とにかく笑えれば! 【世界に挑戦した私の軌跡】
日米での法人担当営業歴20年+。
妻からはいつまで新人営業キャラで行くのかと言われ続けた20年でした。
営業という仕事が好きで、誰かの役に立てたと実感できる事が好きで、その為に何が出来るのかと夢中で悩み、夢中で走っていたら、色々な国に行けて、アメリカに移住して永住権も得て、数十人いるアメリカ人営業をまとめるリーダーにもなり、幸せな営業生活でした。
営業は、お客様に育てて頂きます。
私も多くのお客様に出会い、数多くの失敗をして、お叱りをうけ、励まされ、応援頂き、かけがえの無い教えを学び、楽しい時間を多く過ごさせて頂きました。
その中でも、一番お世話になったのが山下さんです。
営業一年目に担当させて頂いてから、社会人としての心得、営業としての心得を教わり、人生やキャリアの相談にも乗って頂きました。
私の結婚式には主賓としてご参加も頂きました。 (当時は購買部長されていたので、振り返ると異例ですね。。。)
人生の師、メンターとして心から尊敬しています。
山下さんからの多くの学びを、今でも大事にしています。
最初の出会いは、初めて担当したSIプロジェクトです。山下さんが、お客様の事業側プロジェクト責任者でした。 私は既に契約済みの案件を、デリバリー・フェーズの営業フォローとして先輩から引き継きました。右も左も判らない新人営業だし、出来る事も限られているので、邪魔だけはしないようにと考えていました。 ただ、、、担当したプロジェクトはサービス・イン直後(前では無いのが致命的)に壊滅的な大火事となるプロジェクトでした。。。
お客様のサプライ・チェーンに直接的な影響が発生し、元に戻せない状況まで悪化していた為、あらゆる資源を投下したリカバリーが必要な状況でした。壊滅的な影響度の為、当時西日本にいた殆どの技術者がプロジェクトに送り込まれ、お客様もプロジェクト・ルームに常駐し、多くの技術者が不眠不休で対応が必要な状況でした。
私も修羅場となったプロジェクト・ルームに泊まり込み、進捗を出来る限りタイムリーに理解し、必要となる最大限の社内エスカレーションをする、メンバーが出来るだけプロジェクトに集中できるように気を配る、新メンバーを迎える、買い出し・差し入れもする、スキルも経験も無い新人営業でしたが、大切なお客様に甚大なご迷惑を掛けている状況が情けなく、申し訳なく、無い知恵を絞って自分の出来る事を探していました。
修羅場のプロジェクト・ルームに数日泊まり込んだある日、お客様も常駐するプロジェクト・ルームでプロジェクト・メンバーの冗談や笑い声が聞こえました。新人営業の私としては、お客様に甚大なご迷惑をお掛けしてる状況で笑うなど言語道断だと怒り心頭でした。ただ、新人営業が先輩社員に声を上げて意見する事も憚られ、少なくとも自分に出来る事をと、異常に厳しい顔をする事でプロジェクト・ルームの雰囲気を変えようと試みていました。(寝てなかったので、周りも見えず思考停止していたと思います。)
そんな無駄な事を続けて、誰も求めて無いし、自分に出来る事もないのに何故か自分を追い込んでいた時に、初めて山下さんに呼び止められました。そして、伝えて頂いたのが、
「営業のお前の仕事は笑う事だ。お前すら笑えないプロジェクトはうまくいかない。プロジェクトの雰囲気を良くするのが営業の仕事。他に何も出来ないと思うなら、少なくとも笑っておけ。お前が役に立てる事は笑う事だ。」
無駄に自分を追い込んでいた私は、この言葉に心から救われました。 どんな時にも、自分の役割を見つける事が出来るようになりました。 その後の仕事だけでなく人生でのいくつかの修羅場において、この言葉がいつも救ってくれました。 人生の師からの言葉に、心から感謝しています。
「とにかく笑えれば! 」
私にとって営業の、そして人生の鉄則です。
ウルフルズの歌も大好きで子供達と良く歌います。いつも忘れないように。
当時の山下さんの部下の方々と、私が日本に一時帰国のタイミングに定期的にお会いする機会を頂いています。毎年、九州に山下さんの法要旅行を企画されていて、次回の法要旅行には参加させて頂く予定です。サラリーマン辞めて、時間の自由を得たお蔭で実現できそうです。
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