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中毒

 ネオンライトが煌々と輝き、夜の街を賑やかにする。まるで街灯に群がる昆虫のように、お店にどんどん人が吸い込まれていく。
 件のお店はこの繁華街の中でも一段とひっそりしていて地味で目立たない、むしろ何かから隠れているかのようにすら見える不思議なお店だった。

 「ここ、ここ。着いたよ」
 最近元気のなかった友人が、お店に近づいたとたん別人のような張りのある声で言った。その友人が指し示すその指の先にお店らしきものは見えなかったが、どうやら到着したことだけは分かった。
 友人の少し後に続き、たくさんのお店が立ち並ぶメインの通りから一本奥に入った路地裏の、大人が体を少し縮めてようやく通れるくらいの狭い入り口を抜けて、地下に続く階段を降りると、そこにお店はあった。
 こんなところにお店があるのかと驚き、訝しみながらも入り口のドアを開けると、カランコロンと陽気なベルが鳴り響く。
 「いらっしゃいませ」というバーテンダーの渋くて耳触りのよい声に迎えられて、席に座る。バーテンダーの後ろの棚には、今まで見たこともないような色とりどりで大きさも形も様々なお酒のボトルがずらりと並んでいる。
 友人に連れられてきたこのバーは知る人ぞ知る、カクテルの種類が豊富で美味しいと有名のお店だった。
 中でもこのお店オリジナルのカクテルは、一度飲むと病みつきになること間違いなしと噂のカクテルで、虜になった人は全国各地におり、オリジナルカクテルだけを飲みにはるばると遠方からやってくる人もいるそうで、この友人も例にもれず毎週必ずこのバーにやってくるというのだった。
 友人はもともとお酒も弱く普段からあまり飲まないため、行きつけのバーなどというものとは縁遠いものだと勝手に思っていたが、このお店だけはどうやら別物のようだった。

 オリジナルのカクテルとやらを楽しみにして、ジントニックやマティーニなど定番のカクテルに舌鼓を打ちながら友人としばらく飲んでいると、とうとうそのタイミングがやってきた。
 なんと、このお店オリジナルのカクテルというのは人によって異なるもので、バーテンダーがお客様との会話のやり取りの中で人となりを見極め、その人にピタリとマッチする世界に一つだけのオリジナルのカクテルを作るというものだった。
 そしてバーデンターとの自然でスムーズなやり取りを楽しんでいると、いつの間にか幼少期の頃から今までの自分をすべて丸裸にされたかのように、友達にも話していなかったことまでスラスラと話し切っていた。
 「お話下さりありがとうございました。すごく楽しかったです。それでは、お客様オリジナルのカクテルをお作りしますので少々お待ちください」
 バーテンダーがほほ笑みながら言うと、いくつかのボトルを手元に揃えてカクテルを作り始めた。
 今までのカクテルが美味しかったのはもちろんだが、このバーデンダーとのやり取りも非常に楽しく、すでにかなりお腹いっぱいになっていたが、それ以上に自分にマッチするカクテルはいったいどんなものだろうかという期待に胸を膨らませていた。少しするとオリジナルのカクテルが完成したようで、バーテンダーが慎重にグラスを手渡してきた。
 「お待たせいたしました。こちらオリジナルのカクテルになります。ごゆっくり楽しみくださいませ」
 バーテンダーから手渡されたこのオリジナルのカクテル、今まで見たことない南国の海を思わせるクールなエメラルドグリーンと水平線に沈む夕日のような情熱的な赤が混ざりあったアメジスト色に輝き、ベルガモットの豊潤な香りが漂う神秘的なカクテルだった。
 グラスを手に持ち、舌に意識を集中させて味わいながらゆっくりと流し込むと、野性味あふれる中に紳士的な一面を持ち合わせているような、香り高い濃厚な味わいが一瞬で全身に染みわたり、脳に直接「ビビビッ」とくる強い刺激があった。
 美味しさが全身に広がっていく感覚が快感に変わっていくのを感じていると、眠気とはまた違う、ぼんやりと意識が遠のいていく感覚があることに気づいた。

 気がつくと友人に肩を支えられ、お店を後にしていた。
 「すごかっただろ、あのカクテル。あれを飲むとみんな美味しくて気持ちよくなってそうなっちゃうのさ。本当はいろんな意味であんまり教えたくなかったんだけどね……」
 微妙に言葉を濁しながら、生気のない顔で無邪気に友人が笑っていた。
 お酒は好きで体質的にもかなり強いほうだったため、学生の頃に悪乗りをして無茶をした時以来、一度も記憶を飛ばしてしまったことはなかったが、久しぶりにやらかしてしまったようだった。

 それからのこと。朝起きて出社し、仕事が終わると家に帰るという何の変哲もない日々を過ごしていたが、あのカクテルのことが気になってずっと脳裏に浮かんでいた。お酒は常日頃から飲んでいたが、どうしてもあのカクテルが飲みたくてたまらなくなる猛烈な欲求がふつふつと湧いてきていた。これは我慢ができるかどうかの次元ではなく、必要に駆られるような、本能的に求めている感覚だった。
 そして気づくとあのお店の前に立っていた。
 「あれ、たしかに飲みたいとは思っていたけど、いつの間にか来てしまった。まいったな」
 ぼそぼそつぶやきながらも、ここまで来てしまったらお店に入る以外に選択肢はないと思い、この間と同じく地下に続く階段を降りて入り口のドアを開けた。
 カランコロンと陽気なベルが鳴り響き、「いらっしゃいませ」というバーテンダーの声に迎えられた。
 早い時間のせいか店内に客はいなかったが、何杯かカクテルを注文した後に、この間のあのカクテルを注文するとバーテンダーはニコッとほほ笑んで会釈した。
 「お待たせいたしました。こちらでございます。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
 いまにもよだれが口から垂れてきそうになるのを必死にこらえながら、グラスを手に持ってじっくりと舐めまわすようにカクテルを眺める。こらえ切れずに「グイっ」と一口注ぎ込むと、ずっと気になっていたことをバーテンダーに聞いてみた。
 「このカクテルはいったい何を混ぜて作っているんでしょうか。いままでそれなりに色んなお酒を飲んできましたけど、これほど美味しいカクテルは初めてで、この間飲んでからずっと気になっていまして」
 「ありがとうございます。ですが、残念ながらお店の秘密なのであまり教えられないんですよね」
 不敵な笑みを浮かべながら話を続ける。
 「お客様だけの内緒で、誰にも口外しないとお約束頂けるのであれば特別にお話いたしますが、お友達にも言わないとお約束できますか」
 「ええ、もちろんです」
 「それではお話しますね。実は、このカクテルは混ぜるお酒自体、厳しい……かなり……です」
 バーテンダーの話を聞きながら、また意識が遠のいていく感覚があった。何かを話しているのは音としてぼんやり聞こえるが、内容がしっかりと把握できなかった。
 そして完全に聞こえなくなるまでそう時間はかからなかった。

 どれくらいの時間が経ったか分からないが、視界にはバーカウンターの黒色が一面に広がっていて、机に突っ伏して寝てしまっていたことに気づいた。
 隣の席で誰かがバーテンダーと話している声が聞こえ、突っ伏したままやり取りを聞くことにした。
 「このカクテルすごく美味しいです。何を混ぜて作っているんですか」
 女性が興味ありげにバーテンダーに尋ねる。
 「ありがとうございます。お店の秘密なので内緒なんですよ。でも、誰にも言わないとお約束頂けるなら、お客様だけにお話しします」
 「もちろんです。誰にも言いません」
 バーテンダーがすべて話し終わる前に女性が食い気味に答えた。
 さっきの自分に対してのやり取りとまったく同じ形で、おそらく常套句なのだろうと思いながら話を聞いていると、一呼吸おいてバーテンダーがゆっくりと話し始めた。
 「それでは、お話ししますね。実は、このカクテルは混ぜるお酒自体、厳しい審査基準をクリアした取引先のみからしか仕入れておらず、かなりこだわっているものですが、それに加えて、代々引き継がれてきた秘伝の配合率で混ぜ合わせているんです」
 ここまでバーテンダーが話すと、女性の反応が一切なくなり、相槌すら打たなくなったようで、どうやら眠りに落ちてしまったようだった。もしかして睡眠薬でも混ぜられているのではないかという疑念を抱きながらも身体を起こすタイミングを伺っていると、ぼそっと小声でバーテンダーがつぶやいたのを確かにこの耳で聞いた。
 「さてと、この方からも精気を頂戴しましょうか」
 高らかに笑うバーテンダーの足音が少しずつ遠くなっていき、カウンターの奥に入って行ったようだった。
 耳を疑うようなとんでもないことを聞いてしまった。本当のことなのか、はたまたちょっとした冗談なのか判断がつかないが、だんだんと心臓の鼓動が大きくなっていくのを感じながらも逃げ出るタイミングを伺っていた。
 ゆっくりと身体を起き上がらせようとしたところ、金縛りにあって上から何かにのしかかられているかのようにずっしりと重くて動けない。それどころか、少しずつ身体から力が抜けていく感覚があった。焦る気持ちを抑え、必死に考えをめぐらす。
 そういえば思い当たる節があった。このお店に連れてきてくれた友人、以前IT企業を立ち上げ、上場に向けて顧客を拡大し、業績も好調でまさに獅子奮迅の活躍をしていたと聞いていた。
 しかしこのお店に通うようになってからというもの、人が変わったかのように徐々に無気力な廃人のようになってしまい、最近では部屋に引きこもりになって連絡が取れなくなってしまっていたのだ。
 何とかしてこの場から離れなければと思う気持ちと裏腹に、徐々に意識がもうろうとしていく。
 そして、コツコツコツとバーテンダーの足音が高らかな笑い声とともに自分のもとにやってきたのだった。

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