ロマンティック・ラブ・イデオロギーの終焉
学生時代、男女が出会い、恋に落ちる。その恋は、大人たちによって引き裂かれる。お互い成長し、大人になって再会を果たす。再び恋の炎を燃え上がらせ、二人は結ばれる。結婚して子供を作り、幸せな家庭を作る…。
『きみに読む物語』(2004年)で描かれる世界である。
先日、日本テレビのテレビ番組『行列のできる法律相談所』で、”日本人の好きな映画ベスト100”という特集をやっていた。その中に『きみに読む物語』がランクインしていた。
『きみに読む物語』は、そこまで大ヒットしたわけでもなく、そこまで有名な作品でもない。それでもこの作品がベスト100にランクインしたことに、少し驚いた。
そして、なるほど日本人はやはり、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが好きなんだなと思った。もしくは、ロマンティック・ラブ・イデオロギーに支配されてるんだなと思った。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは何か。この点から、書きたい。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは
ロマンティック・ラブ・イデオロギーとは、その言葉通り「恋愛至上主義」となる。
もう少し噛み砕くと、一人の相手と恋をして、結婚して、子どもを産む。これを至上とする概念である。恋愛、結婚、出産を同一のもの、つまり「三位一体」として捉える概念と言い変えられるかもしれない。
まさに、『きみに読む物語』で描かれた世界である。
一人の相手と恋愛して結婚して子どもを産む。現代の日本でこの概念は、当たり前のことと感じる人も多いと思う。しかし、この概念は歴史的にみると特殊といえる。
もともと、日本に恋愛という概念が生まれた(正確には西欧から輸入された)のは、明治時代であり、つまり、150年ほど昔に過ぎない。人間の普遍的概念などではない。
それまで結婚は、本人が誰が好きかなんて関係ないし、本人も好きな人と結婚できるなんて思っていない。親が社会身分に応じて決めるものだった。恋と結婚は全く別物だったのである。
また、将軍をはじめ上流社会では、正室と側室がいた。一夫多妻制だったのである。つい150年前までは。
恋愛、結婚、出産。これらば全くの別物。そういう社会だった。
セックスの神聖化
先ほど、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは「三位一体」と書いたが、この「三位一体」を構成する上で、恋愛・結婚・出産を共通軸で貫いているものがある。セックスである。
恋愛する相手とセックスをする。結婚相手とセックスする。出産のためセックスする。逆に、その相手以外とセックスするのは、ロマンティック・ラブ・イデオロギーから逸脱した行為となる。
このことから、ロマンティック・ラブ・イデオロギーは、神聖なセックスを定義したイデオロギーともいえる。この点について、アメリカの作家チャールズ・ブコウスキーが、著作の中で上手く言い表している。
このロマンティック・ラブ・イデオロギーから逸脱する行為をすると、厳しい非難に合うことになる。不倫や浮気である。
不倫及び浮気は、民法にも刑法にも、規定がない。そのため、不倫をしても法律上裁かれることはない。しかし、芸能人の不倫が発覚すると、厳しいバッシングにあう。社内不倫はご法度であるし、身近な誰かが不倫をしていたら、非難の目を向けられる。社会的制裁を受けることになる。
なぜ社会的制裁を受けるのかといえば、それは、現代の社会通念がロマンティック・ラブ・イデオロギーに支配されているからとなる。
「不倫を非難するのは、不倫をされた方がかわいそうだからだ。ロマンティック・ラブ・イデオロギーは関係ない」という意見があるかもしれない。
しかし、”不倫をされた方がかわいそう”なのは、ロマンティック・ラブ・イデオロギーによって、セックスは結婚相手としかしてはいけないという考えが前提になるからである。いずれにしても、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの支配を受けていることに変わりはない。
「三位一体」と「三権分立」
ロマンティック・ラブ・イデオロギーは、普通に考えると、かなり不自然な概念といえる。なぜかといえば、恋愛、結婚、出産はそれぞれ、目的が全く異なるからだ。
3つの全く異なる目的をもったことを、一つの概念にまとめるのは、不自然だし無理がある。不自然だし無理があるから、いずれ破綻する。離婚率が年々上昇してているのは当然といえる。上述したブコウスキーの言葉がまさに言い表している。
恋愛と結婚と出産は、本来何のつながりもなく独立しているものであり、つまり、「三位一体」ではなく「三権分立」こそが正しい。
普通に考えると不自然でおかしいことが、なぜ、正義とされるのか。そこが、社会を支配するイデオロギーの恐ろしいところでもある。
ナチス政権下では、ゲルマン民族至上が正義であり、ドイツの大衆が支持した。ソ連では社会主義が正義であり、民主主義は異端だった。
ナチス政権下で、現代のような多様性のある社会を唱えれば処刑されただろうし、ソ連のスターリンの時代に、民主主義が正義と言ったら間違いなく処刑されていた。そして現代、不倫をすると、社会から処刑されるのである。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーの終焉
ロマンティック・ラブ・イデオロギーは不自然な概念だから、不倫は正しい、不倫をするべきだ、ということを言いたいわけではない。
現代において不倫は、社会的な制裁を受ける。つまり、不倫はリスクが大きい。社会的制裁というリスクを理解しながら不倫を行うのは愚かである。だから、不倫はするべきでない。それが処世術である。
ただし、支配的なイデオロギーが永遠に続くわけではない。いずれ飽和状態に陥るし、そして終焉する。ナチスもソ連も崩壊した。
だからいずれ、ロマンティック・ラブ・イデオロギーも飽和し終焉する。それがまたイデオロギーというものである。
現在、AIで恋愛相手をマッチングさせるアプリが多くある。同じような婚活アプリもある。また、精子バンクの運用も開始されている。これらは、「三権分立」の萌芽のようにも感じられる
芸能人の不倫ニュースに対して、狂乱のごとく非難する社会は狂気としか思えず、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの飽和状態を感じさせる。さらに、離婚率も年々上昇している。
また、マイノリティを受け入れる「多様性」という言葉が今の時代のキーワードである。
ロマンティック・ラブ・イデオロギーの終焉。
それは実は、そう遠くない将来に訪れるのかもしれない。そんなことを感じてしまうのである。
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