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映画は本当に映画館で観るべきなのか?

昨年は、コロナ禍もあり映画館に行くことを控えていた。

緊急事態が明け、年末仕事の忙殺からも開放され、先日、久しぶりに映画館に行った。

映画館で映画を観ると、やはり自宅で観るのとは違うなと感じた。

映画館での映画鑑賞

通常、映画は映画館で観るのが一番よいとされる。本来、映画は映画館で観るべきで、映画館で観損なった作品を、自宅で観る。もしくは、映画館で観るほどではない映画を自宅で観る。「これは観たい」という映画は、映画館で観るべきだという風潮である。

しかし、久しぶりに映画館で映画を観て、本当にそうなんだろうか?という感覚を抱いた。

映画館で映画を観ると良い点は、いくつも挙げることができる。大画面で観ると迫力が違う。音響がいい。暗室なので映像を綺麗に観られる。様々な理由が考えられる。

確かに大画面は映画館の魅力であるし、音響も自宅で観るのとは全然違う。しかし、映画館で映画を観る際、自宅で観るのと最も大きな違いは、映画への没入感と感じる。

映画館は映画を観ることに特化した映画鑑賞専用施設である。そのため、基本的に、映画を観ること以外の行動が禁止される。スマホを使うのはご法度だし、館内は圏外となる映画館が多い。トイレに立つことは許されるが、暗室の中、音を立ててトイレに行くのは憚られる。出来ることなら映画が終わるまで我慢したい。ポップコーンをはじめ飲食は自由ではあるものの、実際には咀嚼音などの音を出すことは、やはり憚れるのである。

映画館に入って、映画が始まったら、映画を観ること以外の行動が激しく規制される。これはつまり、映画を観ることを強制される状態となり、そのため結果的に、映画館で映画を観ると、没入感がひと際高まる仕掛けだ。

このように書くと、「映画館で観ると映画に没入できる。だから映画は映画館で観るべきだ」という意見が聞こえそうだが、久々に映画館で映画を観た際、この映画観賞の強制性にこそ違和感を感じたのである。

映画鑑賞を強制する映画館

人間が持続できる集中力は、「15・45・90の法則」で知られるように、最大45分程度とされる。映画は2時間前後が通常の尺であり、そう考えると、映画をぶっ通しで集中して観るのは無理がある。

テレビでの映画放送、金曜ロードショーなどでは、15分前後でCMに入る。上述したように、人間が持続できる集中力は最大で45分程度、濃度の濃い集中は15分程度である。そう考えると、15分おきのCMで休憩ができるテレビでの映画放送は、人間の集中力からすると理にかなっている。

また、動画配信での映画鑑賞であれば、自分で休憩時間を設けることができる。15分前後でもよいし、45分たって集中力が低下したら休憩を取ることもできる。トイレに行きたければいつでも行ける。喫煙者であれば煙草も吸える。

映画館は映画鑑賞専用施設である。そのため、映画館は、鑑賞者にとって最適な映画鑑賞の環境を提供することが使命となる。しかし、前述したように人間が持続できる集中力から考えれば、映画館は鑑賞者に無理を強いている。

映画を楽しもうと映画館に足を運んだのに、同じ姿勢で物音も立てられず、トイレにも行けない。その姿勢を2時間前後強制されるのである。それが本当に、最適な映画鑑賞なのだろうか?と感じざるを得ない。

魅力的な映画館になるために

しかし、映画館は映画鑑賞に没入させてくれる。それは、間違いない。そうであれば、映画鑑賞専用施設という映画館を、より鑑賞者にとって最適な方策を講じるべきではないかと感じる。

それはつまり、休憩時間である。

3時間を超えるような作品にだけ休憩を設けるということではない。2時間の作品にも、90分の作品にも、休憩時間を設けるべきではないだろうか。開始して45分前後で一度休憩を挟む。5分でも10分でもよい。

その休憩時間でトイレに行くのも良いし、目を瞑って休めるでもよい。または、一緒に来た恋人や友達、家族と、前半の感想を話し、これからの展開を予想し合う。

休憩を挟むことで、脳がリフレッシュされ、映画のクライマックスをより楽しむことが出来るはずだ。また、一緒に映画館に行った人と、一度、会話できる時間を挟むことで、映画館での時間の共有をより楽しむことができる。

昨今、”映画離れ”が報じられることがある。また、若者を中心に、集中力の低下が指摘されることがある。

このような時代の変化に対して、映画鑑賞者に最適な環境を提供するべき映画館は、これまでと同じ方法でいればよいと思えない。時代の変化とともに、映画館もまた、変化が必要なのではないかと感じるのである。

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