外園 りあ|愛着障害セルフセラピー中

愛着障害らしきものを超えるために。親への恨みつらみ、悪口、書きます。罵詈雑言があるかも…

外園 りあ|愛着障害セルフセラピー中

愛着障害らしきものを超えるために。親への恨みつらみ、悪口、書きます。罵詈雑言があるかもです。 あの日に置き去りにした自分を迎えに行くために、ないがしろになってしまっていた自分の気持ちを取り戻すために書いています。だから、当時の父と母の思いは考慮していません。イヤな人は見ないでね。

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

たぶん、その時代のふつうの親

わたしは、絵に描いたような暴力とか、罵詈雑言による言葉の暴力などのような、分かりやすい虐待を受けて育ったわけではない。 だけど、わたしはたぶん、一般的な子ども、平均的な子どもよりも、ちょっとしたことで混乱しやすかったり、敏感に反応したりしていたのだと思う。 わたしは今で言うHSP(繊細さん)で、例えば食べ物のちょっとした舌触りが気になって食べるのを嫌がったり、ちょっとでも違和感のある食べ物は飲み込めなかったり、化学繊維が入っている服をものすごくかゆがったりしていた。ひとが

    • 小学校入学前〜留学するまで | 父とのこと(につながる話)#4

      話はまた小さいころに戻る。 ある春、近所のお姉さんがダンボール一箱分の本をくれた。中学校に上がるところだったお姉さんが、小学校に上がろうとしていたわたしに、小学生向けの本をいろいろとゆずってくれたのだった。このとき、ごくごく自然に、わたしはたくさんの本を読もう、と思った。そして実際、小学校が始まる前には箱に入っていたほとんどの本を読み終わっていた。 とくに記憶に残っているのは、学研の「理科のひみつ」という、理科で習う内容をマンガで説明する本と、タイトルは忘れたが小学校で習

      • 大切なものを掃除機に吸い込まれる恐怖 | 母とのこと #4

        わたしの頭の中は、ひとつのことをしている途中で他のことを思いついて、その途中でまた違うことを思いついて…という調子で、とっちらかった状態になりやすかった。だから、おもちゃなどを片付けなさいと言われても、やろうと思っていても最後まで続けてできず、途中で違うことをやったりしがちだった。ただ、頭の片隅には片付けなければ、という意識はあり、後でやろうと思ってはいた。 だけど、母はそれが我慢できなかったのだろう。 「さっさと片付けないと吸い込むよー!!」 …と、掃除機で脅しながら

        • わたしの留学費用 | 父とのこと #3

          高校時代の途中?高校を出てから? 父と口を聞いていなかった時期があった。 高校を出てから、留学することに決めた。 アルバイトをして、少しお金を貯めた。 アメリカの大学のことを調べて、自分で手続きをした。 一般教養の間は、費用が安く済むコミュニティカレッジに行こう。 いきなり大学の授業に飛び込むのは不安すぎるから、 一ヶ月は語学学校に行こう。 お金がなくなったら戻って来て、 アルバイトしてお金を貯めて、 また行こう。 ぜんぶひとりで調べて、ひとりで決めて、ひとりで手続

        • 固定された記事

        たぶん、その時代のふつうの親

        マガジン

        • 父とのこと
          5本
        • 母とのこと
          4本
        • まわりの大人とのこと
          1本
        • その他のnote
          2本

        記事

          本気で走る理由が本気で分からなかった話 | まわりの大人とのこと #1

          小学校に入って間もないころだったのかなあと思う。体育の授業で記憶に残ってることがある。 おそらく50m走だったのか、みんなそれぞれ何秒で走れるか測ります、と先生に言われた。で、ふーん、と思ってたのだが。 始まったらみんな、MAXの本気で走っていた。 わたしは、えっなんで?火事でもなんでもないのに???と、本気で不思議だった。 自分の番が来たとき、やぱり意味が分からないので、これくらいでいいだろう、と自分が思うペースで走った。そしたら、ちゃんと本気で走らないと!みたいな

          本気で走る理由が本気で分からなかった話 | まわりの大人とのこと #1

          わたしの歯みがき粉| 母とのこと #3

          弟が生まれたときのことは、おぼろげに覚えている。 家に母がいなくて、父が連れて行ってくれたところに母がいた。 ちょっと見上げるような目線で母を見たのを覚えている。 きっと病院のベッドの上にいたのだろう。 そのとき母が弟を抱っこしてたのかどうか、 そのとき弟に会ったのかどうか、は、覚えていない。 ただ、家に母がいなかったこと、 父が連れて行ってくれた、病院であろうところに母がいたこと、 だけを覚えている。 *** 初めて弟に会ったときのこと、母と弟が家に帰ってきたとき

          わたしの歯みがき粉| 母とのこと #3

          少し後と、しばらく後の話 | 父とのこと #2

          それからたぶん、少し後のこと。 家族でどこかに出かけていた。 暗かったから、どこかに行った帰りの夜? 父が少し先を歩き、わたしと母と弟は少し後を歩いていた。 弟は母と手をつないで、嬉しそうに何かを話していた。 最初は、わたしも母と手をつないでいたかもしれない。 母が、 「ほら、お父さんひとりで歩いてるから手をつないであげて。」 というようなことを言った。 わたしは父に追いついて、手をつないだ。 違和感しか感じなかった。 少しの間、手をつないでいた。 落ち着かなく

          少し後と、しばらく後の話 | 父とのこと #2

          愛着スタイル診断と参考書籍

          愛着障害に関して、自分は該当するであろうと思っていたけど、診断等は受けたことがないので、オンラインでできる診断をやってみた。簡易的なものではあるだろうけど、自分自身について参考にする程度なら問題ないのではないかと思っている。 愛着スタイル診断テスト https://attachmentstyletest.web.fc2.com/ わたしの診断結果はこちら。 わたしの場合は主に不安定型であり、また、2番目にスコアの高い回避型も無視し難い要素である、ということになる。未解決

          二番目に古い記憶 | 父とのこと #1 ver.2

          覚えているのは、 ごはん茶碗がこたつ布団の上をころがったこと。 大泣きしてたわたしが息を飲んだこと。 「泣けば何でもしてもらえると思うなよ!」 …というような言葉。 たぶん初めて?その人に叩かれたこと。 そのときからわたしは、父を好きではない。 たぶんそれまでは、好きだった、と思う。覚えてはないけど。 まだ幼稚園には行っていなかったと思う。 わたしの、二番目に古い記憶。 *** わたしは驚いて母を見た。 そのとき母は、台所で洗い物をしていた。 母は、気づか

          二番目に古い記憶 | 父とのこと #1 ver.2

          登校拒否、じゃない | 母とのこと #2

          わたしは、朝、起きられない子だった。 なかなか寝つけなくて、そしていったん寝ると、朝になっても起こされてもなかなか目が覚めなかった。起こされても最初の何度かは聞こえてさえいなかったと思う。 中学だか高校だかの頃は、自分が昼寝していた横の部屋で、壁に穴を開ける工事をしていたのにも気づかず寝ていたことさえあった。わたしが昼寝している間に出かけた家族が鍵を忘れて、何度も何度もドアをたたいたり呼び鈴をならしたりしても起きなかったりもした。弟が集合住宅の外壁をつたって3階まで登って

          登校拒否、じゃない | 母とのこと #2

          オルガンの練習と、母と弟 | 母とのこと #1

          幼稚園のころ、オルガンを習っていた。 家で練習するように、って言われていたのだろう。 記憶しているその日、オルガンに向かっていたら、母が弟を抱いて様子を見に来て、練習しているわたしの横に立った。 わたしがオルガンをひいていると、弟がオルガンのふたに興味を持ったのだろう。ふたに手をかけてしまい、オルガンのふたがバタンと閉まった。 オルガンを弾いていたわたしの手は、当然、挟まれた。 はっきり覚えてはいないけど、わたしはたぶん、びっくりして、そして痛くて、泣いたと思う。

          オルガンの練習と、母と弟 | 母とのこと #1

          覚えている、あの、瞬間。 | 父とのこと #1

          わたしがとても小さかったころ、父はわたしのことをそれなりにかわいがってくれていたのだと思う。少なくともわたしは、それなりにかわいがられていると感じていたと思う。 なぜそう思うのかというと、そう感じなくなった瞬間をハッキリと覚えているからだ。 覚えているのは、 電気が走ったような感覚と、 こたつ布団の端を転がる、ご飯用のお茶碗と、 「泣けばなんでもやってもらえると思うなよ」という言葉と。 こちらを振り向くこともなく、向こうを向いて台所に立っている、 本当はすべてを

          覚えている、あの、瞬間。 | 父とのこと #1