エッセイ「隠した涙は今も輝く」
こんにちは!れごです☺️
昨日書いた「70の質問」で
好きな音楽を3曲あげました↓
今日はその中で特に思い出に残る1曲のお話。
それではいきましょう!
Why don't we 「Let me down easy (lie)」
Why don't we は中学生から4年間ずっと好きだったグループ。
どこかOne Directionらしさを持つ当時の新世代5人組男性ユニットだ。
デビューした当時のメンバーの年齢は高校生ぐらい。
中学生の私はすんごいかっこいいお兄さんたちだ!と彼らの曲を聴くようになった。
非常におしゃれでかっこいいお兄さんたちなのだが、
私が熱中した理由はズバり曲調にある。
聴きやすいアメリカ英語と落ち着いたEDM調のメロディが好みにドンピシャだった。
静かなかっこよさ、とでも言うのだろうか。
無理に声を張らずに聴こえてくる優しい歌詞が聴きやすかったのだ。
そして中学生活を送る中、中2の秋に私はぶっ倒れた。
この頃から聴覚過敏が強くなり、ノイキャンイヤホンで音楽を聴きまくる生活が始まった。
当然元気もなく聴ける音楽も限られている。
それでもWhy don't we の曲は聴き続けられた。
私の最古の音楽のプレイリストに最も曲が入っているアーティストであり、
今でも気持ちが下がると自然と聴いている。
中3。
突如彼らが活動を休止した。
理由ははっきりとはわからない。
彼らの曲以外もたくさん聴いていたからダメージは少ないものの、
どこか心に穴が空いた感じがした。
もう新しい曲に会えないのか。。。と。
理由もわからず人が怖くて不登校になった私は
毎日鉛に押しつぶされている感覚だった。
文章を読むことも書くこともできず
唯一勝てたオンラインカードゲームで時間を潰す日々。
ちょっと外出でふらふらになった後は
横になって2時間ぶっ通しでEDM(ncs)を聴いたり。
心に灰が混ざったような時期だった。
幸い中高一貫校だったからエスカレーター式に高校に進学した。
しかしこれから学校を休むことはできない。
どれだけ勉強が遅れていようと
人が怖かろうと
聴覚過敏が悪化しようとも
単位のためには毎日通わなければならなかった。
高1が始まって1週間ぐらい経った日。
体調に危機感を持ち不安だった私に飛び込んだ1つの吉報。
それが彼らの新曲だった。
ぼーっとYoutubeで聴いていたらいつのまにか涙が溢れていた。
彼らは活動休止前のグループの方向性がバンドに変わりつつあって
曲調が変わりかけていることが少し悲しかった。
ところが活動休止後に出たこの曲は
彼らにハマった当初の雰囲気を思い出させる優しいEDMだった。
そしてもう1つ。
Youtubeに上がった日が私の誕生日だったのだ。
私は背中を押されているように感じた。
それ以降、その学校に通っていた間は毎日聴いていた。
この曲を聴くと
お昼休み、教室の真ん中の席でうつ伏せになって
ループ再生した音楽に必死に集中して呼吸を整えて
学校の騒がしさと眩しさから逃げていた瞬間を思い出す。
音楽を聴く中、
残すは午後の授業。
体力が持ちますように。
明日も学校に行けますように。
と自分を鼓舞する日もあれば
周りへの羨ましさ
自分の無力感
頑張りが届かない絶望感で
怒りにまみれている日もあった。
総じて怒りの感情が強かったと思う。
私はどうしようもない怒りを感じると涙が出る。
涙が出ると本音を出せる。
本音は次の成長に続く。
私の成長は怒りと共にあるのかもしれない。
お昼休みに机に涙を隠した私は
苦しくても、
いつか限界を迎えて通信制に転校して
それに伴って留年して友達と離れるとわかっていても
それでも毎日を無駄にしまいと
友達とできる限り明るく話した私を
勉強が遅れててもできる課題は手を抜かずに取り組んだ私を
あの頃を全力で生きた私を素直にできる
学校での唯一の時間だった。
学校を離れて通信制に通うと決めた時、
同時に自分に約束したことがある。
必ず、今より良い高校生活を送る。
勉強も青春も体調も全て自分で取り返す。
自分で自分の道を作ると約束した。
今でもプレイリストを作る時、自然とこの曲を加えていることがある。
それは間違いなく彼らの曲で一番のお気に入りだからであり、
ふと気が抜けた私をかつての記憶が奮い立たせるから。
「れご、初心を思い出せ」ってね。
暗い時もあったけど、そんな時期を支えてくれたんだ。
この記事は #思い出の音楽
について友達のあるみちゃんと同じお題で書きました!
それではまた!
#創作大賞2024
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#思い出の音楽
#66日ライラン
(3日目)
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