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つんでるシネマログ#8 美しき冒険旅行

原題:Walkabout1971/イギリス
上映時間100分
監督:ニコラス・ローグ
出演者: ジェニー・アガター リュシアン・ジョン デヴィッド・ガルピリル


 ウォークアバウトというものがあります。オーストラリアの先住民のアボリジニの男性が16歳を迎えると。住んでいる場所から仲間の元を離れ、オーストラリアの原野へと旅に出され、そこでの自給自足の生活を経験させるというもので、通過儀礼(イニシエーション)の為の旅、儀式です。

 『美しき冒険旅行』は白人の姉弟がオーストラリアの原野で、ウォークアバウトの最中のアボリジニの少年と出会う映画です。そして少年と行動を共にする姉弟にも真のイニシエーションが訪れる様を、雄大な自然の情景とともに浮き彫りにしていく、そんな映画です。

 オーストラリア、シドニーで暮らす16歳の少女と、その弟である6歳の少年が、ある日、父親にピクニックに連れ出され荒野へと車でやってくる。だが父親が突如発狂。ピストルを取り出して二人に向けて発砲する。二人は凶弾から逃れるが、父親は車に火をつけ、その後ピストルで自殺してしまう。水も食料も少ない中、荒野を彷徨う事となった二人の前に、言葉も通じぬアボリジニの青年が現れる

 こう言うと、とても陳腐な言い回しとなってしまいますが、この映画はとても「考えさせられる映画」「考える余地が」ある作品です。

 この映画は、雄大な自然の風景と、姉弟とアボリジニの交流しか描きません。交流と言ってもわかりやすく心を通わせる描写はなく、ただひたすら両者が旅をしていくのみと行って良いほど、非常に淡々と描かれます。彼らの姿だけを捉えているだけかと思えば、他にも多くの時間がオーストラリアの荒野の風景や、そこを行き交う動物の映像に割かれています。

 また時折、都市の生活や、アボリジニの文化を売り物にする商人や、都会からやってきたであろう研究者のシーンなどがこの姉弟とアボリジニの少年のシーンとはあまり関係なく挿入されます。そういう意味でかなり詩的な映画です。同時にこの映画は都市と自然というものを対比して描いていることも同時にわかります。

 かといって、自然の生活が神秘的かつ素晴らしいもので、それに対して文明は悪いものだと批判的に描いている映画とも言い切れません。そして文明的なものと野蛮さをただ批判的に並べて描いた映画でも有りません。

文化の違う物が交わることで起こる事

 この映画が描いているのは2つの文化。原始的(プリミティブ)な文化と西洋的な文化で育った2組(アボリジニの少年と都市からやってきた姉弟)が出会ってしまった事で何が起きるのか?ということでもあります。

ここでいきなり終盤の展開の説明になりますが、

↓以下終盤の展開に触れています↓

アボリジニの少年は彷徨する姉弟を荒野で助けます。水の飲み方や、狩りを見せ、食べ物を与えながら3人は荒野を行きます。弟はアボリジニの青年と言葉は通じていませんが何か感じることがありコミュニケーションをとっています。姉は青年を邪険にはしませんが、生き残って街に戻るために一定の距離を保っています。そんな姉に対してアボリジニの少年はしだいに恋心を抱き始めます。そして最後に訪れた廃屋で姉に対して求愛の踊りを踊りますが、姉は突然のことに驚き、また異様な踊りに恐怖し、少年を拒絶します。少年はショックを受けて、あくる日、木に首を吊って死んでしまいます。

 姉弟とアボリジニの少年だけのの理想郷的な雰囲気を放っていた旅はこれで終わります。この映画は強い差別描写もありませんし、むしろ2組の交流はごく自然に進んでいきます。対比的に描かれる事はあれど、対立するような場面はありません。また2組は全くの無自覚であり、生まれた場所がただ違うという事でお互いの文化を背負っているだけです。ですが終盤でその違いというものが、愛の拒絶という決定的なものとして現れてしまいます。

 ここから思うこととしては、無自覚に2つの異なる文化は溶け合わないということです。生まれも何もかも違う場所で育った人は、そう簡単に共存できるものではないのです、暮らしも、教育も違う場所で育った人は同士は、歩み寄ったり、お互いの文化を知り合ったり、自覚的に「お互いを知ろう」としない限り、その溝は埋まるものではないものでしょう。それは差別でなく、人には差異が必ずあるという事だと思います。

 また文化が無自覚に交わるところに起こる悲劇というのはこの映画に限った話ではありません、現実にもそう言った事例は枚挙にいとまがないと思います。それは世界中の歴史を紐解いても分かることでしょう。そこに初めからいた人間と、やってきた人間の間に何が起こるのか、それはネイティブ・アメリカンの歴史などをみれば明らかです。またアボリジニも同じくオーストラリアに入植してきたヨーロッパからの入植者との間に何もなかったわけではありません。今も差別は続いています。そもそもアボリジニというのも数多くの文化の違う先住の民族をまとめた言葉でもあり、そこには多くの差異があります。

 例えばプリミティブな文化という事ではありませんが、日本でも、ごく日常的な場面だと、日本に海外の人間が旅行に来て、それが公共の交通機関などでの振る舞いが日本人と違うという事などから差別的な意識に繋がることは容易に想像できます。電車で足を組まないなどのマナーなどは日本では普通かもしれませんが、他の国では違います。でもそれは知らないだけの事であり、また逆の立場なら、日本人もまた知らずに誰かの何かを犯しているという事はありうる事です。

イニシエーションは新たな価値観に生まれ変わること

 そうしてイニシエーションの旅の行方はどうなったのか…

 この映画は都市に戻って、大人になって生活を送っている姉がふとアボリジニの少年と、弟とあの原野で過ごしていた時のこと(過去というよりは、その時の妄想のように見えます)を思って幕を閉じます。

 それはある意味この旅というイニシエーションを経たことで姉に成長が訪れた事を示しているように思えます。都市での生活よりも自然の生活が良かったという描写にも見えますし、そういう含みもあるかもしれませんが、姉は自然の生活に踏み入れて、その二つの視点を手に入れたと言った方が良いように思います。

 弟については描かれませんが、まだ幼い事もあり、アボリジニの少年とも差別なくコミュニケーションをとっていた彼は、それ自体が通過儀礼として彼の今後に影響しいくのではないかと推測できます。

 またアボリジニの少年ですが、首を吊って死んだと書きましたが、これは実はどちらか分からない描かれ方をされています。もしかしたら本当に死んだというよりは、精神的な死を迎えたことを描いているのかもしれません。アボリジニの少年は愛するものに拒絶された絶望を経て、また別の自分へと生まれ変わったのかもしれません。

 これは似たようなシーンを他の映画で見たことがあります。日本の映画で、『台風クラブ』という名作がありますが、あれとこの映画は少し似ているところがあります。一時的に少年少女たちの理想郷が現れ、若さと大人になる事が対比されます。そして最後に少年の1人が校舎から飛び降りて、翌日、台風の影響で湖の様になったグラウンドに彼がまるで『犬神家の一族』のような形で突き刺さっているのですが、あれは死んでしまったのかどうかは実はよくわからないような演出をされています。『台風クラブ』の彼はもしかしたら大人への反発としての飛び降りを経て、何かに生まれ変わるのかもしれません。

 もちろんこれは私の映画への希望的な観測かもしれませんが…

 この映画は見ず知らずの二つの文化が混ざり合った時におこる無意識の悲劇と、それ踏まえて、すこしお互いを知ったり、あの体験は何だったんだろうと考えるという、ごく普遍的なことを描いた映画なのだと思います。

 もちろんそれだけがこの映画の魅力ではありません。先にも書きましたが、この映画は非常に余地がある映画です。オーストラリアの雄大な自然。何かの予兆の様にそこかしこに映る動物たち。アボリジニの少年を演じる俳優デヴィッド・ガルピリルの特異な存在感や、そのむき出しの肉体。それらを映す詩的な映像は、何度も見返すに値するような素晴らしい物です。散文のような映像は何度見ても驚きや発見に満ちています。

 オーストラリアの荒野に、この映画を通して舞い戻るたび、この旅が自分にとって何なのか、そう考えてしまうような映画です。


『美しき冒険旅行』から連想した映画達

ピクニック・at・ハンギングロック
バレンタインデーに寄宿学校の女学生達がピクニックに行って奇岩の間に失踪するという幻想的カルト映画。その自然の美しさや、映し出される動物のカットは同じものを感じさせます。

OLD オールド
М・ナイト・シャマラン監督のスリラー映画。あるビーチにたどり着くとそこは時間の流れが異常に早い場所だったというお話で、監督は『美しき冒険旅行』と『ピクニック・at・ハンギングロック』を参考にしたとされている。

台風クラブ
先述の通り、隔絶された学校に取り残された子どもたちが一時の理想郷を謳歌する映画。


メモ

監督 :ニコラス・ローグ
「アラビアのロレンス」などの第二班撮影監督などを経て、撮影監督へと昇格。ロジャー・コーマンの「赤死病の仮面」やトリュフォーの「華氏451」などの撮影を務めた。「地球に落ちてきた男」などが有名。この映画においては家族とともにオーストラリアで撮影を行った。

出演:ジェニー・アガター
イギリス出身の女優。『2300年未来の旅』『鷲は舞い降りた』『狼男アメリカン』他多数の作品に出演。美しき冒険旅行の撮影当時は16歳だったが、5分間にも及びヌードで泳ぐを披露し、アメリカではカットされてしまったという。そのシーンは非常に幻想的。

出演:リュシアン・ジョン
本名リュック・ローグでニコラス・ローグの息子。出演は『美しき冒険旅行』のみで現在は映画製作者として活動している。

出演:デヴィッド・ガルピリル
オーストラリア先住民の俳優。その存在感で多くの映画に出演。米映画の『クロコダイル・ダンディー』やバズ・ラーマン監督『オーストラリア』などにも出演。自身のドキュメンタリーも作られた。型にはまらない即興的な演技も得意とした。2021年没


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