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何者か。ルーツの旅①

※あくまで個人視点なのでご了承ください。

東京で生まれ東京で育ち日本語から覚えた韓国人いわゆる在日。
私がまさにそれ。時折自分のルーツを考える。

なによりまず父親が割と壮絶だった話から
そんな父親や祖父、祖母がいなければ私も存在しなかったという事は明らか。

お母さんは同じ在日で日本生まれだが、
お父さんは韓国済州島での生まれ育ち。
大人になり日本に来たので私は2世にあたる。
私の同年代で2世は珍しく、同い年ほとんどは3世。

そんな父は1948年2月19日生まれ。
1948年はご存知の方もいるかもしれない、
済州島で起きた済州4、3事件の年。

一応題材にした映画もあるみたい。
「チスル」(私はまだみていない。。けどこの予告編みて見たくなった)

動画のように洞窟で生活もした事があるらしいといっていた。(幼少期のためお婆ちゃんいわく)

「自分の父とは会った事がない、生前の絵だけしかない」とお父さんが言っていた。この事件で亡くなったお爺ちゃんはいつ、どう亡くなったかも遺骨も見つかっていない事も父が寂しそうに話していた記憶が残ってる。
そんな窮地を生き、韓国で大学に通い、日本へ渡航し在日の母と結婚した。
かなりのパワーを要する人生のはず。日本語もわからず籍ももらえず困難乗り越えて今がある。おかげさまで私は日本で学校に通い言葉を学び話せるようになり今の環境が私にある。感謝だ。

お婆ちゃんが亡くなる時、ただちにお父さんと済州島に翌日向かった。

お婆ちゃんと最後のお別れ出来きたとき泣いていたお父さんがいて、看取れて良かったと心からおもった。

4.3時件でお爺ちゃんが亡くなり、未亡人となったお婆ちゃんが
生前から言っていた遺骨はないがおじいちゃんの物たちと一緒にお墓に入りたいという希望がかなった。

済州島にある4.3平和公園で今は仲良く眠っている。

いろんな折り合い、タイミング、ハプニングなどがあり、
今の自分がいるのは間違いない。

親に、その親に感謝。






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