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海外育児の日本語教育から思ったこと。

冒頭の写真は
家の中の整理中に見つけたもの。

海外に住んでいる子供達の日本語教育について仕事をしているのだけど、
ふっとしたときに、ガクンと落ち込むことがある。

普段海外に住む子供たちの日本語教育について、熱心で素晴らしい先生方や親御さんにあったり話したりすることが多く、苦労しながらご自分の子供たちの日本語教育をしっかりとやっている姿を見る機会があるので

「あああ、私はこの方達の100分の1の努力もしていなかった。。」
とすごーーくダメ親や気分を味わってしまうときだ。

「日本語を話せるようになることはもちろん、大事だとは思うけど、
環境や事情がそれぞれの家庭によって違うのでそこに固執することはない。」


と言うのは簡単だし、私もよく使う言葉だけど、
実際問題、日本語話してくれたらどんなにいいのに!
と思うこともよくある。

さらに、前に、
「日本語話せなくても気にしない!と言う親がいるけどそう言うことを言う人の顔を見ていると、なぜか寂しそう」とかなんとか言う書き込みを見た。


その通りなのかもしれないし、
無視すればいいのだけど、なんだかモヤモヤしてきたのであった。


大体ですね。
みんながみんな、毎年日本に2ヶ月間帰って、子供を日本の学校に入れられるわけじゃない。

みんながみんな、日本語を話す環境が整っているところで暮らせるわけじゃない。

誰もが、子供が家に帰ってきた時に一緒に座って日本語を勉強する時間が作れる親ばかりじゃないしさ。

日本語を話さない子供の親は、努力をしていない、
もしくは、努力が足りないってわけじゃないでしょ。

「うちは日本人環境なくても日本語維持している。」
っていうご家庭もいるだろうから、
「環境は関係ない。全部言い訳」

って言われたらそうですか。。なんだけどさ。


あまり気にしないでふっと正直に投稿した言葉なのだろうけど、
海外在住同士気持ちがわかるはずの人(だと私が勝手に思った)からのその言葉は、かなり、憂鬱になったのだった。

(と言うことで、そのつもりはなくても、ついついの一言で人を打ちのめしてしまっているからかもだから、気をつけようとも思った。)



さて、。。。冒頭の写真から思ったこと。
掃除していたら、あの紙がペラリ、、と出てきた。
そう、、掃除をしていたらよく出てくる、出てくるんだわ。
大量の日本語のプリントの山や子供たちが書いていた文字や文。ノート。


人間って、忘れやすい、忘れっぽい生き物。
私が忘れっぽいだけのかもしれないけど、
「ダメじゃ。。」と思うと
その、今までした努力を都合のいいように変えてしまっていることがある。
「努力していなかった。」と。

でも、あの紙を見た時に
「なーーんだ。やっていたじゃん。偉いぜ私。」
と瞬間的に口に出して自分のことを褒めた。
「やってたじゃん」ということを思い出したのだ。

世の中の自信を失って迷走している人は、みんな自分を褒めたらいい。
自分を褒めるのが難しかったら、
毎日していることを書いてみるのがいい。
そうすると、かなりの仕事?をやっているということがわかるので、
「私、売れっ子芸人みたいだわ。」と思えて一人でくすりと笑える。

自分はやっていないと思ったって、みんな自分の立ち位置で、できることをやってるんだわな。

あのポロリっと出てきた紙からそんなことを思ったのであった。



12年前のちびっこ娘たち

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