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私が日々安全に生きていられる理由

日本人の平均寿命が80歳を超えている今、40歳を過ぎた私は人生残り半分、というべきなのかもしれません。

ただ、私が今40歳を過ぎて生きていられるのは、たまたま運が良かったからに過ぎません。

遊園地に遊びに行ったことがある。
暗い夜道を一人で歩いたことがある。
飛行機に乗ったことがある。
お祭りに行ったことがある。
自転車に乗っていた時に、車と衝突したことがある。



その時にヒヤッとしたことも、後から思い返せばゾッとするような経験を数えきれないほどしてきながら、今も生き続けることができています。

関東地方で生まれ育つと、幼稚園・小学校と座布団は防災頭巾。
学期ごとに必ず防災訓練の日があり、何度も何度も繰り返し防災訓練を受けます。
だけど、その訓練の設定は地震発生→火災へと変化、だけでした。

ずっと防災訓練を受け続けてきながら、私が実際に経験したことがあるのは東日本大震災の時の震度5クラスのみ。
当日、商業施設にいてエレベーターが来るのを待っていたら、揺れを感知したエレベーターがなかなか来ず、ガラスがガタガタ言っているので地震が来たことに気付きました。

関東地方に住んでいると、小さな地震は日常茶飯事。
ちょっと長めに揺れたりすると、テレビをつけて情報を確認するくらい。
でも、あの日の地震は私が経験したことがないものでした。

東北の方では震度7だったと後日映像を見ましたが、地震体験車で揺れを体験するのと全く同じようにその場に立っていられない状態だったのを知り、自分がその場にいたら対応できていたか不安になりました。

そして、恥ずかしながら私は津波については無知過ぎました。
地震で山津波によって小学校が飲み込まれた絵本や、津波で被害を受けた物語などを読んでいたことはあって「てんでんこ」という言葉は知っていましたが、津波が来たらどこに逃げたら良いのかなどの対策までは知りませんでした。

あの日、帰宅してから見たテレビの映像は衝撃でした。
大きな地震だったからどのくらいの震度だったのかを知りたくてテレビをつけたら、東北の方では津波が発生し、走っている車がどんどんと泥水に飲み込まれていく。

空からの映像なので車はとても小さく映っているけれど、飲み込まれていく車の中には少なくとも1人の人が乗っている、という現実に心臓をわしづかみにされた思いでした。


医療技術の発達にともない寿命がのびたものの、事故や災害に巻き込まれる可能性はいつだって隣り合わせ。

そのリスクを可能な限り下げるために、安全な方を選び、対処法をシミュレーションしたりしますが、「安全な方」や「対処法」を考えられるのは私一人の力ではありません。

災害などに遭い、生き延びることができた体験者の話を聞いて対処法をシミュレーションしてみる。
反対に犠牲になってしまった方がどんな行動をとったのかを知って、やってはいけないことを知る。。。

つまり、私が今安全に生き延びていられるのは、多くの人の経験を知識として持つことができているから。
もっと言えば、多くの尊い命の犠牲の上に私は立たせていただいている。

これは私だけでなく、今生きている人全てに言えると思います。

人災によって尊い命が奪われてしまった悲しいニュースを耳にするたび、私は心の中で祈ります。

あなたの命をかけた抗議、絶対に無駄にしません。
だから、どうぞ安らかにお眠りください。
と。

誰かの犠牲の上で私たちの安全が強化されている現実。

私たちはしっかり見つめないといけないし、新たな犠牲者が出ないように対応しなくてはいけないと思う。

人が関わる以上、ミスは起きて当たり前。

そのリスクを最小限に抑えるために技術者達が日々知恵を絞り、実験を行い、試行錯誤して人間の生活をサポートするロボットなどが生み出される。

だけど、結局世の中には完璧なんて無い。

ロボットだけの世界なんてあり得ないし、人間力が全く不要になるような世の中になってもいけない。

犠牲になった多くの方々
あなた達の命を無駄にしないために、二度と同じ過ちを繰り返さないように、生き残った私たちは学び続け、しっかりと対策していきます。

だから、どうか安らかにお眠りください。




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