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生きるのは、過去でも未来でもなく、今だけだ。

"今"がつづいていくだけ。
今を生きるだけ。
過去も未来もない。

夜の瞑想で、そんな言葉が浮かんだ。

目を開けたら、紫色の明るい夜空に、黄色みがかった月が浮かんでいた。

満月から少し経っていた。




moon time DAY2。

生理初日の夜は、涙をたくさん流して、
ふとんに横になったらそのままぐっすり眠ってしまった。

子守唄のように、
Beautiful Chorusやどこかの民族音楽のような歌にくるまれて。

肌になじむように、耳にスッと入ってきて、
安心に包まれて眠りについた。

明け方、たくさん血が出ているのを感じて、ショーツを替えて布ナプキンをさらに重ねておいた。

ちょっと漏れていたけれど、パジャマやシーツはだいじょうぶ。

そうして安心して、またぐっすり眠る。

起きたら、ちょっとからだが痛くて、早く起きたらよかったとチラと思う。

朝は洗濯からはじまる。

なにも考えず、布ナプキンを洗った水を、洗面器で運んで大地へ還す。

初日は形式的に感じていたけれど、2日目になると、それがとても自然のことのように感じた。

じぶんのなかで"これがほんとうだ"と知っていること、ほんとうに大切なことを、大切にして生きていきたいと思った。



水を運ぶときに、こぼれてパジャマについてしまった。

けれど、血を"汚い"とは思っていないことに氣づく。

今、うちにいるわんちゃんのオシッコもそう。

いつもそとでしてるけど、間に合わないときはお風呂場のマットの近くでする。

それに氣づかずに踏んでしまって、"あぁ、もう"と思うんだけど、イラッとか、汚いなぁとかはない。

汚さも、臭さも、愛しさと感じられたら、少し軽くなった。

"きたない"という概念は、ひとのこころのなかにしかないものだ。

トイレ掃除にしても、"きたない"と思うとき、ひとはそれを"汚くしている"じぶんのこころと向き愛っているのだと思う。

わたしは小学生のころ、なんとなくそんなことを思って、じぶんのこころの"汚い"をキレイにするつもりでトイレ掃除をしていた記憶がある。




子宮から血が剥がれていく感覚は、さながら傷だらけのからだをさらけだして生きているようだ。

言ってみれば、身体の内面にしかない粘膜が、ひっくり返って全身の皮膚になってしまったみたいな感覚。

触らないで!超敏感なんだから…って感じ😂
(男のひと、伝わる?)

そんなんだから、テレビから流れてくる銃とかの激しい音や、タバコの匂いなんて、ダイレクトに子宮に入ってくる感じがしておぞましい。

怒りすら感じる。

てめぇ、こっちは血ィー、流してんだぞ!ってな。(失礼💜)


つまり、そんなふうに繊細で敏感になっているときは、じぶんにウソがつけないんだ。

だからこそ、このときに感じたきもちは、じぶんの真実だし、大事にしないといけないんだ。

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