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13歳。息子が「本を書きたい」と言った訳①

「ママ、出版社はじめました」と息子に告げ、
しばらくした、ある日の食事中。

息子が突然
「オレも本書いて出版したい」と言い出しました。

「ママのところで本出せるんだよね?」
「うん。出せるよ。で、何を書くの?」と尋ねると、
「オレ、哲学とか心理学とか興味あるんだよね」
と返事が帰ってきました。

想像の斜め上を行く発言に、
「何で?」が止まらない私に対し、
「だってさ、友達のTが学校やめてフリースクールに行くんだって。
勉強も苦手だし、つまんないって。
それに、小学校の時から、精神科に通ってるんだってよ」
「でもそれ、オレも気持わかるんだよね。
マジ小学校時代は闇だった」
と、いかに小学校時代が苦痛だったかを
つらつら話し始めたのです。

親が知らない、小学校時代の息子。
それを聞いて、反論する言葉が
見つかりませんでした。



2009年5月。
選択的シングルマザーのわたしが授かった息子は、
生まれた当時は2940g。
やや小さめだったのですが、
3ヶ月もすると、周りの子達よりも頭一つずば抜け、
すくすく(いや、すくすく過ぎるだろ)育ちました。

そして1歳になる前に保育園へ。
ママ友たちや、先生たちにも恵まれ、
親子ともども、楽しく順調に成長していきました。

しかし、5歳のある日、「あれ?」っと思った出来事が
あったのです。

それは、鮎のつかみ取りに参加した時のこと。
追いかけても追いかけても、1匹も捕まらず
時間が来てしまい、
他の子どもたちは早々に諦め、
次々と川岸へ戻っていくのに
息子だけが、いけすのど真ん中でギャーギャー泣き叫び、
癇癪が収まらない状況を垣間見たのです。

翌日、その様子を保育園の先生に話したところ、
「いや、それっていつものことなんですよ」
と言われ、更にビックリ。

そして、先生たちと話し合い、
息子を発達相談へ連れて行くことになりました。

その後、様々な検査の結果
「ADHDの疑いあり」という結論。

IQは当時135あったのですが、
それよりも人とのコミュニケーション力がネックで、
WISK検査では見事な凸凹ラインを描いていました。

その後、運動療育を始め、
様々な療育を進めていった結果、
小学1年生の終わりには
「個性の範疇」ということで受診も打ち切り。
薬を飲むこともなく、現在に至ります。

ですが結局、小学3年生まで
対人面でのトラブルは絶えませんでした。

それがピタリとなくなったのは
小学4年生になってから。

グレーゾーンであることには変わりありませんが、
その頃から息子の中で
「心」について色々思うことがあったのかもしれません。

「哲学とか、心理学を勉強したい」
という背景には他にもありそうですが、
まずは手始めに、私が持っていた
本を渡しました。

しばらくは興味深く読み進めていたみたいですが、
まだ「原稿」には手を付けていない様子(笑)

「冬休みになったら書く」と言うし、
特に催促もしていませんが、
今度はなぜか
「オレ、絵を描いてみたい。興味あるんだよね」
と言い出しました。

それが冒頭のイラスト。
※どう見ても、オンラインゲームの登場人物の模写では?
→けれど、棒人間しか描いたことがなかった息子の絵に
感動する母

他にも手首の練習なのか、
集合体恐怖症の私には、見るに堪えない図形が
びっしりとノートに描いてあるのですが、
「そうか、ユングの本を渡したんだった」と
一人納得するのでありました。

※箱庭療法・絵画療法・夢分析というのは
ユングの手法だった(笑)


というわけで

しばらく息子のネタが続きます。
良かったらお付き合いくださいね。

ではでは。


ブツブツ。こわいい・・・汗

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