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捨てられないものだらけの暮らし

わたしはものすごく片付けが苦手で、この間の日曜日に、ついにプロの「整理収納アドバイザー」に初回お試し価格で来てもらった。

部屋を見ながらカウンセリングをして、着手する場所を決め、一緒に片付けていく。ちょっとビフォーアフターに使えるかも……なんて考えながら事前に写真を撮っていたのだけれど、結果として、それはあまりピンとこないものになった。
終わった後、「アフター」の写真が、そんなに「キレイ!」とはならなかったから。

クローゼットの中身を全て取り出して見直す。
いらないものをそれなりに出して、ゴミ袋もいくつも出した。
わたしは背が低い上に、つい数日前まで脚立もなかったので、クローゼットの上段はほぼ使っていないスペースで、先生はそこに季節ものなどをポンポンと上げていった。なので、クローゼットの写真だけ見たりすると、上段にもものが詰まった分、むしろものが増えたようにも感じる。

それらにより、置き場がなくて廊下に積まれていたものが、ベッドの下とクローゼットに収まった。それでも本は全然入りきらなくて、終了間際、先生は「とにかく紙袋に本を詰めてください」と言った。わたしは言われるままに本を詰める。先生がそれを部屋の隅に並べていく。結果として、今わたしの部屋は、隅に大量の「本が入った紙袋」が並んでいる状態になっている。

先生は言った。
「次は、カラーボックスか何か買っておいていただいて、本を整理して行きましょう。それから、廊下とキッチンもやりたいですね」

そこでわたしは初めて気づいた。そうか、初回「お試し」だった。サービスというのは、そこでキレイに終わるようにはできていないのだ。

ものがもっと少なかったら、きっと今回の4時間で終わるパターンもあったんだと思う。だから自分のせいなのだけど、その日の終わりを「ひとまずはキレイな部屋」でイメージしていたわたしは、ちょっとがっかりしてしまった。わがままだ(noteには、こういう小さなわがままな自分を見つけた話ばかり書いてしまっている……)。

もう言い古されてきたことだけど、最初のヒアリングから途中の質問まで、片付けはやたらと自分と向きあわされた。
「すみません、いりません」と言う瞬間も、「あー、えっと、それは」と「要ります」を言いづらく感じる瞬間も、どこか恥ずかしかった。
「こんなものいるの?」と思われるんじゃないかな、「本当にやる気あるの?」って思われてないかな、あれ、おかしいな、わたし本当に捨てたいものが少ないな、と焦った。部屋は片付いていてほしいのはちゃんと本音なのに。

でも、今落ち着いて考えてみても、わたしはものに囲まれている暮らしが嫌いじゃなくて、なんなら、好きなものになるべくお金を払っていたいと思っていて、絶対にミニマリストにはなれなくて、そのことを正直、反省もしていない。
片付いた部屋で暮らしたいのは、本当に本音だけど、どれもときめいて買ったものなのも本当だった。あー、稼ぎがもっとあったら書斎のある家に住むのになあ、なんてふてぶてしいことを思っている。だって、好きなんだもん。

わたしが持っているもの。
本。何冊あるかわからない。
着物。現代の人にしてはたくさん。
食器。入りきってない。
ライブグッズ。もう買えないものばかり。
ハンドメイド用品。道具、毛糸など無限にある。
ネイル用品。
かわいい紙。パンフレットやステッカー。

どれも好き。言い出したら増えていくものばかりだ。どうしたらいいのか答えが出ない。

サービスを継続して受けるかどうかは自由に決められる。人に来てもらうくらいしないと片付けないという意味では、意味のある時間だった。廊下はもっと長年放置しているものもあるから、きっともう一度来てもらったら、もう少し捨てられるとは思う。
けどきっと、わたしがキレイな部屋に住むためのコツは、そこにはないような気がする。あと1年くらいで引っ越す予定なのにカラーボックス買うのもなあ、という気持ちもある。ハンドメイドをやっている人とか、みんなどうしているのだろう。端切れとか、糸とか、可愛くキレイに保存しているのだろうか。

結果、もの持ちな人がキレイに暮らしていくコツがあったらぜひ知りたい……というしょうもない気持ちを見つけて終わった。究極の貪欲。

読んでくださってありがとうございます!あまくておいしいものか、すてきな本を探しにゆきます。