月7日~)、21歳の加藤夏希(1985年7月26日~)だった。

2008年(平成20年)12月16日、「キネ旬ムック」、「BSアニメ夜話」vol.09、『時をかける少女』(キネマ旬報社、本体1,500円)が刊行された。

2009年(平成21年)3月3日、角川書店が「角川文庫」創刊60周年を機に、11歳前後の小学上級からを読者として想定した「角川つばさ文庫」を創刊した。

2009年(平成21年)3月3日、「角川つばさ文庫」、筒井康隆作、いとう のいぢ(1977年8月9日~)カバー絵、清原紘(きよはら・ひろ、1981年10月24日~)本文絵『時をかける少女』(角川書店発行、角川グループパブリッシング発売、本体560円)が刊行された。
解説は斉藤栄美(1962年~)だ。

2009年(平成21年)4月30日、中華民国で、筒井康隆著、張秋明訳『時空を旅した少女』穿越時空的少女(獨步文化)が刊行された。
「穿越時空的少女」(「時をかける少女」)、「悪夢的真相」(「悪夢の真相」)、「無止境的宇宙」(「果てしなき多元宇宙」)、横路明夫(よこじ・あきお「総導読」、林依俐(1976年~)「少女所穿越的四十年」を収めた。

2009年(平成21年)7月、シャンハイ(上海)で、筒井康隆著、丁丁虫訳『時空を旅した少女』穿越時空的少女(上海译文出版社)が刊行された。
「穿越时空的少女」(「時をかける少女」)、「噩梦的真相」(「悪夢の真相」)、「无尽的多元宇宙」(「果てしなき多元宇宙」)、江藤茂博「《穿越时空的少女》之文采」(「『時をかける少女』の文彩(フィギュール)」を収めた。

2010年(平成22年)3月13日、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネカノン有楽町1丁目で、筒井康隆原作、菅野友恵(かんの・ ともえ)脚本、42歳の谷口正晃(たにぐち・ まさあき、1966年7月6日~)監督、19歳の仲里依紗、20歳の中尾明慶(なかお・あきよし、1988年6月30日~)主演の映画劇『時をかける少女』(122分)が公開された。

撮影は2009年(平成21年)3月下旬~4月末におこなわれた。

芳山和子(安田成美、石橋杏奈)の娘の18歳の芳山あかり(仲里依紗)は、2010年(平成22年)3月3日(火)の18歳の誕生日から1972年(昭和47年)4月の土曜日の世田谷西中学校の実験室に行こうとするが、間違って1974年(昭和49年)2月16日(土)の昭徳(しょうとく)大学の実験室に着き、気を失う。

翌日の2月17日(日)、20011年を舞台とする8ミリ・フィルムの映画劇『光の惑星』を自主制作しているSFファンの学生・溝呂木涼太(みぞろぎ・りょうた)(中尾明慶)の下宿のコタツで眼を覚ます。

窓ガラスに1974年(昭和49年)8月10日にテアトル東京でシネラマ方式で公開された映画劇『未来惑星ザルドス』Zardoz(196分。初公開:1974年2月6日)のチラシ、1962年(昭和37年)8月11日に映画劇『私と私』(90分)、アニメーション映画劇『おとぎの世界旅行』(76年)と3本立てで公開された映画劇『キングコング対ゴジラ』(97分)の熱海城でのゴジラキングコングの戦いの場面写真、1951年(昭和26年)3月6日に東劇で公開された映画劇『月世界征服』Destination Moon(91分。初公開:1950年6月27日)のパンフレットが貼られている。

壁に1968年(昭和43年)4月9日にテアトル東京でシネラマ方式で公開された映画劇『2001年宇宙の旅』2001: A Space Odyssey(141分、初公開:1968年4月2日)のポスターが貼られている。

ほかに、1969年(昭和44年)7月26日にテレビアニメ『巨人の星』第1話~第33話までの再編集ブローアップ版『巨人の星』(88分)と2本立てで公開された映画劇『海底大戦争緯度0大作戦』Latitude Zero(89分)の縦長ミニポスター、1954年(昭和29年)10月27日に名古屋地区で映画劇『仇討珍剣法』(86分)と2本立てで公開された映画劇『ゴジラ』(97分)のポスター、1975年(昭和50年)3月15日にニュー東宝シネマ1で公開された映画劇『地球の頂上の島』The Island at the Top of the World(93分。初公開:1974年12月20日)のチラシ、1958年(昭和33年)12月24日に渋谷パンテオン、丸の内日活、新宿グランドオデヲンでアニメーション映画劇『近眼のマグー 珍闘牛士』Matador Magoo(6分。初公開:1957年5月30日)と2本立てで公開された映画劇『シンドバッド7回目の航海』The 7th Voyage of Sinbad(88分)のパンフレットも見える。

シンドバッド7回目の航海』The 7th Voyage of Sinbadは、1971年(昭和46年)5月4日に、東京12チャンネルの21時~22時26分の『火曜ロードショー』で日本語吹替え版で放映され、1975年(昭和50年)7月26日、新宿東映パラス、東急レックス、池袋東急で『シンドバッド7回目の冒険』の題名で再公開された。

ほかに、すでに32歳の若さで亡くなっていたブルース・リー(Bruce Lee、1940年11月27日~1973年7月20日)主演の1973年(昭和48年)12月22日に丸の内松竹、新宿ピカデリー、渋谷東急で公開され、1974年(昭和49年)12月20日に渋谷ジョイシネマで再公開された映画劇『燃えよドラゴン』Enter the Dragon(99分。初公開:1973年7月26日)、1974年(昭和49年)4月13日、丸の内東宝、渋谷宝塚、新宿スカラ座、池袋劇場、江東リッツで公開された映画劇『ドラゴン 危機一発』唐山大兄(100分。初公開:1971年10月31日)、1974年(昭和49年)7月20日、丸の内東宝、渋谷宝塚で公開された映画劇『ドラゴン 怒りの鉄拳』精武門(102分)のチラシが見える。

さらに、1975年(昭和50年)4月12日~25日、日劇文化、新宿文化で公開された映画劇『スローターハウス5(ファイブ)』Slaughterhouse-Five(104分。初公開:1972年3月22日)のチラシ、1955年(昭和30年)12月26日に新宿東宝、渋谷国際、丸の内オリオン座、神田東洋、江東リッツ、池袋東洋、浅草大勝館で『凸凹透明人間』Abbott and Costello Meet the Invisible Man(82分。初公開:1951年3月14日)と2本立てで公開された映画劇『宇宙水爆戦』This Island Earth(86分。初公開:1955年6月1日)のパンフレットも見える。

アパート「あさま荘」の長谷川政道(青木崇高)の部屋の壁には、1972年6月29日公開の映画劇『候補者』The Candidate(109分)で民主党(Democratic Party)の上院議員候補ビル・マッケイ(Bill McKay)に扮したロバートゥ・レドゥフォードゥ(Robert Redford、1936年8月18日~)の宣伝用写真に基づく、洋画ファン雑誌『スクリーン』(近代映画社)1973年(昭和48年)2月特大号付録のポスターが貼ってある。

アメリカ連合国の政治文化がよく知られていかった上、アメリカ連合国の映画劇の平均年齢が低年齢化し、主な客層が中高生になり、映画劇の市場での人気ジャンルが見世物的な興味の空想物語に偏り始めていた日本国では、1975年(昭和50年)5月12日~8月16日に撮影され、1976年(昭和51年)8月7日に丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー公開された、38歳のレドゥフォードゥ、37歳のダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman、1937年8月8日~)主演の政治工作の実話に基づく映画劇『大統領の陰謀』All the President's Men(138分。1976年4月7日)の話題に便乗する形で、1976年11月20日、日比谷映画で、『候補者ビル・マッケイ』The Candidateとして公開されたが、ほとんど話題にならなかった。

雨の日の夜の部屋の場面では、窓ガラスに貼られた1975年(昭和50年)10月31日にニュー東宝シネマ1、渋谷スカラ座で公開された映画劇『ヤング・フランケンシュタイン』Young Frankenstein(106分。初公開:1974年12月15日)のチラシが見える。

涼太の秋田県に住む父親が脳卒中で倒れた1974年(昭和49年)3月2日(土)の昼間の場面では、室内に飾られた映画劇のチラシ類がより識別しやすい。

芳山あかりが過去に遡って時を過ごしたという設定の1974年(昭和49年)2月16日(土)~3月2日(土)の時点で、日本公開されていないばかりか宣伝も始まっていない作品が目立つので、当時の熱心な洋画ファンが観れば、時代考証が粗雑だと気づく人も多いだろう。

2011年(平成23年)5月26日、ランドゥンで、筒井康隆著、デイヴィドゥ・ジェイムズ・辛島(David James Karashima、1979年~)訳『時を飛び越えた少女』The Girl Who Leapt Through Time(Alma Books)が刊行された。

2013年(平成25年)2月10日、ジュンク堂書店から限定復刻『復刻版 盛光堂《ジュニアSF》全10巻』(本体19,000円)が発売された。
復刻監修・解説ブック編集は大橋博之(1959年~)だ。

2013年(平成25年)4月18日、23歳の仲里依紗と24歳の中尾明慶が結婚した。

2013年(平成25年)5月6日、NHK総合テレビとBSプレミアムで、『朝の連続テレビ小説』、宮藤官九郎(くどう・かんくろう、1970年7月19日~)脚本、能年玲奈(のうねん・れな、1993年7月13日~)主演の『あまちゃん』第6週「おらのじっちゃん、大暴れ」第31話が放映された。

2008年(平成20年)11月15日、橋本愛(1996年1月12日~)が演じる足立ユイが、23日に17歳になる同級生の天野アキの母親の42歳の春子(有村架純、小泉今日子)の高校生の頃の部屋で、1980年12月1日、CBS・ソニーが発売した、18歳の松田聖子(1962年3月10日~)のアルバム『North Wind』のLP盤(27AH 1154、2,700円)を見つけ、アキに「うわっ! 松田聖子のLPじゃん!」と言う。

ユイは、15歳の原田知世主演の『時をかける少女』1983年(昭和58年)版映画劇のチラシをみつけ、アキに「うわあ、『時をかける少女』のチラシじゃん!」と言う。

1981年(昭和56年)5月21日、CBS・ソニーが発売した、19歳の松田聖子のアルバム『Silhouette』のLP盤(28AH-1267、2,800円)のジャケット裏面も見える。

ユイは、1982年(昭和57年)4月8日発売の17歳のつちやかおり(1964年8月26日~)が表紙の『ボム(Bomb!)』(学習研究社)5月号(300円)の表紙画像を加工した『ポム(Pom!)』を手に取って、「えっ 何これ! 誰? えっ 誰!?」と言う。

2016年(平成28年)7月9日~8月6日、日本テレビ、毎週土曜 21:00~21:54の『土曜ドラマ』で、28歳の渡部亮平(わたなべ・りょうへい、1987年8月10日~)脚本、52歳の岩本仁志(いわもと ひとし、1964年4月17日~)、茂山佳則(しげやま・よしのり)演出、19歳の黒島結菜(くろしま・ゆいな、1997年3月15日~)、21歳の菊池風磨(きくち・ふうま、1995年3月7日~)、23歳の竹内涼真(たけうち・りょうま、1993年4月26日~)主演の連続テレビ劇『時をかける少女』全5回が放映された。
初回は20分拡大だった。

撮影は2016年(平成28年)6月11日~7月下旬におこなわれた。

2016年(平成28年)12月13日、石山透著『タイム・トラベラー』(復刊ドットコム、本体1,850円)が刊行された。
装画は456だ。

2017年(平成29年)6月17日、日本国の全国の書店で、角川文庫の夏のフェア「カドフェス 2017」が催された。
角川文庫」『時をかける少女』新装版(本体438円)に新しいカバー(イラスト/貞本義行 デザイン/大原由衣)がかけられた。

2020年(令和2年)1月16日、厚生労働省が、15日に国内初の新型コロナウイルス(SARSコロナウイルス2)への感染が確認されたと発表した。

2020年(令和2年)1月21日、『映画秘宝』(洋泉社)3月号「特選!2019年度 ベスト&トホホ10!!」(税込み1,230円)が発売され、この号をもって同誌がいったん休刊した。

2020年(令和2年)2月1日、宝島社が子会社の洋泉社吸収合併した。

2020年(令和2年)3月11日、世界保健機関(WHO)の55歳のイティオピア民テドゥロス・アダノム(Tedros Adhanom、1965年3月3日~)事務局長が、新型コロナウイルスの感染による急性呼吸器疾患(COVID-19)がパンデミック(世界的流行)の段階にあるとの認識を表明した。

2020年(令和2年)3月14日、改正された新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)が施行された。

2020年(令和2年)4月21日、双葉社が復刊した『映画秘宝』6月号「2010年代 不屈の傑作映画200!」(税込み1,320円)が発売された。

2020年(令和2年)5月21日、『時をかける少女』1983年(昭和58年)版の15歳の原田知世が表紙の『映画秘宝』7月号「大林宣彦映画入門」(税込み1,320円)が発売された。

2020年(令和2年)11月2日、第33回東京国際映画祭特別招待作品として、夏休みに映画『武士の青春』を作る高校3年生を描く、32歳の松本壮史(まつもと・そうし、1988年1月16日~)脚本・監督、24歳の伊藤万理華(いとう・まりか、1996年2月20日~)主演の映画劇『サマーフィルムにのって』(97分)が上映された。

撮影は2020年(令和2年)春に始まり、コロナ禍の影響で撮影が一時中断し、夏に撮影が再開された。

三船敏郎(1920年4月1日~1997年12月24日)についての記録映画『MIFUNE: THE LAST SAMURI』(80分。2018年5月12日公開)のポスターと映画劇『十三人の刺客(しかく)』(125分。1963年12月7日公開)のポスターが貼られた、河川敷の秘密基地で、キッコーマンの「調整豆乳」200ml紙パックを飲む「ハダシ」の横に座る、19歳の河合優実(かわい・ゆうみ、2000年12月19日~)が演じる「ビート板」は、カバーをはずした「角川文庫」の筒井康隆著『時をかける少女』に読みふける。

ハダシ「で何読んでるの?」
ビート板「『時かけ』」
ハダシ「へー、『時かけ』って小説もあるんだ」
ビート板「小説が原作だから」
ハダシ「SF知らんもん」
ビート板「SFも読もうぜ」

2021年(令和3年)4月2日、「スタジオ地図」創立10周年記念企画として、アニメーション映画劇『時をかける少女4DX版が公開された。

2022年(令和4年)3月19日、『映画秘宝』5月号「最後のサイテー映画2022」(税込み1,320円)が発売され、この号をもって同誌が再度休刊した。

2022年(令和4年)12月21日、88歳の筒井康隆、86歳の蓮實重彦(1936年4月29日~)著『笑犬楼vs.偽伯爵』(新潮社、本体1,500円)が刊行された。
蓮實重彦『時をかける少女』は大胆にしてどこまでも繊細な散文のフィクションである」を収めた。

2023年(令和5年)3月1日発売の『週刊ザテレビジョン』3月10日号(週刊最終号)(680円)をもって同誌が休刊した。

2023年(令和5年)7月7日~7月20日、アニメーション映画劇『時をかける少女』が2週間限定で公開された。

2023年(令和5年)10月6日~10日、日本橋劇場で、ユーキース・エンタテインメント企画・製作、筒井康隆原作、66歳の園田英樹(1957年9月22日~)脚本、50歳の田中優樹(1973年8月26日~)演出、外崎銀河(そとざき・ぎんが、2000年~)音楽、暁矢薫(あかや・かおる)振付、20歳の田中梨瑚(たなか・ りこ、2003年2月27日~)、31歳の蒼木陣(あおき・じん、1992年5月26日~)主演のミュージカル『時をかける少女』が公演された。

2024年(令和6年)1月19日、秘宝新社が復刊した『映画秘宝』3月号「映画秘宝全集 恐怖理系人間」(税込み1,650円)が発売された。

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