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自分自身の努力に感動したことはあるか

あなたは何のために努力している?
そもそも努力はしているか。
それは努力したと言えるほどの努力か。
努力したと言って良いのはどんな時か。

人を打ち負かした時か?
称賛を得た時か?

真剣に努力する意味を考えたことはあるか。
目的はなんだ。
それは今すぐにやりたくなる努力か?
嫌々行っている努力か?

もし仮にあなたが嫌々行っているのならば、それは”心”が弱いからだ。
心とは何か考えたことがあるか?
決心したその瞬間から行動したくてたまらなくなったことはあるか。
どんな気分でも、それをねじ伏せ行動に移せるか。
気分をねじ伏せられないのは心が弱いからだ。

心とは何か。
それは人によって違う。
自分で見つけるしかない。
自分のことすらわからないのに、人があなたのことを知っていると思うな。
自分のことは自分で責任を持て。

今考えるんだ。
時間は今しかない。
過去も未来も思うようにはならない。
今しか自分は思うようにできないんだ。
今できないことは次の瞬間もできない。
だって今しかないんだから、今できないなら考えるまでもなく分かるだろう。
今やっていることが一生続くんだ。
今考えていることが一生分のあなただ。
今考えるんだ。

考えて考えて考え続けた分だけ心が見えてくる。
見ようとしなければ見えない。
心が見えたら、心を鍛えるのではない。
自分の心が本当は強いということに気づくことだ。
すでにあなたの心は強い。
自分の心が強いということをあなたはすでに知っている。
子供の頃あなたは根拠はないのに、何者にでもなれるような気がしていただろう。
やりたいことがたくさん合っただろう。
子供の心は強い。
それをまた見つけにいくだけだ。
答えはあなたの中にある。

努力とは心の強さを見つけにいくことだ。
あなたは自分の心が本当は強いということをすでに知っている。
どこにあるかも知っている。
ただ思い出せないだけだ。
他人の視線や考えに翻弄され、自分の価値は他人の中にあると思い違いしているだけで、あなたはすでに自分の価値を知っている。
子供の頃無意味に鏡で自分の姿に見惚れていた時があっただろう。
だが人と接するうちに比較により純粋に自分を見つめることができなくなっていった。
本当は自分のことが好きなのに、他人との関わりの中で自分の心を他人の中に探すようになった。
永遠に見つかることはない。
あなたの心はあなたの中にある。

あなたが寂しいのはあなたが自分の心を一人にしているからだ。
他人しか見ていないからだ。
あなたの心はあなたしか見れない。
唯一見てくれる人が見てくれないのなら寂しいのは当たり前ではないか。
あなたの心はあなた自身なのだから、心が寂しいと言ったらあなたも当然寂しい。

ではどうすればいい。
自分の中を探し続けるしかない。
すぐ目の前にある。
あなたの心は大きすぎて視界に入りきらないだけだ。
子供の頃はそれは分かってたはずだ。
大きくてかっこよくて可愛い。
何よりも価値があるものがあなたの中にはすでにある。
あなたはすでに気づいている。

ただ気づいているからこそあなたは直視できない。
そんな価値があるものが自分の中にあるなんて今のあなたの状況からは信じられない。信じたくない。
申し訳ない。
自分に自分自身を見て欲しくない。
頑張っていない自分なんて、自分に申し訳なくて見せられない。
そう思っている。

そう、だから努力するんだ。
努力することで、何よりも価値のあるあなたに心を直視する勇気を生む。
あなたは頑張っていない自分が恥ずかしくて、自分の中を見ることができない。
自分の中を見ない限り寂しい。
それはあなたがあなたの心を見ていないから。

子供の頃に見ていた、感じていたことを思い出すために努力するんだ。
初めはつらい、恥ずかしい、苦しい。
だって今まで避けていたことをするんだから。
でもあなたの心はあなたの味方だ。絶対に一生あなたのそばにいる。
何もしなくてもそばにいる。
それがわからないのはあなたが見ようとしていないから。
見る勇気がないから。

努力して自分自身が自分に感動する。
それは自分の心がこんなに価値のあるものだったのかと思い出す時だ。

あなたにそんな瞬間がくる事を願っている。

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