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たぶん、その時代のふつうの親

わたしは、絵に描いたような暴力とか、罵詈雑言による言葉の暴力などのような、分かりやすい虐待を受けて育ったわけではない。

だけど、わたしはたぶん、一般的な子ども、平均的な子どもよりも、ちょっとしたことで混乱しやすかったり、敏感に反応したりしていたのだと思う。

わたしは今で言うHSP(繊細さん)で、例えば食べ物のちょっとした舌触りが気になって食べるのを嫌がったり、ちょっとでも違和感のある食べ物は飲み込めなかったり、化学繊維が入っている服をものすごくかゆがったりしていた。ひとが自分のことをどう思っているかとか、まわりにいる人の機嫌が悪くないかどうかといったことが、とても気になった。

五感を通じて、そして周りの雰囲気から、たくさんの情報を受信していたのだと思う。そして、知能指数がちょっと高めで、受け取った情報からいろんなことを思いついたり考えたりしていたので、頭の中はいつも、雑多な情報と感情とであふれていた。

一方、母は、本人としては自分のことを「気にしい」だと思っているようだが、化繊の服を着ても何とも感じないらしいし、たまに人に対してとんでもなく無神経なことを言ったりする。

30代の頃のわたしが生理痛で苦しんでいるのを見て、わたしの生理のことを、ボソッと「無用の長物...。」と言ったことがある。そして、悪いことを言ったとは、まったくもって思っていない。わたしにものすごく怒られても何が悪いのか分からず、えっ?という顔をしている。それくらいには無神経だ。

悪気はない場合が多いが、もしも自分が同じ立場で同じことをされたら・言われたら、どう感じるだろう、と考えるための想像力を、あまり持ち合わせていない。

わたしのことを、神経質な子、やりにくい子、とは思っていたかもしれないが、

どこの親もやってるような育て方をすること、
まわりの友だちに「どうしてる?」と聞いて、同じやり方をすることに、何の疑問も持っていなかったのだと思う。


たぶん、その時代のふつうの親がする子育てを、ふつうにしていた。ふつうの親。


だけど、わたしは。

わたしをちゃんと見てもらえたとは、思っていない。わたしに合った子育てをしてもらったとは、思っていない。育ててもらってありがとう、の前に、どうしても、わたしをちゃんと見てもらえなかった、と思ってしまう。


母は、わたしにとっては、そんな母。


父のことは、短くまとめられない。

だから、マガジン「父とのこと」で書いていくつもり。


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